『錫蘭セイロン浪漫 幻のスリランカコーヒーを復活させた日本人』神原里佳 〈ලංකා ආදර කතා. ජනප්‍රිය ශ්‍රී ලාංකේය කෝපිවලට පණ දුන් ජපන් ජාතිකයෝ〉කම්බරා රිකා 〈சிலோன் காதல். புகழ்பெற்ற இலங்கை காபிக்கு புத்துயிர் அளித்த ஜப்பானியர்கள்〉கம்பரா ரிகா 読了

https://m.media-amazon.com/images/I/81wUq0jDeFL._SY425_.jpg組版 横須賀文

装幀 藤本達哉(aozora tv)

校正 藤本優子

"CEYLON ROMANTIC. The Japanese who revived the legendary Sri Lankan coffee." by Kanbara Rika

字数制限でグーグル翻訳の英題迄タイトルスペースに入れられなかったので、ここに置きます。ブッコフの中古品在庫ありで「スリランカ」で検索したら、出て来た本のひとつ。¥825(税込)で買いました。庄野護サン『スリランカ学の冒険』*1に、どこに行くにしても、百冊(論文含む)読んで千語現地語を覚えてからにシロヨとあって、それで、現地に行く予定はないのですが、カサ増しで読んだです。スリランカ関係書籍24冊目。スリランカのコーヒーというと、東條さち子サンのマンガ*2で苦言を呈されており、庄野サンも上記書籍頁62で「コーヒーもたまには飲みたいが、フィルターで漉さないどろどろのコーヒーを飲まされるより紅茶がいい」と言ってるくらいなので、そのセイロンコーヒーをフカーツさせたとはどういうことならと、興味が湧きました。

(1)

dime.jp

上のサイトにもあるとおり、スリランカの中文呼称は《斯里蘭卡》ですので、錫蘭"xilan"の古称は、ブラジルを《巴西》でなく「伯刺西爾」と呼ぶのにも似て、和臭を感じるのですが、"Ceylon"否"Ceylan"の名を冠したユーチューバーが自身の漢語名を《锡兰》としてたりもするので、中華圏でも《锡兰》ありなんだろうとも思います。個人的には、中国が国境紛争してるインドへのあてつけに独立国扱いしてるシッキムが《锡金》"xijin"で、同じ広瀬錫なのが、ちょっとなやましい。

www.asahi.com

(2)

150年前に忽然と姿を消したコーヒーを蘇らせ、貧困にあえぐスリランカの人々に富と幸福をもたらした“ミスター・セレンディピティ”清田和之の苦闘を描いた 感動のノンフィクション 合同フォレスト

帯。「ミスター・セレンディピティ」までは言い過ぎだろうと思ったのですが、頁011「私は氏をこう呼びたいと思うのだ。ミスター・セレンディピティと」とあり、ライターサンがそう呼びたかったってだけなのね、と思いました。

(3)

アマゾンの評などを見ると、「娘の友人が書いた」というストレートど真ん中(そのくせ☆五つではない)はともかく、どれも的を射た好評で、私も納得出来るものばかり。←えらそう。すいません。若いけれども、確かな腕のあるライターサンなんだなと思いました。

www.godo-forest.co.jp

上は版元公式。「たった一人で」も語弊のある言い方で、清田サンが会長をつとめるNPO法人日本フェアトレード委員会から生山(しょうやま)洋一サンという現地駐在員を出してます(頁095)し、その費用はJICAの「草の根技術協力事業」に応募して採用され、ゲットしたJICAの援助金一千万円から賄われていま(同頁)す。この生山サンという人は、検索すると、現在はスリランカのカカオ豆事業に関わっている感じ*3です。さらには吉盛真一郎サンという、前田建設工業ODAかなんかのダム工事現地駐在員(頁119)がボランティアで協力してました。この人はキャンディで「カフェ・ナチュラルコーヒー」を開店し、スリランカに一大コーヒーブームを巻き起こしますので、協力者として入れ替わり立ち替わり現れたりライバルになったりのスリランカ人たちの栄枯盛衰、群雄跋扈割拠をさしひいて、邦人だけで言っても、「たった一人で」は語弊のある言い方だと思いました。でも別に作者の神原サンがそう言ってるわけでもないんですよね…

(4)

合同出版という出版社を存じませんで、自費出版メインの出版社かと最初はやとちりしてましたが、ごっつい出版社でした。

合同出版 - Wikipedia

グラムシ永山則夫ダイオキシンフロンガス酸性雨、環境ホルモー、多国籍軍イラク侵攻、クラスター爆弾放射線セシウムなど長年多岐に渡る啓発書籍を出し続けている出版社とのこと。本書主人公の清田サンは最初自分で本を書いて、合同フォレストと書肆侃侃房と文芸社から出版しているのですが、文筆業が本業の人でないので文章に分かりにくい部分があるなんてレビューされたり、本書出版時点で76歳(頁004)と持っている時間が有限なこともあり、今回、腕の立つライターを雇うだ、となった気もします。

