お寺編
商業施設の入り口なんかにある、スマホ型の非接触型体温計の前に高熱の人間(38℃以上)が立つと、センサーがビカビカ光りまくるそうで、それはまさに電子レンジに入れたアルミホイル、もしくはうる星やつらでラムちゃんが電撃を与えた場面さながらなんだそうです。三日で感染者9名(8名発熱)を出した職場では、茹でダコのようになった同僚がフラフラとセンサーの前に現れ、ビカビカビカビカこの世の終わりのような光景を催していたとか。
そんな、一昔前ならクラスタと完全に言われていた状況に、のぞが痛いまま応援夜勤に向かいまして、私の家でもみんな妖精(ひとりは無症状)もうひとりの応援夜勤者の家でも全員妖精(荷物を取りに帰ったら、末っ子がひとりで廊下をうろうろしていたので、「お姉ちゃんどうしたんだ」と聞いたら、あっちと指さす先でみんな寝込んでいた)無事終わりました。明けない夜はなく、サンサン太陽は必ず西の空に墜ちる。
100円拾いましたが、お賽銭に入れるのを忘れ、別に神社に行きましたが、そこは夜中にホームレスが賽銭箱を逆さにひっくり返す懸念があったので、入れるのやめました。
10人目の発熱連絡がありました。その時点ではまだ妖精かどうかは未定。
トライセラトップスの和田唱という人は和田勉の息子、否、和田アッコの息子、否、和田誠の息子だそうで、聴き逃し配信のビートルズの番組を聴きながら、毎回バンド名をゆってるがどんなバンドかいまだに知らないそっちも、ビーローズがやってきたヤーヤーヤーてっぺんのおなり、とか、あの子はまさに天才的なビーローズ樣とかそんな感じで私の耳に入るといいなと思いました。
水 毎回どこのベトナム料理店でもニョクマム(ヌクマム)に「ナンプラー」とカタカナのテプラを貼り付けてるのを見ると、沢田教一が戦火のナントカを撮ったり、開高健がマジェスティックホテルに泊まったり、岡村昭彦が南ベトナム解放戦線に帯同したりしてた頃は、「ナンプラー」などというタイ語呼称のほうがマイナーだったのにと思うことしきり。その後の歴史の経済発展の差、社会主義ベトナムの閉鎖環境と微笑みの国タイの積極的観光誘致の違いが自国文化の海外浸透度の差分となって現れ、現在の日本における東南アジア魚醤の呼称逆転につながるわけですが、そこから平和の尊さを思うのではなく、自由社会の大切さを想う。
GỎI CUỐN BƠ
アボカド生春巻
エビでない生春巻きなんてあるんだと思って注文しました。
甘辛い油をつけて食べるわけですが、ヴィーガンでない私としては、アボカドにはワサビだよと勝手な感想を抱きがち。
牛すじ煮込みフォー
Phở bò sốt vang
引いて一枚。
薬味たち。三種並んだ構成は、中津のハノイの店といっしょか。
サテがベトナム語にも入ってる… 〈沙茶酱〉の意味でしょうか。まるで違うものが置いてあるわけですが。
唐辛子とレモングラスをかけて。
酢は、ニンニク酢だけでなくタケノコ(水煮)も入っていて、へーと思いながら少し載せました。
チェーなのか?ちがうのか?というデザート。
帰宅して、のぞが痛いまま薬が終わりそうなので医者に行き、家族は妖精という話をしますと、もう一回検査してみるかということになり、検査結果は妖精でした。ギャフン。もうとうに熱は下がっているので、五日をはしょって三日として、次の出勤日もふつうに出勤出来ることに。トホホ。
五類になって何が変わったかというと、濃厚接触者の待機がないってことくらいなのかな。最初の半年以降は、もしまた強毒化したらこわいってだけで、宅飲みステイホームしないで飲み歩いて志村けんのように死ぬ人も(ほとんど)いませんでしたし、エクモぶんまわさないと命が戻って来ない人も少なかったはず。最初ですよ、名古屋で妖精出たのにフィリピンパブに飲みに行ってすぐ死んだ人とか、エクモエクモでアビガンレムデシベルのあの初期のころ。あの頃はやばかったと今でも思います。
それでも妖精なので、会計は五日以降改めてという話になり、薬剤師の人がそういえばといった感じで、「ほかのおくすり、売薬の風邪ぐすりなんか飲んでますか?」ドキリとしながら「え?なんでですか」「売薬も処方箋薬も成分が同じだからです。同じものを飲む必要はない。処方箋薬だけにしてください」実はインフルエンザやただの風邪と比べ、どうも今回処方箋薬の効きが悪い気がして、インフルのタミフルずきゅーんみたいな明確な効果が実感出来ず、ちょい足しと称してパブロンも飲んだりしてました。ダメみたいです。ODなんてそんなオーヴァーな、と思いましたが、私の心のモノサシのほうがイカレてるのかもしれません。
これに関しては、読んでもいないし見てもいないのですが、小学館の姿勢がよく分からないというのは私も思ってます。が、もう眠いので、後日ビッグコミックの感想の中で書きます。
今日も、明日も、穏やかに、静かに、落ち着いて、平和に。そして、出来ることなら、自分も周りもみな、しあわせにすごせますように。