実業之日本社版筒井康隆漫画全集を古書で買ったので、モトをとろうと思って、といってもこのブログはロハで、収益化とかそういうことはないので、精神的な意味ですが、それで、借りた筒井小説全集の中で、マンガとカブってる話の感想を先に書きます。漫画全集には22作も収められているのに、全集第2巻にはカブってる話はゼロ、第6巻に四つ入ってるだけでした。ほかに『公共伏魔殿』が入っている自選短編集も借りたのですが、そっちにも該当なし。
『筒井順慶』"TSUTSUI JUNKEI"(「週刊文春」昭和43年(1968年)9月~12月)(「小説サンデー毎日」1969年11月)
筒井サンがまじめに歴史小説を書いたのかと思っていて、それだったらツマラナそうなので読んでませんでした。『イリヤ・ムウロメツ』をぱらぱらめくって読まなかったこともあって… 今なら『イリヤ・ムウロメツ』もちゃんと読めて、面白いと思うのかなあ。また、『山崎』でしたか、「説明は、ない」の小説はよかったので、それの不条理部分を除いたような小説かと思ってました。まさかご自分のご先祖さまをシッチャカメッチャカに書くわけないだろうと。

マンガより。本作で既に『山崎』の萌芽が見えます。
頁19
(略)おれは病的な古本嫌いで、よほどの必要に迫られない限り手にとる気がしない。(略)古本を好む人の気持はどうもわからない。
古本の中からはいろんなものが出てくる。パン屑、煙草の葉はいうに及ばず、キャラメルの包装紙、蚊や蠅の死体、ページ一面にべったり汁をつけたミカンの内果皮、爪にフケに鼻糞、時にはぺしゃんこになったゴキブリまで出てくる。こんなことをいっても、古本好きな人には理解できないらしい。人種が違うのかもしれない。
それは大変ですね。図書館もだめなんだろうな。
頁20
(略)ところがおれは古文はぜんぜん読めず、それどころか毛筆で書かれた字さえ読めないのである。つまりおれは、古文書に関しては文盲なのだ。
でもいろんな人から、メモやノートや活字の稀覯本を貸してもらえるので、だいじょうぶでした。こういうツキのある人が成功するのか。
頁39
(略)おれは勝手に寺の中に入り、庭の隅にあった順昭の墓をぼんやり眺めた。高さ三メートルくらい、丸や四角の墓石が台座の上に五つ積み重なっていて、上から順に梵語で空・風・火・水・地と彫られていた。
なんで古文が読めないのに梵字が読めるんだ―と思いましたが、五輪塔に書いてある梵字は決め打ちで常識らしいので、それをそのまま書いてるんだと分かりました。
空
風
火
水
地


頁54
この男はおれの友人で、岡田真澄という混血の俳優である。プレイボーイとして名を売ったが、最近は急に訳者役者根性が出てきたらしく、新劇などにも出ている。
ファンファン大佐と筒井サンの交友歴については、SNSもネットもなかった時代なので、ホームページが一件ヒットしただけでした。

マンガにも似顔絵が描かれない歴史小説の大家。誰でしょうか。「柴」の一字で考えると柴田錬三郎サンでしょうか。シバ違いで司馬遼太郎センセイでしょうか。「リョウ」の字もあるなあ。でも和装じゃないと思うし…

筒井順慶のマンガ版でも中国人は辮髪。ドジョウひげ。
全集第2巻の小説を読んだ限りでは、この人よくこれで薬物出さないなあ、よほど精神がシッカリしてるんだなあ、なんて思ってましたが、この話ではハイミナールが出まくってます。よくそれでモーローとなってる。

小説版ではリーマン時代に戻りたいと泣き言は言ってなかったと思います。


島左近て、『花の慶次』にも出てきた気がするんですが、改めて検索したら別のマンガでした。
また、ここ、小説読んでるときは「さんぴん」を沖縄のジャスミン茶、否、ちんぴらくらいの意味にとってましたが、絵を見ると鉄砲隊のようなので、鉄砲隊のことかなあと思いましたが、それもちがうようです。


信貴山の読み方が分からず、「しのだやま」と読んでましたが、ちがった。

内蔵助は「くらのすけ」だろうと思ってましたが、一抹の不安があったので、検索しました。合ってた。それでよかったです。

ぜんぜん関係ありませんが、先日、音の鳴り出した踏切を、「ごめんなすって」と言いながら強めのパーマのオバアが通ってゆきました。仮にオバアと書きましたが、沖縄人であるはずもなく、かつまた大阪のおばはんでもなくです。江戸っ子的な老婆というと、こういう鉄火肌の伝法な感じになるのかなあと思いました。対峙する概念は山の手BBA。「ごめんあさーせ(「遊ばせ」の口語形態)、オホホホ」