書籍詳細:スリランカ 幻のコーヒー復活の真実 | 書籍案内 | 文芸社

『コーヒーを通して見たフェアトレード』 清田和之|社会|人文・歴史・社会|書籍|書肆侃侃房

ndlsearch.ndl.go.jp

(5)

スリランカコーヒーを150年前のように 再び世界のブランドコーヒーにしたい! 清田和之の熱い思いはやがて、 現地の若者を動かし、 ついには政府をも動かした。

帯裏。頁023によると、清田サンは熊本県出身。ご実家は印刷業。静岡大学に進学し、そのまま静岡で就職。31歳で離職して熊本へUターン、幼稚園を開園します。その傍ら、再春館製薬の通販事業再構築を請け負い、電子データによる顧客管理を導入し、フリーダイヤルのコールセンターシステムを立ち上げたそうで、それで再春館製薬の年商は一億から百億にのびたとか。SEなんだかなんだか役どころが分からないのですが、すごいことです。日本初だとか。

で、また独立して、産地直送などのネット販売事業を始め、ブラジルにコーヒー豆の買い付けに行くうち、「フェアトレード」の存在を知るわけです。下落につぐ下落の珈琲豆価格が、フェアトレードなら高値で売れて、赤貧イモを洗うが如しのブラジル寒村に一息つかせることが出来る。

で、紅茶のフェアトレードスリランカに行くうち、野草化したコーヒーの木を山間の道路脇や民家で目にするようになります。アラビカ種。実を胃腸薬として使い、葉は止血剤として使うとか。それから清田サンは文献を調べるようになります。19世紀、英国がスリランカ全土を掌握した頃はスリランカは世界第三位のコーヒー輸出国だったとか。『ブラジルコーヒーの歴史』堀部洋生(いなほ書房)より。それが、「さび病」でコーヒー果樹大打撃となり、もともと紅茶の国だったイギリスはそれを機にコーヒー豆からお茶の木へ、プランテーション商品作物の一大転換を図ったそうです。頁045。日本山妙法寺の高島上人ごひいきの骨董屋でコーヒー豆輸送にまつわる1865年の英字新聞記事を見つけ、同年コーヒー輸出量が5万トンに達したスリランカコーヒー大増産時代の痕跡と清田さんは感涙します。

で、それとは別に、1995年スリランカ政府が高地貧困地帯振興策としてアラビカコーヒーの栽培を奨励した名残に出会い、フェアトレードとしてその豆を買い付けるようになります。同時に、産業育成としての熱気がまるでない現地に、豆は青い状態で摘まないで赤く熟してからにしてくれ、などなど、育成指導も行うようになります。さすがスリランカ。勝手に作物が実って、高望みしなければ生きていけるので、暑いしやる気がない。小金を持ったら目をつけてきそうな内戦ゲリラもこわいし。

頁053、大丈夫のことをシンハラ語で「ホンダイ」というそうです。覚えられれば覚えたい。頁083でも清田サンはコーヒー豆を選別しないスリランカにいきどおり、

頁085

 意外に思われることだが、清田はスリランカの料理があまり好きではない。

 (略)スパイシーでありながらココナッツミルクのまろやかさもあり、妻や娘たちはスリランカの料理を気に入っている。

 が、清田の口にはどうも合わなかった。ホテルやレストランでは、いつもライオンビールと、辛くないポークチョップばかり食べていた。

 行くたびに落胆させられ、食べ物も口に合わない。観光地にもあまり興味がない。長時間のフライトや車での移動も体にこたえる。

(略)

「何で、言ったとおりにできないんだ。スリランカ人との間にギャップを感じる。スリランカコーヒーの未来が見えない」

(略)

「だったらやめればいいじゃない、誰に強制されてるわけでもなく、好きでやってきたことでしょう? そんなに無理しなくていいんじゃない?」

しかし悪女の深情けでスリランカ行きが止められません。さいわい家族の理解があるので、家を留守にしての格安チケットスリランカ行きは続いたとか。これが金を貸すとかだと、悲惨だろうな。職場に、結婚の約束をした相手に百万以上金を貸して、泥沼状態の人がいて、「ちょっとずつ返してもらってるんだ」と言いながらそれ以上に借金を申し込まれて貸して、日に日にやつれて憔悴してますが、知り合いに貸した金は帰ってこないものと思え、としか言えず、そこまで踏み込んで忠告する勇気をもった人が職場にいないのが現状です。

頁108、清田サンは自力で植えるだけでなく、日本で植樹サポーターを募って、苗木一本一本のオーナーになれます的を始めます。1本千円。法人はひと口10本一万円から出資可能。クラファンのない頃の手法。

