下高井戸シネマのただ券の使用期限が11月いっぱいでしたので、見に行くことにした映画。往復の小田急も、株主のひとが、コロナで出歩かないので、11月で使用期限が切れるただ切符があまっちゃって、ということでしたので、使わせて頂きました。
十分くらい遅れて入ったので、最初の十分見てないです。つまり、二人の出会いを知らない。
タダ券は三枚あったのですが、ビーガンと在りし日の詩で二枚使って、残りの一枚をどうしようかというところでした。10時からの、バングラ難民少年がチェスの名手という「ファヒム パリが見た奇跡」は、仕事明けだと時間が間に合わないのと、レビューのコメントが、わりとなんというか、「そうだ難民しよう」は困るわねえ、と眉をひそめる風潮によりそったものが多かったので、そうした人達(ネトウヨ)を、それはそれだけど、これは感動、みたく動かすほどのチカラはなかったのだなと考え、それでエルネストのほうを観たです。
どうもね、フランスの、こないだのアルジェリアのヒジャブの映画もそうでしたが、リベレーションを歌う反面、他宗教開祖へのインモラルな風刺、侮蔑的な風刺も容認せよというコミコミの発想が、おえんです。この映画も、回教圏のバングラディシュなので、回教をどう描いてるんだかということで、そこは気にしてます。見て悪口いうのもなんなので。
下のイラストが、何教徒を念頭に置いてるのかは、知りません。
邦題なんとかならないかというコメントがありましたが、エルネストむにゃむにゃだと、ゲバラ焼き肉のタレと混同されそうなので、それでこんなタイトルなのかと思いました。字幕の限りでは、まったくぶあいそうな手紙じゃないんですが、ポルトゲス的にはぶあいそうなのかなあ。エルネストはゲバラスピリチュアルじゃなくて、エルネスト・ヘミングウェイをまず連想するでしょう、という向きには、「エルネストは当然まず、エルネスト・メックリンガーを連想すべきですよ、正しい銀英伝オタなら」という回答をあげます。私だと思って、だいじにしてネ。
あと、この映画を見たのは、前川健一のチェコの本を読んで、腹を立てたからというのもあります。前川健一が欧州旅行を忌避してたのが行くようになったのは、体力面で不安を持つ年齢になった今、アジアやアフリカだと、盗難や強盗等、治安が不安なんだろう、というやっかみを気にしたのか、チェコの本には、プラハは日本より安全ではないよという犯罪件数などのコタツ記事があり、それは、作者の旅行記を読んで無防備に旅行を目論むおっちょこちょいの数を減らすのには役立つのかもしれませんが、本人がバックパッカーを志した時、最初に志向した南米を初めて訪れてみたり、最初に強烈なカルチャーギャップを覚えた東アフリカを現在再訪しない理由にはならない。再訪しても、ホンカツのアメリカ合州国再訪のように、輝きが色褪せた、蛇足全集みたいなものにしかならないかもしれませんが、バンコクに沈没し続けた男がコタツ仕事と大学講師(非常勤ではなさそう)職を経て、今さら物価が安くてLCCで安くいけるから東欧、という節操のなさにやや呆れ、南米で老いとどう付き合うか、を描いた映画を見てやろうと思ったです。
ブラジルは路上でiPhone持ってるだけでひったくられる国、というイメージがありますし、まさにヒロインはその予備軍ならぬ正規軍にしか見えませんので、主人公がそんなもん、いくら映画だからって、性善説だけで立ち向かうわけもないと思いながら見ました。案の定、老人の眼が悪いのを利用して鍵を黙って拝借して、合鍵作って、留守中忍び込んで、金目のものを物色します。紙幣のかわりに、同じくらいに切った色紙の束を隠し箱に入れておくとか、それくらいのことはする。老人も、鍵が消えたことにまず気がついて、その晩は玄関の前に椅子を置いて寝ます。押し込み強盗が来たら、椅子が動く音で気づける。これは私も旅先なんかでよくやります。
そういうことをするヒロインは、西川のりお、否、西川きよし師匠そっくりの眼球をしています。ということは、将来大阪府知事になれるかもしれない。きよし師匠はなってなかったかもしれませんが。居座れると分かったら、さっそく本棚の本をぜんぶどかして、後ろや本の間になんか大事なもの入れてないかチェックに入ります。ここは見つかって怒られてバカみたいにみえすいた言い訳をする。見えすかない言い訳なんかこの子はしませんが。
