『まばたきとはばたき』"BLINLKING and FLAPPING" YASUHIRO SUZUKI 読了

これもビッグコミックオリジナル連載『前科者』に出てきた本。ほぼ日英両文併記に近いのですが、完全に両文併記ではありません。また、それにまつわるもろもろのことが気になって気になって、アート自体よりそっちへの引っかかりで、読後、徒労感と焦燥感がすこおしありました。なんでこうなってるんだろう。

www.seigensha.com

上の青幻舎公式サイトも日英両文併記。この出版社のほかの本はそういう表現をしていませんので、作者の出版物だけの扱いです。

作者の公式サイトも完全に日本語版と英語版がきっちり作りこまれており、ふつうは展覧会でも出版社でも、英語サイトになるとほぼほぼトップページと幾つかのメイン以外何もないのが常なのですが、この人はそういうことはないみたいです。

境界線を引く鉛筆 | Yasuhiro Suzuki

Pencil to Draw Boundaries | Yasuhiro Suzuki

上は、「境界線を引く鉛筆」”Pencil to Draw Boundaries”という、本書では頁70から始まる作品のページ。ちゃんと日英両方あります。

https://www.kamigu.jp/category/select/cid/372/pid/9941

上は、それを商品化した物販サイトですが、外部のサイトなので、出版社とちごて、まだそこまで手が回ってないのか、日本語だけです。英語つけると、海外発送どないしはんにゃ、みたいな話があるのかも。

鈴木康広 - Wikipedia

作者のウィキペディアは日本語しかありませんが、作者が作ってるわけでもないので、そういうことで。

最初は、作者自身が、英訳までやってるのかなと思ってたです。細かいニュアンスや、主語を省く日本語から、主語がないと話にならない英語へのトランスレートに伴う「圧」の変化、納得のいく単語チョイス、etc. どれをとっても、作者本人が絡まないと1mmも進まない。

2002年からずっと、東大先端研と切れない関係のようなので、その辺は、出来る人なんだろうと。海外での展覧会も、オーストリア、韓国、オランダ、米国、イタリア、フランス、台湾、中国、イスラエルと手広く参加されてますし、そのへんのメソッドはあるんだろうなと。

本書には、下記の方々の寄稿文が掲載されているのですが、それも全部日英両文併記です。こうなると、もう一冊、英語版を作るのと、同じ工数がかかってるとしか思えなくなりました。

グラフィックデザイナー原研哉サン『それは数式のように生長している』"Art that Grows with the Beauty of a Mathematical Formula" KENYA HARA Graphic Designer、

脳科学茂木健一郎サン『生命の光源』"The Light Source of Life" KENICHIRO MOGI Brain Scientist、

写真家川内倫子サン『シンプルな疑問』"A Simple Question" RINKO KAWAUCHI Photographer、

原美術館主任学芸員(当時)青野和子サン『鈴木康広と《募金箱「泉」》をめぐって…』"Thoughts on Yasuhiro Suzuki and "Donation Box Called Well" KAZUKO AONO Curator, Hara Museum of Contemporary Art、

下記の方々、特に編集者がどこまで関与されてるかも知りたいところだと思いました。ページノンブルだけ、、珍しく英文しか書いてません。そのページの作品名と、見開き両頁のノンブルが、各右側のページに英語だけで書かれています。これは、装丁屋さんの考えでしょうか。

デザイン 原研哉+美馬英二(日本デザインセンター)
編集 森かおる(青幻舎)

本書は大量のイラストが散りばめられているのですが、そのイラストに添えられた手書き文字は、日本語だけです。公式サイトの、"Yasuhiko Suzuki. All Right Reserved. "は手書きの英文ですので、本書でもやろうと思えば、手書き文の日英両文併記出来るはずですが、時間がなかったのでしょうか。

と、ここまでは好意的に読んでいたのですが、各位寄稿文の後の、作品リストと謝辞が邦文しかないので、???となりました。作品リストなんて、引き写すだけなのに、なんでここは英文つけないのか。

