右は表紙。装幀・五味恵子 中表紙二枚めくると地図があります。
ブッコフにログイン出来た頃、「スリランカ」で検索して、出てきた本をまとめて買った時の一冊です。今調べると¥220税込ですが、その時幾らだったか忘れました。
発行 日本図書刊行会 発売 近代文藝社 1993年6月刊
自費出版じゃないかと思います。著者の中島サンは1952年生まれなので、この時40歳前後。奥付の著者略歴を見ても、三多摩生まれ三多摩育ちということしか分かりません。職業も、専門も分からない。日本でスナンダというスリランカ人と知り合ったのが縁でスリランカに行きます。旅行前日くらいまで必死に仕事して時間を作って一週間の旅行。現地ではスナンダの友人のコリンら三人からアテンドされる。
中島サンには秘かな持論があり、日本の縄文中期文化はインダス文明の末裔だと考えているので、その証拠になる土器を博物館などで見ることが目的です。頁86、その目的がある程度達せられたことが書かれます。また、英国国教会の信徒なので、アングリカンチャーチにも行きます。
旅行の最後にはコリンから日本に行きたいのでビザの身元保証人などになってほしいと言われ、
頁103
「皆この国の人たちは、日本人が金持ちだと想っているけれど、それはあくまで第三国に比べた場合であって、国内の日本人はほとんど自分が金持ちだという自覚はない。それどころか、仕事に追われて、日々の生活さえ大変なのが実際のところなんだ。それに……日本で外国人が仕事をすると、けっして楽で奇麗な仕事はないし、汚くてきつい仕事しかないんだ。……言葉も通じないだろうから……日本で仕事をするには、真っ先に自分の誇りを傷つけられることを覚悟しなくては、とても無理なんだ」
と言いますが、けっきょくいっしょに日本大使館に行ったりなんだりします。いわゆるバブル時代。

カバー(一部)

帯 中に挟まってました。

帯裏
中島サンはある程度本を読んでからスリランカに行ったようで、ドライ・ゾーンとかウェット・ゾーンとか、キリスト教はカソリックが強いとか、カーストがあるなど、いろいろ書いてます。また、別の出版社からですが、この数年後、縄文土器に関する本も出してます。
私がスリランカに旅行するなら、砂糖を使ったサンボル、シニ・サンボルを食べて、エリック・サラッチャンドラサンの『亡き人』の原書を買って、シビル・ウェッタシンハサンの絵本の原書を買えるだけ買ってみたい。
Redditには下記の古書店を勧めてるトピがあるようですが、ログインしないと見れません。
[http://:title]
以上
【後報】
例えば、頁30、ヌワラ・エリアで中島サンはケネス・ハッチアラチーという武蔵野音大に留学していた日本語に堪能な銀行頭取の息子で四エーカーのサトウキビ農場経営者に会うのですが、彼の姓名の「ハッチ」は金細工師を指し、高カーストでないことを知ります。さらに、ケネスサンがバーガー、ポルトガルやオランダなど、英領になる前にスリランカを通り過ぎて行った国々の子孫であることも知ります。こういうのはなかなかただ現地に旅行しただけでは分からないこと。知識のある人に情報の補足をしてもらいながらでないと、なかなかです。
ここを読んで、バーガーもカーストに組み込まれてるのかと驚きました。ゾーラン・マムダニサンやフレディ・マーキュリーサンのようにアフリカ出身のインド系は印僑で、パプア・ニューギニア建国の父サー・ジュリアス・チャン初代大統領や韓国の廬武鉉元大統領や盧泰愚元大統領は華人もしくはルーツが漢族にある華裔なわけで、同様にスリランカのバーガーは欧僑、欧裔とでもいうべき存在ですが、彼らもカーストに組み込まれてるんですね。イングリッシュ・ペイシェントの原作者マイケル・オンダーチェサンのカーストはどのへんだろう。
また、ヌワラエリヤではこんな観察もしています。
頁43
裏通りの細い露地には野菜、くだもの、そして魚のマーケットが並んでいた。
店の棚のうえのトマトやりんごは野生種かと想わせるほど小さい――そう感じるのは私の錯覚であって、日本の野菜、くだものに携わる人びとの汗の結晶が、大きくて美味しいそれらを作り出しているのが本当のところだろう。
種苗が品種改良されてよく施肥されているから、ということかと。下はハンマントッタ(例の債務の罠のハンバントタのことかと)での感想。
頁63
(略)この国の自然はたいへん豊かなのに、その富が人々に公平に分配されていないことである。それはスリランカが古き時代から今日まで営んできた文化や、そこに暮らした人々の集大成なのであって、けっして現代の政治や経済にだけ記される問題ではないだろう。
漁業は殺生を伴うから仏教徒のシンハラ人はやりたがらず、タミル人ばかりになると書いてたのは中島サンでしたか、それともほかの人でしたか。スリランカはシンハラ人が人口七割の多数民族なのですが、旅行となると、高地の紅茶プランテーションや海浜の比重が高くなるので、タミル人と接する確率が高くなる。そんな気がしました。全然関係ありませんが、マレー人五割華人四割のマレーシアでも、意外にその他一割のタミル人(イギリス人が分断統治のため移植した)に会うことは多いです。都市部ばかり旅行するからかな。
(翌日)
冒頭にある旅行地図。中島サンはスリランカで出会った知り合いの知り合いについて、非常に知らない場所や土地に行くのを警戒していたとありますが、内戦の影響が実は人々の心に影響を与えていたのかもしれません。旅行した地域も、見事に南部ばかり。
(2026/1/6)
頁36
私はこの島に来て、気が付いたいくつかの疑問点を司祭に投げかけてみた。
「カースト制度はイエスの意志に反すると思うが、こちらの教会にはどんな影響があるのでしょうか」
「その通り、イエス様は人間の平等を説いた……できるだけ、差別せずに接したいと想うが、教会によってはカースト上位と下位の人びとを分けて、ミサをしているところがある」
頁41
「あなたは日本人!?」
「はい、そうです……マダムは日本に行ったことがありますか」
「いいえッ、行ったことありません。行きたいのですが……あなた招待してくれますか」
「はぁ?」
「…………………………………………………………………………………」
頁40
スリランカの婦人たちは、というよりは女性たち一般は非常におくゆかしく、そのうえ何十年か前の日本の女性たちのように恥ずかしがり屋で、私のような外国の男性が気軽に声を掛けようものならすぐ逃げられてしまう。とくに、シンハラ人の仏教との女性に顕著なようだ。
(2026/1/8)