『わたしのもう一つの国 ブラジル、娘とふたり旅』"Viagem ao Brasil" (meu outro país Brasil, viagem com minha filha / my other country Brazil, trip with my daughter)by KADONO EIKO 角野栄子 読了

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『サンバの国に演歌は流れる』の読書感想*1を書いていた時に、ひょんなことから魔女宅の角野栄子サンがヤメ移民だったことを知り*2、それ関連の書籍も三冊出しているというので、順次読むことにした、三冊目。

編集 門田奈穂子 装画 長崎訓子 装丁 bookwall 本文挿絵 くぼしまりお

あかね書房から同名で1981年出版、1988年あかね書房から文庫化、2020年ポプラ社から出版。この版にはポプラ社版のみの「はじめに」があり、都合三回書いた「あとがき」がぜんぶ入っています。

Viagem ao Brasil

本書に書かれたポルトガル語の題名は「ブラジルへの旅」という簡潔なものでしかないかったので、邦題のグーグル翻訳をつけました。ルイジンニョ少年は作者の移民当時九歳で、作者はそれを忘れて十二歳だと思っていたと、『ルイジンニョ少年』の2019年復刻版あとがきにあるのですが、その後2020年再出版された本書でも十二歳になっています。コロナカで刊行時期が逆になったとか、ステイホームでうまいこと意思疎通が出来なかったか、なのでしょうか。

私はポルトガル語のアールはハ行になると思い込んでいたのですが、頁023によると、巻き舌でころがすように発音するそうで、それで破裂音がハ行に聞こえるのかなあと思ったり。フラ語のアールはのぞで出しますが、そういうクセ発音なのか。本書では大泉などで「シェスコ」と書かれるシェスコはシェスコと書かれてます。

頁28、ブラジル国営石油会社ペトロブラスも知らない秘密として、東部セアラには現地人がガソリンの木と呼ぶ木がたくさん生えていて、圧縮すると重油がとれるそうです、根さえ残しておけば三年後また大きくなる、というホラ話が出ます。ホラ話はピアーダ、"piada"というそう。

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頁30、ふたりはサンパウロ直行便でブラジルに行くのですが、往路、夜間ブラジリア上空を通過し、飛行機の形に作られた市街の夜景を見ます。いいなあ。

頁036

「どこの国でも必ず欠点を持っている。日本は地震だし、石油があっても水がない国もある。そこで、あるブラジル人が神様におそるおそるきいたのよ。『わが国に欠点はないのでしょうか。』すると神様は、ニヤリと笑って答えたそうよ。『あわれな子羊よ。ブラジル国の欠点はそなたたち、人間じゃよ。バカめ。』って。ウフフ」

 これはブラジル人であるクラリッセが言ったのです。(略)わたしのせいではありません。念のため。

本書は『ルイジンニョ少年』*3とちがって、「現代から見ると」とか「原文を尊重して」とか「鑑み」とかの注釈は奥付にありません。そういえば、ほかの二冊とちがって、ちっさなコーヒーカップのヒーコを「カフェジニョ」と書かず、「カフェジニョ」(頁060)と書いてます。1981年当時の角野サンは"~nho"を「ンニョ」と書くのをやめたんにょ。でもその後、2014年の『ナーダという名の少女』*4でまた「ンニョ」にもどったんにょ。

頁065、リオという名前の娘さんのブラジル初めてのおつかいで、「バウル」というブラジルサンドイッチを買いに行く場面で、娘さんは「バウル」を「バカルー」と言い間違えます。

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ブラジルスーパーのバウル。

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ファロッファと、あやしい白濁したニンニクソースを振ったところ。これはコレクトな食べ方ではないです。我流。

「バカルー」が分かりませんでした。1984年のハリウッド映画が検索で出るのですが、1981年当時それが分かるわけもなく。サンパウロのステイ先の机の引き出しから猫型ロボット(と言われなければタヌキにしか見えない)が出てきたとしか。

バカルー・バンザイの8次元ギャラクシー - Wikipedia

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ふたりがサンパウロで住むのはかつて住んだ住所とは別なので、お買い物も安心です。かつての住所は、1981年当時すでに下記昨年のストビューと似たような状態になっていたとか。そうやって景気が悪かったから"Dekasegi"が始まったとも。

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ふたりはリオとサンパウロ以外のブラジルも旅行しますが、定番アマゾン川イグアスの滝ではなく、ネグロブラジルのメッカ、バイーア州の州都サルバドールに行ったりします。このチョイスがシブいと思いました。頁086で角野さんは、ブラジルも差別とは無縁でなく、特に貧富の差によるそれは日本では考えられないほどヒュージで、眼を覆うばかりだと言います。まあ、ゴスン家のカーロス・ゴーンサンとか見ると分かりやすいですよね。多重国籍守銭奴。フランス人でありブラジル人でありレバノン人。しかし角野サンによると、かろうじて肌の色による差別だけはないとか。

それは昔の話かもしれずと思うのは、「ぶあいそうな手紙」という2019年のブラジル映画で、街角で自然発生する若者たちによる詩の朗読場面で、黒人女性がBLMを謳い出すと、白人のヒロインが主人公の老人をうながしてその場を立ち去る場面があるからです。

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この映画は、日本より確実に治安の悪いブラジルで、孤独死予備軍のおひとりさま老人が、ノックアウト強盗押し込み強盗からどうやって身を護るかについて、「ピストルを常備していつも侵入者に銃を向ける訓練をする」という身も蓋もない解決法を示してくれる映画でもあります。「銃を奪われたら意味ないじゃん」なんてタラレバ考えない。