頁114、コーヒー豆で電化製品を手にするようになった山間の住人は、くちぐちに「幸せです」という意味の「サントーサイ」と言うようになったとか。もちろん、頁100に、清田サンが持ち込んだ乾燥機などが電力不足で現地稼働でけまへんという東條さち子サンとも共通する描写があるので、家庭用冷蔵庫やテレビが24時間使えてるかは分かりません。また清田サンはちょくちょく村人から電気代をたかられたとか。電気代を払える当てもなく電化製品を買う。ここで、JICAの支援が終わって、前述の生山サンは帰国するのですが、レーヌカという現地日本語講師の女性を伴って帰国したとか。典子サンの逆バージョン有言実行版。

頁116、清田サンは、ブルーマウンテンやキリマンジャロのように、スリランカの標高2243mの霊峰スリーパーダ(仏教徒もヒンディー教徒もイスラム教徒もキリスト教徒も何故か巡礼に來るという)を自身のコーヒーブランドの名称にしますが、頁116、スリランカ政府からその山の名前をブランド名にするのはダメと通達を受けます。せっかくの産業振興なのにという話ですが、たぶん政府関係者とタッグを組んでたらおっけーだったのかな… 富士吉田で中国福建省人がお茶っぱの高地栽培を初めて「富士山凍頂ウーロン茶」の名称で販売するような話かも。

富士茶農業協同組合│静岡県富士市・富士宮市の茶専門の農業協同組合

world-diary.jica.go.jp

富士山キムチ|メニュー|松屋

頁118、東日本大震災の時、スリランカ政府はいち早く支援の手を差し伸べてくれたそうで、約八千万円の義捐金と、紅茶のティーバック三百万個を寄贈してくれたそうです。スマトラ沖地震時に日本が差し伸べてくれた手の御礼だとか。これは知りませんでした。

東條さち子サンのシギリヤのカフェのまんがには具体的に書いてませんが、吉盛真一郎サンがキャンディで開店したカフェはスタッフ全員女性で、それは何故かというと、自殺率世界ワーストワンのスリランカ(2015年)で、特に女性の自殺率が高いので、女性は手に職つけてなんとかせんならんと吉盛サンが考えたからだそうです。やっぱり、仏教って、自殺するんですかねえ。特にスリランカカーストのあるおかしな仏教だし。この店も、共業者のシンハラ人にとられちゃうんだったか、どうだったか。ルッキズムをやっつけるためにスリランカで起業する女性もいますし、そのスリランカで女性の自殺率が高いというのも、錯綜する複雑化した現代文明としか言えません(てきとう)

stantsiya-iriya.hatenablog.com

頁133、清田サンの労力が実って、コーヒー豆がカネになるようになると、今度はスリランカ人のニワカ業者が多数参入し、目利きもなにもでロクでもない豆を買い漁って市場を払底させます。近視眼の悪貨が良貨を駆逐するが始まった。農家は売れればなんでもいいから、ウハウハですね。くちうるさく言われない方がいいに決まってるし。損して得獲れは別世界の話。

頁173、すりらんかこーひーをタップリ砂糖入れて飲んで村人が「ラサイー」ラサイー」とくちぐちにいう場面があります。清田さんは軌道に乗った農業事業に感無類ですが(正しくは感無料)東條さち子サンのまんがにも「ラサイー」は出てきて、スリランカ料理店のオヤジが「ラハイー」と言っていたことのほうが気になってます、私は。

頁196、神原サンと清田サンが、タミル・イーラム解放の虎に翼終焉の地、さいごのひとり迄ぬっころされたジャフナを訪れる場面があります。まあ、ハマスは同じような終焉を迎えそうにないですが、それは、民間人を人間の盾にするかしないかの人道的なモラルがLTTEにはあったがハマスにはないというだけの話だと思います。あと国際的な反政府勢力支援の力量差。

本書にも、サンフランシスコ講和会議で米英中ソの日本分割占領案に異議を唱えたジャヤワルダナ大臣のエピソードが出ます。頁202。彼がスリランカの賠償を放棄したことで、続々と賠償放棄した国が続いたそうです。本書によると、ジャヤワルダナ大臣は1996年逝去の際、自分の角膜を右目はスリランカ人に、左目は日本人へ手術移植を希望し、遺言どおり彼の左目の角膜は日本人患者に移植されたそうです。これは、『やさしい猫』*4には書いてなかったかな。で、今でもスリランカの眼献協会はスリランカ人の角膜を無償で国内外に提供し、日本への提供例も三百近くにのぼるそうです。

本書のレビューで目を引いたのは、邦人の現地農業支援は死屍累々、多くは定年退職後で、その人の志が折れるか資金が尽きるかいのちが燃え尽きると、けっきょく元の黙阿弥になることばかりで、本書は数少ない成功例だという感想。清田サンはご高齢ですが、熊本のお店を引き継いでる息子さん夫婦や、現地駐在の娘さんなどの見ても、気を抜くとすぐ、もとの熱帯無気力気候にあともどりの危険性をはらんでおり、けして手放しでオーチンハラショーとばかりは言ってられなそうなのですが、それでもここまでの道のりに、エールを送ることにはやぶさかでないと思いました。えらそうだなやぶさかとか。以上です。