"PILAK NA BUWAN. Resume ng 28 taong gulang, bilang isang babae at isang ina." Isinulat ni Ruby Moreno『銀色の月 28歳の履歴書、女として、母として。』ルビー・モレノ 読了

なんとなく図書館でこの人の名前で検索したら、出てきた本。図書館本なのにすごく煙草くさかったです。タバコのにおいが染みついた本の寄贈だったのか。

本書がなぜ図書館にずっと所蔵され続けることが出来たのかというと、娘さんが脳性麻痺なので、その家族の記録のひとつとして、蔵書の必要ありと判断されたからでしょう。本書刊行1994年の五年後1999年に立風書房から『悲しい国、ニッポン』という、題名とその時の状況から推測するに、本書より恨み節の強そうな本を出してますが、そっちは蔵書なしでした。本書は明るい終わり方をしているので読後感はいいです。でもその後の人生を検索で知ることが出来るので、その後も仕事で同じことを繰り返してることも分かります。

装幀●廣村正彰

グーグル英訳:"SILVER MOON. A 28-Year-Old's Resume As a Woman And a Mother."

表題に置いたのはグーグル翻訳タガログ語。レジュメという英単語がタガログ語に入ってることが分かります。日本語にも入ってますが、履歴書の意味はなく、ただたんに会議用の紙の資料、それもホチキスで止めてるようなアレ、を指してると思います。サマリやアジェンダの意味まで込めて使ってるとは思えない。同様に、パワポを印刷しただけの資料はレジュメとは呼ばない気瓦斯。

www.iwanami.co.jp

銀色の月 | NDLサーチ | 国立国会図書館

ルビー・モレノ - Wikipedia

Ruby Moreno - Wikipedia, ang malayang ensiklopedya

Ruby Moreno - Wikipedia

英語版だけ、「毛麗野」という漢字苗字が書いてありますが、ホントかどうか分かりません。ヘアヌードを揶揄したウィキペディアへのイタズラかもしれないなんて思ったりもします。

特に出身地等がウィキペディアにも書いていないのですが、本書によると、出身はマニラ近郊のラス・ピニャスという街だとか。

[http://:title]

ラスピニャス - Wikipedia

世界で唯一竹で作られたパイプオルガンのある教会があることで知られる街だとか。

ラスピニャス教会の魅力・地図・行き方【JTB】

竹を使った「バンブーオルガン」で有名。メトロ・マニラからタガイタイ方面に行く途中にあるので、タガイタイ観光のツアーでジプニー工場とセットで立ち寄ることが多い。

娘さんの病気である脳性麻痺の検索結果も貼っておきます。

脳性麻痺 / Cerebral Palsy - Christopher & Dana Reeve Foundation

脳性麻痺 - Wikipedia

下記は今年6月のデイリー新潮の記事。稲川素子社長逝去にあわせた過去記事再編集再掲。

www.dailyshincho.jp

左は裏表紙。写真はいっさいありません。ぶんか社的には欲しかったと思いますが… 写真集をバーターで出したのかというと、写真集は勁文社というところからで、けっきょくこういうの一個一個なんだろうなと思いました。

父親が軍人で、

(1)

兄も軍人となって中国系とのハーフと結婚し、のちには米国に移住したとあるので、なんで兄は仕送りしないの? と思いました。フィリピンパブ嬢の経済学を読むと、フィリピン人の技能実習生(男性)もけっこう来日していて、斡旋する人材会社でハーフの青年がタガログ語を生かして働いていたりする話が出るのですが(その人は最初からタガログ語を話したわけでなく、ある程度大きくなってから頑張って覚えた)仕送り額が多くないからか、配偶者とその家族を巻き込まないからか、あまり話題にならないと思います。男性は別に家庭を持つから免除されるわけでもないと思うんですが、なんだかなあ。女性の場合配偶者がエラい目に遭ったりするわけですが、男性の配偶者は強い? 