話を戻すと、角野さんはブラジルが人種差別に無縁な理由として、ポルトガルやスペインは多民族を受け入れたことのある民族なので異人種との差別感が少ないのではと推測しています。かつて国土をサラセン人に支配されたことのあるイベリア半島の国民だから、と。

そうかもしれませんが、最近読んだフィリピン南部イスラム教徒の本*5で、スペインはかつて自国がムスリムに蹂躙された記憶があるので、ムスリムは激しく弾圧殲滅しようとしたあり、フィリピンとブラジル、スペインとポルトガルでそんなに違うかな、まあケースバイケースかもしれないと思ったりしました。すべてクリスチャンなら民族差別はないが、宗教差別については角野さんは触れてないと。

ブラジル人とフィリピン人は日本では凄く親和性があると私は思っていて、同国人と恋愛する機会がなかなかなこともあるんでしょうが、国際結婚してる感じなふたりや、付き合ってる感じのふたりをよく見ます。だいたいブラジル人男性(日系人含む)とフィリピン人女性。

頁108、娘さんはかねがね、喫茶店や美容院の名前によくある「リオ」が自分の名前なのに不満だったそうで、親としてはアマゾン河の河の意味のリオ、リオデジャネイロのリオ、リオグランデ、リオブラボーのリオをつけたつもりだったので、大いに心外革命だったそうです。しかしこの旅行で娘さんも心を入れ替え、「ブラジル人の名前は女性は「~ア」で、「~オ」は男の名前じゃん。知ってて私の名前を「リオ」ってしたの?ちがうでしょ、知らなかったんデショ? ばかなの? タヒぬの?」と猛反撃に出ます。マリア、マリオ。ジュリア、フリオ。R音なので、ブラジル人はホントはリオデジャネイロと言わず、ヒウデジャネイウと言っているという話*6もあるので、ムスメサンはホントはヒウ、否、女性形にしてヒァとつければよかったのかもしれません。そしたら完全に誰も河のスペインボルトガル語が語源とは思わない。

それから、おやこはパラナ州にあるニッケイ農場の大規模なところに行きます。地平線が見たかったからだとか。ファゼンダ・カンタ・ガーロという山本さん一家の農場に行きます。「ニワトリの鳴く農場」という意味だそうで、検索するといろいろ出るのですが、そこかどうか不明。

ファゼンダ - Wikipedia

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頁122、十歳前後の子どもたちを集めて、トラックに満載して農園に行って、掘り残しのじゃがいもの落穂ひろいをしてもらう場面が印象的でした。ジャガイモが残っていると芽を出し、次の植え付けの時にまじってしまって病気の原因になるから、だとか。1981年当時は、ほかは機械化出来ても、これだけは手作業になってしまい、広大な土地で重労働でもないので、子どもを雇うかたちになるんだそうです。成る程なあと思いました。北海道とか合衆国とか、世界ぜんぶで今でもそうしてるわけでなく、たぶんお金を別の方向にかけて、土壌消毒してるんだと思います、今は。

西小泉の駅を降りてすぐの商店の名前が「カンタガーロ」なのに気づいておらず、今、検索して気づきました。なるほど。

CANTA GALO(カンタガーロ)《南米系雑貨店》 - 大泉町観光協会

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令和三度目の文化の日の写真:前編(北千住~西小泉) - Stantsiya_Iriya

『ナーダ』のあとがきにもあるのですが、1961年当時角野サンがまざってたゲージツ家サロン、コミュニティのうち、ひとりはサンパウロ近代美術館入口にドーンと作品を飾られるほどのアーティストになっていて、ふたりは久闊を叙します。

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で、彼は無名時代からクロサワ等の日本アートに魅せられていて、自宅の一角に、完全な和室をしつらえていたそうです。で、角野サンは洋間しかない自宅に暮らしていて、娘のリオサンがうっかりウェズレイサンにカタコトポストゲスで、「あたしもたたみ、大好き。ほしいわ」グーグル翻訳すると"Eu também adoro tatame. Quero isso."と云ったので、事態は紛糾します。ウェズレイサンは怒り狂って、そんなに簡単に自国の文化を捨てるな、恥を知れと指をつきつけます。

頁148

(略)それを捨て、君は、なにになろうというのかい。

角野サンは、そんなに和式が好きなら便器も和式にしなさいよっ! ボットン便所の。なによフン、みたいな感じで一矢報いてチャンチャン♪ にしてますが、まあそのへんが、児童作家として大成するにあたっての必要条件なのかもしれません。

2020年版の編集者が、1960年当時の下宿先のセニョーラが吹き込んだ歌の動画を発見したと「あとがき」で意気込んでいて、私もブラジルの人に聞いてみて、スペルだけあたりをつけて検索しました。

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ブラジルの人のスマホにはもっといろいろ出てましたが、私が検索出来たのは上くらい。ルーチ・アマラルのアマラルはミスター瓦斯のアマラウ、"Amaral"で、ルーチは光のルス、闇を照らすルス"luz"ではなく、旧約聖書のルツ記のルツ、"Ruth"だそうです。

ルツ記 - Wikipedia

ルイジンニョはその後ポルトガルに移住したそうで(ナーダに出てくる男の子のようですが、ナーダの執筆の方が先で、現実の発覚はその後)FBやメールでルイジンニョと角野サンはやりとりします。カフェジニョは本書ではカフェジニョになりますが、ルイジニョはルイジニョになりません。本書でもルイジニョのまま。以上