その後に、プロフィールや参加した展覧会、主な受賞歴が書いてあり、これは日英両文です。なんでその前の作品リストと謝辞には英文がないのか、不思議に思えました。時間がなかったのでしょうか。

そしてその後、やはり日英両文で奥付が書かれているのですが、ここで、「翻訳 薮下リンダ(JEX Limited) Translater Linda Yabushita(JEX Limited)」と書いてあり、

①作者本人でなく訳者がいて、その人が英訳していた

可能性が高いことに気づきました。で、この薮下リンダサンの名前が、謝辞にないんですね。多くの作品を撮影された写真家の川内倫子サン(各写真のキャプションの撮影者名も英文のみで、Kawauchi Rinko を最初Kawachi RInko、河内のオッサンの倫子サンというふうに読み違えて、ごく親しい間柄なのかと勝手に誤解してました)青幻舎社長安田英樹(安田顕新井英樹を足して二で割ったようなお名前だと思いました)サン、編集者森かおるサン、同じく宮後優子サン、その他中谷日出サン、長江努サン、NHKdジェイタルスタジアム各位、東大廣瀬教授、メディアアーティストの岩井俊雄サン、等々に謝辞が述べられているのですが、英訳者の薮下リンダサンの名前がその中にない。

今でも公式サイトは日英併記ですし、続刊の『近所の地球』も日英併記なので、協力者の方はいると思うのですが、なんで、もう一冊本を作るのと同じくらいの工数と苦労をした方面に、謝辞がないのか、謎です。

最初に、あれ? と思ったのが、「境界線を引く鉛筆」"Pencil to Draw Boundaries"です。上に貼った公式も同じ文章ですので、よく分かると思いますが、「二色が一つになった色鉛筆」を"one colored pencil made from two colored pencil"と書いています。これは、二色の芯の色鉛筆をそれぞれ唐竹割に真っ二つに割って(実際にはルパンの五右衛門でもないのでそれは出来ないのでカンナで削ったそうですが)ひとつにくっつけた色鉛筆なので、芯の色は二色です。ワンカラードではない。

頁070、二色です。一本の色鉛筆で。

ここは誰も疑問に思わずスルーしたようで、今でも公式では同じ邦文と英文が使われてますので、誰でも確認出来ると思います。

次におやっと思ったのが、頁108の「心拍時計」"Heartbeat Clock"です。「Aさんの心拍が上から、Bさんの心拍が下から進み」とありますが、英文は"A's heartbeat moves up, B's heartbeat moves down, "とあります。Aさんのは上から進むので、下に下るわけで(ダウン)Bさんのは下から進むわけなので、上に上がります。英文は明らかに上下をとりちがえています。

頁107と頁108。頁107だけだと分かりにくいですが、頁108のイラストも合わせて見ると、上の心拍数(Aさんのもの)が下に降りてくること、下の心拍数(Bさんのもの)が上に登ってゆくことが分かります。

この作品はウェブに載っておりません。作者自身が英訳したなら、間違えないと思うのですが、どうしちゃったのか。

頁134から始まる「キャベツの器」"Cabbage Bowl"は、日本語文では、最初「皿」だった一枚一枚のキャベツの葉っぱを、途中で「器」と言い換え、最後に、結球したキャベツをも、「器」と言い表してますが、英文では、葉っぱを”dish”、結球を"bowl"と呼び、事物の対応呼称にブレはありません。私はここを読んで、英訳者は別人の可能性が強いと思うようになりました。あいまいな呼称「器」を、葉と結球両方に使った日本文に、クレームというか、あちらの人ならはっきり明瞭に注文をつけたんじゃいかな。二度とするなくらいな感じで。

キャベツの器 | Yasuhiro Suzuki

Cabbage Bowls | Yasuhiro Suzuki

※A play on the similar sounding Japanese words mabataki(blinging), and habataki(flapping).