そんな彼女を見て、エルネストに忠告してクビになる家政婦は、「酒乱の男がいる女はよく自転車で転ぶ」という名言を残します。このシーカレが、太った巨躯で、老人が朝起きると何故か入り込んでいて、「朝食は苦手だ」とか言いながら食堂にあらわれ、食パンを何枚もむしりとって行くのですが、名前がグスタホだかグスタポです。うしろにロペスはつかない。夜現れますが、拳銃で脅されて退散します。女を殴るような男は銃を向けられたら、そうするとあえて向かってはこないんだとか。ようするに南米で老人がオレオレやノックアウトや押し込みから身を守るには、帯銃を心がけるのもよいでしょうという。その発想は私にはなかった。ピストルを奪われたらとか、そういうふうにしか考えてなかった。
寅さんがまるでヒットしない(日系人社会含む)国で、その理由が、リアルにあんな人掃いて捨てるほどいるので、憧れる余地がない、それがブラジルなので、まあまあよかったです。公式の解説を読んで、初めて隣人のアーゲンティン人とは、スペイン語で会話してたと知りました。ヒロインとは、ブラジルポルトゲスのはずですが、ヒロインがしょっちゅう、オブリガードでなくグラシアスというので、なにもそんなカタコトだけスペイン語使わなくてもと思いながら見ました。
ドリアン助川の戦う路上詩人の会みたいな場面があり、エルサマニー師岡のエジプトエッセーでも、吟遊詩人と書いてバードと読むみたいな、そういう広場描いてたなと思いながら見たのですが、黒人がBLMについて滔々と歌い上げ、集った人々も黒人が多いので、気勢をあげだすと、白人のヒロインは苦虫をかみつぶしたような顔をして、老人をひっぱって、そこから脱出します。ここはリアルだった。アメリカワールドカップの頃は、人類はみな、ブラジル代表のロマーリオやベベットのような、何人とも判別しがたい顔つきになるはずと予測されていて、実際今ネットのドラマ配信サイトでいちばんよく見る顔がそういった、インド系でもないけれど、彫りが深くて褐色の肌の人たちなのですが、以前ドイツ系スイス人なのにフランス風に名前を読ませてた女性が、マライア・キャリーを、理由は言わないけどキライといってたみたいなのが、結局薬局今でも健在ということですねと思いました。この娘が、乾杯のさい、葡西的なサルートと言わず、イタリア語でチンチンと云うのは、憶測でゲップが出そうだったので、あえて考えないことにしました。
日本では、ブラジル人はラジオ体操してるとよく思われますが、この映画はラジオ体操でなく、太極拳です。ラジオ体操は屋外ではやらないと聞いたことがあるので、それで、路上のシーンだから太極拳なのか。
黒人というと、日本でいちばんよく知られてるブラジル映画は「黒いオルフェ」だと思うので、やはりなんというかなんだなあと思いました。本作では作中「自転車泥棒」がどうこう言う場面があります。「自転車泥棒」というのは、ゴリラーマンで一回まるまるその題で、高校生のパクチャリの話をやった回があったので、それを思い出しました。最近は、中学生のがパクチャリやるんですかね。とにかく放置自転車を警察に届けても、ほんとに放置かどうか分からないとかなんとかで、転がったままになることが多いので、防犯登録意味なしです。というと言いすぎか。
わざとお金をそのへんに置いといて、盗むかどうか観察する場面は、ルシア・ベルリンの小説思い出しました。そういうものには手をつけず、あまつさえ置いた人間の記憶違いを加味して、よけいにコインを置いてふくらませて油断させるのが、真の目的を達成するためのコツだそうです。
stantsiya-iriya.hatenablog.com
ウルグアイとブラジルとの往復書簡で、ウルグアイにはインターネットもないのか、と、ホセ・ムヒカを糾弾するアルゼンチン人のせりふも飛び出ますが、ペンフレンドのオババはよく映画を見に行くそうで、「映画の間は携帯を見る人もいない」という名言も出ます。禁止されてなければ見るんでしょうけれど、そこは南米でも守るのか。
本もいろいろ出ますが、『ウクライナのトラクター小史』はおぼえがあって、映画では老人が娘さんに『ウクライナ語のトラクター小史』がコレクトなタイトルだと言っていて、"A Short History of Tractors in Ukrainian"だから、それでいいのかと、私も間違って訳してたので、反省しました。邦訳されて集英社文庫から出てますが、売るためにさらにカッ飛んだ題名にしていて、『おっぱいとトラクター』です。
私はこの本を、下記で知りました。
stantsiya-iriya.hatenablog.com
ので、この映画も、「ぶあいそうな手紙」ではなく、「ホセ・ムヒカ、ネットのない国の大統領」とか、「手紙GoGo!大統領秘密指令」とか、「めんたまと老人」とか、そういうのでよかったと思います。ポルファボール、ムイ・ビエン。「明日間に合~な」は濱田マリ。
以上