『アシェンデン』サマセット・モーム作 "Ashenden: Or the British Agent" by W. Somerset Maugham(ハヤカワポケットミステリ)(岩波文庫)読了

チベットの薔薇』解説に出て来た本。英国諜報員しばりで、比較対象として挙げられてたのかな。

最初は新潮文庫旧訳で読もうかと思ったのですが、二分冊の二冊目しかないので、返却しました。河野一郎訳となってますが、ごまめのオジイサンが訳したわけではないと思います。新自由クラブ

アシェンデン - Wikipedia

新潮旧訳はちくま文庫になったそうで、しかしそれも図書館にないので考えるのをやめ、篠原慎という人の角川文庫もないし、金原瑞人訳の新潮新訳もないので考えるのをやめています。

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カバー 中野達彦

岩波文庫は中島賢二という人が訳しかけて体調がアレになったので、岡田久雄サンという旧友の元アサッシン聞社社員の人が手伝って仕上げたそうで、岡田サン自身もフィリピンのマニラで駐在やってた時、ソ連大使館員と仲良かったが、最後に先方から要求されてきたことが受けるわけにはいかないレイヤーの案件だったので、日頃の恩とごっちゃにせず、スッパリ断ったそうで、それは何かというと、「ペーパーを書く」行為だそうで、その意味が分かりませんでした。検索しても「リアクションペーパーを書く」「海外駐在とペーパードライバー」しか出なかった。

また、岡田サンは、本書後半の、ロシア革命パートで筆がブレまくった件について、チャーチル首相が公務員の守秘義務違反に抵触すると指摘したため内容が一部破棄され、現行の公開バージョンとなった説を開陳しており、それはそれで成る程と思いました。

でまあ、いちばん最初の邦訳、1961年のハヤカワのポケミス版、現在は上記で電子版が出てるんですが、これが1999年に再版されており、それが借りれて、とても読みやすかったので、読みました。

「日本人は英語を書く」(書くかなあ。モームは、昔の、新渡戸稲造とかそういうスーパー通詞日本人しか知らなかったのかもしれません)と、別の箇所、シベリア横断には十日かかる、に、鉛筆で線が引かれてました。

装幀 上泉秀俊

スパイと小説家兼業というと、『たった一つの冴えたやり方』のジェイムズ・ティプトリー・ジュニアと、あと誰だっけ、いたと思うのですが、モームっていう人は、よく分からないので、よく分かりません。代表作『悲しみよこんにちはからしてよく分かりませんが、『悲しみよこんにちは』はモームでなくサガンでした。月と六文銭

アシェンデンは、前半が第一世界大戦の英独諜報戦に関するもので、舞台はフランス国境沿いのスイスが多いです。後半がロシア革命で、最初はX国などとマスクしてますが、すぐケレンスキーなど実在の人物名が出て、なんだそれになります。オチてないと言う人もいましたが、私はオチてると思います。

ポケミス加島祥造サン訳は、今ではギャラリーフェイクのフジタしかしゃべらないとされる、「~いるんですぜ」も使うし、「~ばかりなんでさあ」も使います。いや、よかった。

左は岩波文庫の、教養がありすぎるドイツ婦人のくだりなんですが、原文は「口ずさんだ詩の後に続く二行を唱えて」(岩波)「彼の引用した詩の次の二行を吟誦して」(早川)だけしか書いてません。その書いてない二行をわざわざ注釈してやる必要もないのではないかと思いました。その手の、かゆくないところに手が届くようなマネは、モーム好きチガウんじゃいかと思います。

モームは、そんなことするより、熱い湯船に浸かるほうが好きなはず。

読んでて、いちばん加島祥造サン訳にヤラレタと思ったのが、アナスターシャ・アレクサンドローヴナとアシェンデンサンの恋の日々のエピソード、「炒り玉子がいいの」「炒り玉子」「今日もそれにするの」の部分で、ここはすばらしかったです。中島賢二サン訳の「スクランブルエッグにするわ」だと、どうにもコケットリーな感じが出ない。じっさいには諸般の事情から別れたはずなのですが、強引に、アナスターシャ・アレクサンドローヴナがあまりに毎朝炒り玉子に固執し、アシェンデンサンにもそれを強要したことから別れたことになっており、やせ我慢もいいところだと思いました。頁258、かつての恋人に動乱の革命のさなか再会したアシェンデンサンは、彼女の新しい礼賛者(既婚者)に対し、「あの女にホレるなよ、危険ですぜ」と言い、それでも礼賛者が礼賛をやめないので、「炒り玉子でも喰べましょうかな」と動揺して言ってしまいます。ここもよかった。

前半は、ここまでくだけた感じはなく、頁126「アブソリュートリー、って、どんな綴り?」と尋ねる女性のあざとい性格など、絶対こしらえものだと思ったです。アナスターシャ・アレクサンドローヴナの炒り玉子もまた、チャーチルの指示による守秘義務違反の破棄を受けていたとするなら、完全版が読みたかったなと思いました。加島サンはあとがきで、モームに関しては、『剃刀の刃』という後年の作品が、一気に読ませるような力はないが、モームと言う人間を理解する上で、じゅうようかもねと書いていて、読んでみます。

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以上