私は「洞ヶ峠」という故事をまったく知りませんでした。そんなことがあったんですね。
で、上のコマには仮に順慶の絵が描いてありますが、これはあくまで仮で、どうしてもバイロンと同じ年、36歳で逝去したこの若き武将の像が形を結ばなかったようで、順慶像のイメージが作れず康隆サンが煩悶するのが本作のあらすじです。

イケズなのか写真の腕が未熟なのか、順慶の木像はテカっていて顔がよく分かりません。
の
コ
マ
の
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の
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は
ウ
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この絵です。
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グ
ル
版
で
は
絵
を
洗
って画質を鮮明にしてます。いいのか、それ。はてなフォトライフに落とした画像は並記出来るんですが、URLを引っ張った画像はどうやって並記したらいいのか分かりません。むずかしい。
ドイツ語版は上下をちょんぎって、掛け軸を肖像画サイズに変えちゃってる。この人はチンギス=ハーンデスといっても通用しそう(しません)筒井サンはこれに納得しなかったのか、ほとんど順慶サンの顔をのっぺらぼーで描いてます。カオナシは、のっぺらぼうではないですね。そして、小説は最後に順慶本人が光臨、出てくるのですが(マンガはページ数が尽きたので出ない)これがまあ身内贔屓100%という。
頁79
背はすらりと高かった。(略)顔はどちらかといえば細い方で眼は二重瞼、色は青白く、頬から鼻下、そして顎へかけての髭の剃り痕が青い。鼻筋はとおっていた。すごい好男子である。しかし、なんとなく冷ややかな雰囲気を漂わせていた。
そしてもう笑うしかないのですが、この順慶像が「信長の野望」や「戦国大戦」(知らない)などに登場する順慶となり、世の中に「これが順慶だ」と認知されてゆくのです。すごい話だなあ。筒井サンはこれが想定内とは思わないでしょうが、めでたいことだくらいは思うんだろうか。思ってほしくないですが。

なんだこの憂いを帯びた美青年は。

好男子で熱血漢みたいに見えチャウ。ぜんぜん洞ヶ峠じゃない。
ピクシブの画像はNHK大河「麒麟が来る」の頃のものらしく、「今回から本格参戦 松永絶対殺すマン 筒井順慶 満を持して参戦!!」と書かれてます。松永絶対殺すマンとか、もろこの小説の影響を受けてるとしか(誰が史料を渉猟してもそうなる気もしますが)演じた駿河太郎サンはこんな美男子でないので(失礼します)やはり筒井小説に源流を発する戦国ゲームの流れが人々の脳内の順慶像を変えたとしか思われません。
『アフリカの血』"AFRICAN BLOOD"(「小説新潮」昭和43年(1968年)7月号)(「小説サンデー毎日」1971年3月)
これ、21世紀にはちょっと再録出来ないのではないかと小説を読みながら思っていて、ビジュアル化はなおさら無理だと思ってました。ハーフ、ダブルが「混血」と「あいのこ」の二種類に分かれていて、前者は黒人との混血、後者は白人との混血であるという設定の時点で、何故分けるんだと思ってしまう。スペイン語のメスティーソとムラートみたいな言語上の区別を日本語にも欲しかったのかもしれませんが、現実としてこれは定着しなかった。



ところがマンガを見ると、非常に出来がいいというか、言葉による説明を排して、都会深夜の漆黒を強調しており、かなり素晴らしいです。デザイナー出身なのになんでこんなデッサン力がないのと思ってましたが、この作品に関しては等身頭身も変えて来たし、かなり模写等頑張ったと思う。上の真ん中のコマは「医者はどこだ!」のパロディのようにも見えますが、それは蛇足。『ねじ式』は1968年なので、時系列としては大丈夫です。

『アフリカの爆弾』マンガ版の一コマ。これと比べると、狙った路線の差は明らか。したっけ、これに関してもわざと狙ったみたいですけどね。唇とか、わざとやったカリカチュア。これを先に読んでたので、のらくろとか冒険ダン吉とかの模写から一歩も進化してないしとかと思ってた。ちゃんと描けるんじゃん。

主人公以外のふたりもハーフです。白人との。ゴールデンカップスは全員ハーフのGSでしたが、エディ・藩は中国人とのハーフですから、人種的にはモンゴロイド同士だが異民族婚の子どもという場合どうなんだと思いますが、こんな話に出て来なくてヨカッタというだけの話かもしれません。


黒人との混血は混血、白人との混血はあいのこと呼ばれているという小説の設定は、マンガではもう忘れられてます。その程度だった。『筒井順慶』にも出てくる(何故実名なんだ)岡田真澄サンから聞いた芸能界ハーフばっかりトークを膨らませたのが本作だそうです。

よい子はまねしてはいけないBLMごっこ。もし、草間リチャード敬太サンはこれのドラマ化というか、内輪でなりきりごっこをやっててああいいうことになったということだったら、腑に落ちるような気もしますが、落ちません。ギロッポンでなく二丁目だったそうだし。
だからといってグリーンブックごっこというわけでもないはずです。代償おおきいな。以上