(2)

長男をフィリピンで出産する際、認知は出来ないが費用は送るので教えてほしいとパートナーの母親から手紙が来るくだり(頁46)と、出産費用をあがなうためルビーサンの実母がテレビやらなにやら家の家電製品を売りまくる場面(頁55)の整合性が取れないと思いました。金額を連絡するのを失念していて、それで直前にドタバタしまくったのかと推測します。その後パートナーはマニラに来るのですが、その際立て替えられた費用を払ったりしたのかの記述がありません。その後結婚するわけなので、そういうことはあとあとがあるのでキッチリしないとという考えから、払ってると思うのですが、書いてない。いや結構ですと武士は食わねど高楊枝で断ったとも思えず、かといって払ってもらったのにそれを書かないと、相手に失礼ですよね。そういうことの連続と思うと、フィリピン経済が見えない華僑と居座り続けるスペイン系と米国人に牛耳られたままとしても、やんぬるかな、おえんという。背筋にものさしでも差し込んで、ピンシャンとせなあかん。

左は中表紙。

(3)

障害を持った子を持った時、インテリほどよわいとは教育学でよく言われることですが、マニラの実家に預けたルビーサンのそれは、つよいわけでもないと思いました。むしろ、ちがうはちがうのですが、大江健三郎サンの受け止め方は立派だったなと考えを改めたです。ルビーサンはプレゼントはたくさんあげるのですが、日本の病院で同じ子どもたちにつらい、苦しい顔をさせてもリハビリ訓練をさせて将来に備えるのにそれをわが子にさせず、スキップしたり。

子どもをフィリピンに預けることで、大学秘書科を中退してブラブラしたあと近所の凱旋帰国組を見てころっとその気になってタレントビザで日本に行ったルビーサンと、軍人の妻として六人(死別した子も入れると八人)の子を育て上げた母との関係が少し縮まった、とルビーサンは書いてるのですが、なんというか、距離が開いたことをそもそも気にしすぎというか、そうなるの分かってなかったの?分かってての覚悟がなぜなかったの? ときびしいことを言われてしまうだろうなと思いました。この本はそういうことが多い。甘いというか、なんというか。私はそれをカトリシズムに由来するのかと思ってしまうのですが、家族との関係性を見ると、個人の属性という一面もあるんでしょうね。『フィリピンパブ嬢の社会学』映画化で、コピーが「大丈夫、なんとかなるよ」なのですが、なんともならないのになんとかなるわけがない。フィリピンはアジアでなくラテンアメリカとよく言われますが、イタリアやブラジルが、表面的な明るさの裏でものすごく暗い内面を宿していて、それを彼らは言語化出来るのですが、フィリピンは言語化出来ず、覚せい剤に行ったりしてしまう気がします。その意味で、制度はラテンだが、メスティーソも新大陸のメスティーソとはちがうし、内面はマレー世界のまま一歩も進んでない、かもしれない。そしてそのマレー世界の内面を、スペイン語や英語はおろか、ピリピノ諸語でも表現出来ず(カトリシズムとバッティングするので)その苦悩が、浅薄な表面性となって他者の前に顕現するとしたら。

(4)

料理はヘタだそうで、まあうまいにこしたことはないのですが、それはしかたないと。頁67にサンシャドーという料理が出て、「スライスしたニンニクと豚肉とオニオンを炒め、そこに熟したトマトを加えてさらに炒め、塩コショウで味つけしただけの料理」とのことでしたが、知らないので"sunshadow dish philippines"で検索しましたが、何も出ませんでした。残念閔子騫

〈総括〉

この人はそっとしておくのがいいのでしょうが、愛嬌もある人ですし、何度人を裏切っても手を差し伸べてくれる人がいるんでしょうし、それは悪いことではないのですが、いい人ばかりとは限らないので、「美人は頭がよくないと必ず騙されて悲惨な人生を送るポテンシャルがある」という俗説が当てはまるのかもしれないと思いました。カソリックやめてプロテスタントやバリック・イスラムになってみるというのはどうでしょうか。ダメか。以上