"Sosyolohiya ng Filipino Pub Girls" / "Sosyolohiya sa Filipino Pub Girls" / "Sosiolohia dagiti Pilipino a Babbalasitang iti Pub"『フィリピンパブ嬢の社会学』中島弘象(新潮新書)"Sociology of Filipino Pub Girls" by NAKASHIMA KŌSHŌ〈SHINCHŌ SHINSHO〉読了

室橋裕和サン*1の昨年の川口クルド人ルポを再読して、はやくこの人トルコの供給地に行ってルポ書いてくれないかな、でもカレー本が五刷と好調だそうだからやらないんだろうな、トルコの専門家でもないし。その辺が、この人の師匠?の下川裕治サンと似て、限界までどう突っ込むかでなく、ここで止めておいてどううまく見せるか、的な芸の人ってことなのかなあと(あんこのナンとかどうでもいいじゃん)水谷竹秀サンや安田峰俊サンとの違いに思いを馳せつつ、ぱらぱらとネットで室橋裕和サンのほかの記事を見ていて、目に留まったのが本書の続刊の書評。書評三連発みたいのを読んだのですが、それは今見つからず、内容が同じのが下記だったので、下記を置きます。

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(略)中島さんとミカさんはヤクザの監視の目を盗みながら、というややリスキーな状況下ながら年相応にデートを楽しみ、お互いに気持ちを育んでいく。何度パブに通い詰めても「店外デート」にありつけないおじさんたちは『社会学』を読んでさぞ悔しがったことだろう。

 いつしかミカさんに食わせてもらう立場となった中島さんの「ヒモ」ライフ、交際に猛反対する中島さんの母、ミカさんの雇い主であるヤクザとの対決……(略)

先日読んだティーンズロード初代編集長の人*2もフィピリンパブ狂いだそうで、フィリピンパブに癒しを求める中高年男性垂涎の書とあれば、これは読まなければいけないなと思って読みました。

もっとも、私は、フィリピンには行ったこともないし、昨年も長野県上田市で、タイ語といえば「サバーイ、サバーイ」オンリーで、辛いのダメ、パクチーもダメ、でもタイ人女性に惹かれてタイ料理店に通う邦人老人(たぶん若い頃は日本の現場で半年稼いでバンコクで半年オネーチャンと円高ライフを送っていたような人)を見て、メンダー(タガメ)食えとはいわないが、もっとディープに行けばいいのにはがゆい、と思うような人間ですので、そういう視点です。

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映画化されたそうですが、う~ん、未見ながら、ルビー・モレノがいた時代や、万福寺シネマ「妻はフィリピーナ」(第四回東スポ映画大賞)の衝撃度を知っているので、そこまでのレベルでないと辛い点をつけてしまいそうな自分がいます。

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どこで松本サンとナカシマサンが知り合ったかというとピースボート(笑)で、松本さんはピースボートの船内講座講師だったそうです。カラシニコフも辻元はんの飯を食う。ナカシマサンは院卒就活に失敗した時、大学院の指導教官からピースボートでも乗って来なはれと言われて乗船したとか。あのポスターを三枚貼ると千円運賃が割引になり、四千枚貼るとタダになるとか。それであんなにあちこちにポスターが貼ってあるんですね。もちろん飲食店など、人の集まるところに貼らねばいけないそうで、竹林や河川敷、耕作放棄地に貼ってもだめみたいです。山手線に「アベヤメロ」と一緒に貼ったりするのもたぶんダメです。

私はピースボートはお仕着せの寄港地ですし、現地アテンドが旅行者とふれあう現地人の取捨選択で暗躍したり、乗客に朝生の見過ぎみたいな論争好きな中高年がいると聞き、じゃあいいやと思ったですが(論争好きは時折ドミトリーで出っくわすだけでじゅうぶん)ナカシマサンの指導教官はどこまでそういうの分かったうえで彼にサゼスチョンしたのか。もちろん結果的には大成功だったわけですが、それもこれも、彼がその若さで、

頁237「解説的なあとがき」松本仁一

(略)しかし、本当の苦労は、子どもが生まれるこれからだということを、二人は覚悟しなければなるまい。そしてさらなる問題はミカさんのフィリピンの家族のことだ。フィリピンでは、日本人はすべて金持ちとみなされる。いくら金を無心してもいい存在なのだ。これからもミカさんは仕送りを続けなければならないし、二人が稼いだ収入の多くが、ブラックホールのように吸い込まれていかないとはかぎらない。(略)

