エッセイ『DAICONプログラム巻頭文』『インサイドDAICON』『精神病院ルポ』(筒井康隆全集1)Essays "DAICON Program Opening Statement," "Inside DAICON," and "Mental Hospital Report"〈THE COLLECTION OF TSUTSUI YASUTAKA vol.1〉読了

装幀 山藤章二 解説 関井光男

大阪でやるSFコンベンションをダイコンというわけで、筒井康隆全集一巻にその第一回実行委員長を務めた時の巻頭言とルポがあるので、読んでみました。二千人いかないくらいの集客なのですが、それでもよどおしだったりなんだりでハコの問題があるのか、意外と日本全国津々浦々でやってるわけでなく、関西ではほぼほぼ大阪(とその衛星都市)で、あとは神戸と京都が一回ずつあるだけ。現首相の奈良、それから和歌山と滋賀でも開催経験はありません。翔んで埼玉を地で行く展開だった。

日本SF大会 - Wikipedia

私のまわりでも食い倒れ人形がジェット戦闘機に変形して飛翔するアニメに心酔するものがおり、カラオケで愛国戦隊大日本を熱唱する人もひとりやふたりではありませんでしたが、それに対する筒井サンの反応がウィキペディアに書いてありました。歌った方ももう還暦とかそういうイキオイなのですが、批判に対し、動画のノリで御年90の筒井サンを「オールドサヨク」と呼んだりする… わけはないでしょうね。さすがに。

DAICON FILM - Wikipedia

SF作家の筒井康隆は、1964年に大阪初の日本SF大会であるDAICON 1の実行委員長を[8]、1975年に神戸でSHINCONで名誉実行委員長[9]を務めるなど、日本SF大会の運営に関わった経験があったが、岡田らが運営した大阪大会で原爆投下を茶化す『ピカドン音頭』というイベントを実施したことや自主映画『愛國戰隊大日本』の内容について、「アホな演しもの」だ、右翼を賛美しているとして苦言を呈している[10]。

岡田斗司夫サンが動画で「寧藝卓、You're not alone."と云ったかどうかは知りません。下はDAICONⅢの画像検索結果の一部。

下はDAICONⅠの画像検索結果の一部。

DAICONプログラム巻頭文』"DAICON Program Opening Statement."(「DAICONパンフレット」昭和39年(1964年)7月)

特になし。

インサイドDAICON"Inside DAICON."(「NULL」臨時号 / 昭和39年(1964年)10月)

堂々とトルコ風呂に行く描写があって、時代やなあとおかしかったです。ただ、時代的に、まだ「自由恋愛」という建前を全員が墨守しておらず、基盤がない場合もあったから、アッケラカンと書けたのかもしれない。行ったのは上六。

上六 - Wikipedia

場所に土地勘がないので検索しましたが、そういう店が、あるんですね。今はそういう風俗ネットに大阪の店も載るんだなあ。流石インターネット。前世紀、巻末に割引券がついてるような風俗情報誌二誌を毎号買ってる人がいて、その人の下宿で割引券を使用して切り抜いたあとがある雑誌を見ながら、滋賀の雄琴や岐阜の金津園、神戸の福原は載ってるけど、大阪って載ってないね、そういえばちょんのまでない風俗街聞かないし、ないってこと? と聞くと、いやそうではなく、ヤクザの力が強いので書けない、とのことでした。でも今はインターネットで出るので、時代が変わったんでしょう。閑話休題。ほんとにこのエッセーでは「自由恋愛」の扱いがよく分かりません。ホントに女性がマッサージするだけのサウナだったかもしれない。

頁350

 女の子の悲鳴が聞こえてきた。誰かがわめいていた。

「あれ何や?」

「あんたのお連れさんが暴れてはりますねん」

 誰が暴れているんだろう。高氏ではあるまい。とすると、8マンかアトムか?

「やめてェ!」

「何しやはりますねん!」

「あれ、そんなことしたらあかん!」

高はコサミョンではむろんなく、後ろに市早苗サンがつくわけでももっとなく、8マンは分かりますが、手塚治虫サンはこの面々にはいないので、アトムは別のひとのようです。誰か私には分かりませんでした。

で、この後ハシゴというか「法を犯すようなことは絶対にしなかった」「ひと悶着」があったのですが、筒井さんは具体的に書くのを避けています。「五人とも真剣だった」「一瞬といえども離れたことはなかった」出来事とは、なんでしょう。トルコ風呂で不完全燃焼だった誰かがちょんのまにみんなを引っ張ったんじゃいかと思いましたが、それだと離れますよね。思わせぶりな書き方でしたが、分かりません。有名な話かもしれませんが、知らない。

このエッセーには筒井サンのご母堂が二回も電話で登場します。

頁348

「道楽者! 死んでしまいなさい! 朝から電話がジャンジャン鳴って、あんたの居所はわからないし、お母さんはもう……」

関係ありませんが、"Daicon"を検索したら、ペルーの「奇跡の主」聖行列の自分の記事で、リマのミラフローレス否パチャカミージャ地区に壁画を描いたペドロ・ダルコンサンの綴り"Pedro Dalcon"を"Daicon"と誤記していたのに気づきました。

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『精神病院ルポ』"Mental Hospital Report."(「SFマガジン」昭和40年(1965年)5月号)

初期の筒井サンは週刊誌のルポの仕事なんかも受けていたわけですが、これは掲載がSFマガジンだし、そういう仕事でもなさげ。当時の精神病院は見学など許されておらず、入るには入院するしかなかったので、入院したんだとか。で、入院中ほかの患者にけがさせられたりしても文句は言いませんという念書も書かされたとか。なんでそうまでしてこのルポを書こうと思ったのか、さっぱり分かりません。

統合失調症と思われる患者も出ますが、てんかんとアルコール使用障害についてが大きいです。てんかんに関してはやはり運転職はどうすればいいのかという話がメインで、時代のせいか、実におおらかな医師の意見書が出ます。後年筒井サンは断筆騒動に絡んで強制的にこの頃の知識をアップデートさせたんだろうなあ、と思いました。アルコール依存に関しては、譫妄も出ますしコルサコフも出ます。麻薬はタブーだが酒は社会的に是認されてるとちゃんと書いてますし、作家に関しても私の知らないジョン・オハラやドス・パソスもアル中作家として登場。読んでみようかと思いましたが、ほとんど今は邦訳がないんですね。昔はあったんだろうか。

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筒井さんは入院に関して少し顫(ぶる)っていたそうで、そして中島らもはこれを読んでいた気がします。なんで内科入院だけで済ませて、しかも『今夜、すべてのバーで』みたいな小説を一冊仕立てて売りまくったのか。精神科入院(or通院)しなかった理由のひとつとして、これを読んだから、もあったりして。あれ(『今夜、すべてのバーで』)でいろいろ日本の精神医療は30年遅れたと思います。生きて今の山口メンバーを見たら、らもはんは何を云ったかなあ。伊集院静サンの『居眠り先生』は「また元のように飲めるようになったアル中」の話ですが、こっちはあんまり進んだ遅れたには関与しなかった。

まあなんかほかの患者のカルテも見放題だし、今とは別世界ですね。このルポの病院。

以上