『対訳モーム4 サミング・アップ|作家の手帳|』SOMERSET MAUGHAM-4 "ACKNOWLEDGMENT SELECTED FROM 〈THE SUMMING UP〉AND 〈A WRITER'S NOTEBOOK〉" 八木毅・後藤光康=訳注(南雲堂版英和対訳・現代作家シリーズ 22)全書版_読了

アーサー・C・クラークサンのエッセー*1を読んでいて、作家志望の読者からよく、作家になりたい人は何を読んだらいいでしょうかと聞かれた時、これでも読めばぁ~とクラークサンが答えるのがモームの『作家の手帳』だそうなので読みました。まったくもってクラークサンの回答は単なるイングリッシュジョークで、相手に親身になった回答ではないことがよく分かる内容でした、『作家の手帳』というエッセー集は。

「サマサガジョチ?(ごはん食べに行くの?)」「コルガンジョチ(さんぽに行くの)」初級チベット語会話(たぶんアムド編)

対訳モーム 4 (現代作家シリーズ ; 22) | NDLサーチ | 国立国会図書館

読んだのは南雲堂の対訳シリーズというやつで、そんなものがあることを初めて知りました。どう考えても英文科の生徒が英訳和訳のチートとして使う本という感じで、八木サンの「まえがき」によると、サミング・アップは全77章あるうちの23章を抜粋したとのこと。『作家の手帳』は後藤サンが抜粋も何もやったので、そっちにおまかせだが、英語学の人が手掛けただけのことはあるという仕上がりになっていると「信ずる」そうです。鰯の頭。

どちらも新潮社のモーム全集で中村能三サンと中村佐喜子サンの訳が出ていて、本書はそちらも目を通して、使えるところは使ったと書いてます(ので謝辞あり)ほんとはそっちが読みたかったのですが、手近な図書館に新潮社版がなく、これがあったので借りました。

1959年1月20日 1刷 1986年3月20日 58刷

かつてはこのシリーズは南雲堂さんのドル箱だったのか、こんなマイナーな作品集だけで58刷もしてます。読んだのはそのバブル前期の版。英文学科向けなのか、妙にマニアックなラインナップで、対訳アン・ポーターがあったり(スペイン風邪を文学に書き残した希少な作家さん)対訳ギャステルとか対訳クレインとか対訳ジェイムズ、対訳スノー(エドハーではない)対訳リンドとか対訳ラッセルとか、誰ならの世界でした。

私も原典購読でG・ギッシングの『ヘンリ・ライクロフトの私記』を読まされた時は、岩波文庫を神保町で買い求めて、それを読んで分かったつもりでいましたが、今回は右ページに邦文と訳注、左ページに英文という併記構成ですので、ぱっとまるわかりでヤンス、と思いきや、どの単語も意味が分からず、おかしいなあ、むかしやはり原典購読で角川文庫の『平家物語』を読んだ時は、手書きのかな文字でないかったのですらすら読めて、「ひやうふつとぞいぬきける」とか「なむはちまんだいぼさつ、につくわうのごんげん」とか、中学の時に覚えたなあと懐かしかったのですが、英語だとサッパリサッパリだな、一点儿都チンプンカンプンと思いました。

那須与一がんばれ!!!

おごれるひとはひさしからず。たけきひともつひにはほろびぬ。

それでまあがんばって両方眼を通しながら読もうと思ったのですが、歳を越しても数ページしか読み進めず、熱で寝込んだりしたので、もういいやで和文だけ読みました。

「対訳」の英文などは上記奥付から。

サミンガップは1938年、モームサン64歳の時の随想録で、作家の手帳は、1949年出版ですが、いろんな時期に書いた文字通りメモを活字に起こしただけの本で、内容はスラップスティックです。

The Summing Up by W. Somerset Maugham, from Project Gutenberg Canada

To my mind King James's Bible has been a very harmful influence on English prose. I am not so stupid as to deny its great beauty. It is majestical. But the Bible is an oriental book. Its alien imagery has nothing to do with us. Those hyperboles, those luscious metaphors, are foreign to our genius. I cannot but think that not the least of the misfortunes that the Secession from Rome brought upon the spiritual life of our country is that this work for so long a period became the daily, and with many the only, reading of our people. (omission)Blunt Englishmen twisted their tongues to speak like Hebrew prophets. (omission)

頁51

欽定英訳聖書は英語の散文に非常に有害な影響をあたえたと私は思っている。と言っても私は、そのすぐれた美しさを否定するほど馬鹿ではない。それは堂々としたものである。だが、聖書はもともと東洋の経典だ。その異質な比喩表現はわれわれには何の関係もないものである。その誇張法、そのあくどい隠喩は、われわれの精神には無縁である。ローマ法王からの離脱によってわが国の精神生活がこうむった少なからぬ不幸は、この書が、非常に長い期間にわたって、わが国民の日ごとの、そして多くの人々にとっては唯一の、読み物になったことだと、私は思わざるを得ない。(略)ぶっきらぼうなイギリス人がその舌をもつらせて、ヘブライの予言者たちのような話し方をしたのである。

The Summing Up by W. Somerset Maugham, from Project Gutenberg Canada

 I think no one in France now writes more admirably than Colette, and such is the ease of her expression that you cannot bring yourself to believe that she takes any trouble over it. I am told that there are pianists who have a natural technique so that they can play in a manner that most executants can achieve only as the result of unremitting toil, and I am willing to believe that there are writers who are equally fortunate. Among them I was much inclined to place Colette. I asked her. I was exceedingly surprised to hear that she wrote everything over and over again. She told me that she would often spend a whole morning working upon a single page. (omission)

頁67

現在のフランスでコレットほど見事な書き方をしている人はいないと私は思っている。彼女の表現ぶりは実にすらすらとしているので、表現の上で苦労をしているとはとても思えないほどである。ピアニストの中には生れつき巧みな演奏法を心得ている者があり、多くの名演奏家が絶え間のない努力のあげくようやくなし得るような技法で、はじめから演奏できると聞いている。私はコレットをも大いにそういう天才の中に数えたいと思った。私は彼女に聞いてみた。ところが、彼女はどの作品をも何度も何度も書き直すのだと聞いて、非常におどろいたのであった。彼女はたった一ページを書くのに午前中をまるつぶしにすることがよくあると語ったのである。(後略)

"A Writer's Notebook"は、うまいことロハでウェブに転がってる電子版が見つけられませんでした。

頁171

そこでジュール・ルナールの書いた唯一のよい小説は、自己憐憫の激情と母親に対して抱いた憎しみとが、彼の不幸な幼年時代の回想を憎悪で満たした時に出来上がったものであった。

In order to give the glow of life to brute fact it must be transmuted by passion, and so the only good novel Jules Renard wrote was when the passion of self-pity and the hatred he felt for his mother chaeged his recollextions of his unhapppy childhood with venom.

よりによって『作家の手帳』本書収録の最後の話は、禁酒運動家の隠れ酒の話です。"temperance lecture" 以上