このような境遇が松本サンにはダイヤの原石に見えたからですので、同様の飛び道具を持ってる人は、ホリエモン前澤友作サンのアントレプレナーナントカで出資者をつのるのと同じノリで乗船してみたらいいのかも、とは口が裂けても言えない気もします。

なにしろ今ではフィリピンパブというのは斜陽産業で、かつてタレント興行ビザで入国出来た時代から居続けているホステスサンとその客がそのまま年輪を経て年老いているだけの世界、なんだそうで、国際人身売買とかいわれてタレントビザ一斉配給停止以降は、新しい血を入れるには偽装結婚して配偶者ビザで入国するくらいしか手がなく、それもけっこうお金がかかって、ひとり入国させるのに百万日元はかかるので、それで、本書でもお店の経営者としてナカシマサンに因果を含める店長さんは実は本職の極道ではなく、本職にフィリピンパブは儲かるともちかけられてケツの毛までむしられて飛んでしまう裏家業の職人さんだった、そうです。小金持ってるとそういう危険もあるんですね。おそろしい。ただ、フィリピン人女性がアパートにツバメをくわえこんでないか見張り役をする初老の人は、本職のように見えました。暴対法施行後だからこういう対応だったのか、押し入れに潜んでいたのがナカシマサンでなく、手が早いフィリピン人男性だったらケガするかもしれないので、余裕のあるところを見せて見逃してくれたのか、どっちだったのか。

それでまあ、なんで今は円安になる前からトーヨコで日本人の立ちんぼなんかがいる時代になったのかなあというと、ひとり百万円出して東南アジアから女性を連れてくるより、ホストの甘言で邦人を苦界に身を落とさせる方が効率もコスパもいいからなんでしょうね。インバウンドユーチューバーが国際人身売買っぽい絵図をキリトリ実況しまくるのもいやだろうし。だいたいフィリピンにブラックホールのように吸い込まれるのと、パパ活頂き女子に吸い込まれてホストの売り上げになるのと、どっちがましなのか(どっちもダメです)国際ロマンス詐欺なんていう、さらにその上を行く毟り方もあるようですが…

読んでいて、ふと疑問だったのが、偽装結婚を何度も繰り返す役割を割り振られている邦人男性。何度も外国人女性と結婚しちゃあ離婚を繰り返してたら、結婚しても配偶者の女性にビザ下りないと思うんですが、どうでしょうか。どうもここは、もっとほんとは深いのだが書けない、気瓦斯。名古屋入管といえば例のスリランカ女性ヴィシュマサンですので、DV理由の難民申請が認められたら、ひとり百万の偽装結婚よりはるかにコスパもいいだろうな、だいたいそういうブレイクスルー、パラダイムシフトは、最初はほんもの、ほんとうに困ってる人で、それが認められてから本格始動体制整備のあいだのナイスドサクサに魑魅魍魎が入り混じる。震災被災地のボランティア第一陣と四トントラックレンタカーの火事場泥棒が交錯する瞬間。結婚離婚を周期的に繰り返すヤカラの新しいツレに、そんなホイホイ配偶者ビザ交付されるものかと眉唾だったので、名古屋ということもあり、想像が膨らみました。

頁156、日本で出稼ぎがどんな仕事をして仕送りを送って来るのか見て見ぬふりして日々タカリに精を出す故郷の家族に、フィリピーナは見栄も恥もあるのでほんとのことを言えず、じゃあ替わってタガログ語の話せる日本人インテリがあらいざらい話して、それでもまだたかるのか、お前らの血は何色だーっ、とやる場面があります。フィリピンの家族は不機嫌になり、逆ギレしておしまい。アホかという。カソリックってのもあるんですかねえ。マックス・ウェーバーの本をフィリピン人はどういう思いで読むんだろう。

頁97、同棲で彼女が作る料理がアドボ(肉の砂糖醤油煮)やシニガンタマリンドですっぱく味付けしたスープ)で、そういう料理名を一度もフィリピンに行ったことがないのに覚えた自分が誇らしいです。現地で宴会で出るパンスィット・ビーフンも分かった。しかし、このページで、ワンプレートによそられた料理とおかずを、彼女たちが指でまぜながら手食するとあったのには目からうろこでした。タイやインドネシアも田舎では手食と聞きますが、フィリピンもそうなんですねえ。箸が普及してるのはベトナムくらいなのか。それって、トイレが水か紙かとも呼応してる気瓦斯。いやフィリピンは水じゃないだろうな。等々、考えてしまったです。