頁124。「まばたきの葉」"Blinking Leaves"にて、つけられた表題の説明文。

まばたきの葉 | Yasuhiro Suzuki

Blinking Leaves | Yasuhiro Suzuki

頁091、「りんごのけん玉」"Apple Kendama"でも、ケンダマという日本の遊具とは何かを説明する英文が添えられています。英訳というのは、相手の文化にないものを補記して説明する必要もあるので、単に訳せばいい仕事でないことは、異言語の知人友人に何かを説明したことのある人全員が理解すると思います。このケンダマの文章は、日本語が例の主語不明文なので、英文は、ある時は"I"(自分)ある時は"youraself"(あなた)と書き分けて、遊んでいます。公式サイトに今でも同じ文章であるわけですので、作者もそれを寛容に許して、むしろ喜んでるのかもしれません。

りんごのけん玉 | Yasuhiro Suzuki

Apple Kendama | Yasuhiro Suzuki

頁144「木の葉の座布団」"Zabuton of Leaves" 頁058「落書き帳」"Scribbling Book"でもそうですが、拓本を取る、否エンボス加工する際に、作者はスーパーボールを使っていて、お気に入りの手法のようです。そのスーパーボールは、英文でも"super ball"で、ここは読んでいて、今イチ、スーパーボールがそのまま英語の文脈で通用するか自信が持てませんでした。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

落書き帳 | Yasuhiro Suzuki

Scribbling Book | Yasuhiro Suzuki

木の葉の座布団 | Yasuhiro Suzuki

Zabuton of Leaves | Yasuhiro Suzuki

残念ながら、現在のウェブ上の作品ページでは、作成過程が省略されているので、スーパーボールという単語の記載もありません。残念閔子騫

頁244の「蛇口の起源」"The Origin of the 〈Jaguchi〉"では、「蛇口」と書いて"jaguchi"はいいのですが、「蛇行」は読み方が変わって"dakou"になることを説明し始めると、枝葉の問題で本論からそれると思ったのか、蛇(ja, snake) and 行(ko,go)という書き方でごまかしています。

川の蛇行(だこう)はなぜおきる?

cjjc.weblio.jp

蛇口の起源 | Yasuhiro Suzuki

The Origin of the Word Jaguchi | Yasuhiro Suzuki

この辺で英訳作業ウンザリになってきたのか、頁198「炎のマッチ」"Matches ofFlame"では、「火」という漢字がふたつ重なって「炎」になる、と英文でも説明してますが、頁270「木のこま」"Spinning Top of Trees”では、一本で「木」二本で「林」三本で「森」の漢字を組み込んだ説明は省略されています。"One standing is a "tree", two standing are ”woods", three standing are  a "forest." フォレストの前に冠詞"a"を入れるのは忘れない。

炎のマッチ | Yasuhiro Suzuki

Matches of Flame | Yasuhiro Suzuki

「木のこま」"Spinning Top of Trees”は公式記載なし。

代表作のひとつ「募金箱《泉》」"Donation Box Clled Well"はマルセル・デュシャンの作品と同名だが、英題では「泉」に当たる単語を変えた、その理由については原美術館の人が詳しく注釈していました。ジャスパー・ジョーンズが出てきたので、諸星大二郎となんかしてなかったっけ、と思って検索しました。諸星大二郎となんかしてたのは、ギャスパー・クラウスでした。

募金箱「泉」 | Yasuhiro Suzuki

Donation Box Called Well | Yasuhiro Suzuki

頁302「目薬の銃」"Eye Dropper"

これは、製作法が細かく書いてないかったです。公式に記載あり。

頁098「まばたきの時計」"Blinking Time"と、頁102「りんごが鏡の中に落ちない理由」"The Reason an Apple doesn't Fall into the Mirror"にも付箋をつけてましたが、もう理由が思い出せません。私のようなシロウトに英語の何が分かろうはずもなく、それでもいくつか目につきました。見当違いなのか、本当はもっと多いのか、それは分かりません。東大先端研ならすぐ調べられそう。

初期の「椅子の反映」「遊具の透視法」のようなプロジェクターを使った作品も面白かったですし、「バケツの切り株」が重いという話もよかったです。「日本列島の方位磁針」や巨大な「空気の人」も面白かった。現在も粛々と遂行してる、英文併記について、担当者(実は変名の作者本人かもしれませんが)をもっと讃えてほしいなあ、とだけ書いて、終わりにします。以上