頁92、ナカシマサンの友人の日本人や、大学のフィールドワークで知り合った在日歴の長いフィリピン人が、彼女のフィリピーナをタカリだだましだと信用しないのと同様に、彼女の周りのフィリピーナもフィリピーナに不自然に接近するナカシマサンを信用せず、「日本人悪い人いっぱい。あなたのことも信用しない」「ちょっとでもミカに悪い事したら、絶対に許さないよ」だったそうです。まあ、寄ってくる人に悪い人は多い。どこでも誰でも。ナカシマサンはタガログ語が話せる「いいひと」©高橋しんですが、『愛しのアイリーン*5に出てくる唯一タガログ語が堪能な邦人は、フィリピン人妻を寝取ってフィリピンパブに売り飛ばす女衒です。しかもLGBTQ?の「B」で、フィリピン人青年に掘られるのが好き。

彼女の偽装結婚相手は彼女に手を出そうとしたこともあったそうで、彼女がそれを店長にチクると、偽装結婚相手は店長の舎弟だったので、店長からどつかれてしばかれて、以後同居してても目をあわさない仲になったとか。頁90。ここもおもしろかったです。店長が本職でなく、本職にしゃぶられて消える人だと後で分かった時に、こういう場面がひとつひとつフラッシュバックする。

頁84、そういう偽装結婚相手もありながら、さらに彼女には故郷にエンレンのシーカレもいたという。これはほんまに恋仇。ナカシマサンのほうが寝取る立場で、ルソン島パンパンガ州サンフェルナンド市のシーカレはネトラレ。

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頁75

「あなたは大学で本読んで考えただけ。私は働いて考えてる。だから私の方が分かる。私のマネージャーはヤクザだけど優しいよ。(略)だから私はマネージャーのこと信用している」

だからその人は本職でなく、本職にしゃぶりつくされてる人なんですよ、って。

本書にはナカシマサンのジョーカノとその姉にたかられてるフィリピンパブの常連邦人も出ますが、ほんとたかり方えげつないです。帰郷の飛行機(格安)に乗り遅れたら買い直すチケット代とかぜんぶたかる。この人手も出さないでよくこんな金出すなと思ったら、本格的に身請けの申し入れをしてきて、即座に拒否するともう来店しなくなっておしまい。頂き女子を刺しに行った人の話など考えると、フィリピンパブのお客は人間が出来てるんだかそうではなくほんとは悪い人だがその片鱗を見せられず物語から退場してるだけなのか。

新潮新書 Brevity is the soul of wit, and tediousness the limbs and outward flourishes. 中島弘象 NAKASHIMA Kosho

ナガシマサンでなくナカシマサンなのは表紙から。

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日本語:『フィリピンパブ嬢の社会学

英語:"Sociology of Filipino Pub Girls" フィリピーノと男性形でもガールズ。

タガログ語:"Sosyolohiya ng Filipino Pub Girls"

セブアノ語:"Sosyolohiya sa Filipino Pub Girls"

イロカノ語:"Sosiolohia dagiti Pilipino a Babbalasitang iti Pub"

グーグル翻訳で出るフィリピンの言語は上記三つ。ビサヤ語はセブアノ語と、大阪岸和田弁と広義の近畿弁くらいの関係だそうで、本書で主人公らが頻発するのはタガログ語です。

続刊では待望の妊娠出産育児編になるそうで、誰もが予想するとおり、ナカシマサンのおかん大活躍するそうです。そこまでならいいのですが、それで日本の行政やら母子手帳やら補助やらが外国人に分かりやすくないことへの抗議という感じになってたりもしそうですので、そうすると「そうまでしてもこの国にいてもらわなくていいです」「自分の国でやってけさい」とかいろいろ反論が出そうに思います。先日川崎のコリアンタウンの話を知人としていた時、自分は外国人地域に行くとヘイトと間違われることがあり、写真など撮っていると、その目的を疑われるのか、厳しい視線や声をかけられることがある、というと、「分かります、ヘイトそのままの外見ですやん」と言われて深く傷つきはしなかったですが、そう見えて実はいい人というアピールをして相手にガードを解かせると、次に私に似た外見でただのヘイトのひとが来た時、なまじガードを解いたばかりにチンやらレバーやらにクリーンヒットを浴びせられ続けそうで、それもいかんので特に弁明はしないでおこうと思います。以上