『万延元年のフットボール』"The Silent Cry" by Kenzaburō Ōe 大江健三郎(講談社文芸文庫)"Kodansha Bungei Bunko" 読了

大江健三郎サン逝去後、ビッグコミックオリジナルのコラム欄で、この小説が触れられ、在日朝鮮人経営のスーパーに経済的に隷属した四国の小寒村の青年たちの物語、ということだったので読みました。ぜんぜんそういう話だと思っていなかったので。しかもさいごに青年たちは資本家コリアンに敗れるという展開だそうで。

デザインー菊地信義 巻末に編集部作成著書目録、古林尚・文芸文庫の会による作家案内(年譜)、加藤典洋による解説、作者によるエッセー「著者から読者へ 乗り換え点として」あり。

ja.wikipedia.org

万延元年のフットボール - Wikipedia

The Silent Cry - Wikipedia

ハングル版ウィキペディアによると、本書のハングル訳は「만연원년의 풋볼」で、サッカーを意味する蹴球の「축구」でなく、"football"のハングル表記を当てています。そうなるとハングルにはF音がないので「プ」の表記になってしまい、マニョニュウォニョニ、プッボルと読んでそれでいいのかなのですが、若い世代は外来語であれば、「푸」(プ)の字を原音に即して「フ」と読むようなので、邦人が、「フィルム」と書いてあっても、年配の人は「フイルム」と読み、若い人は「フィルム」と読めるようなものかもしれないと思いました。そして今思ったのですが、H音の「フ」は韓国にもふつうにあるので、そっちで書いたらなぜだめなのだろうかとふと疑問です。「麩」は후だそうですし、そういう姓もあるしで、けっこう후で表記するモノ、コトは多いと。

후 - ウィクショナリー日本語版

字はなくとも、韓国人はF音とH音のちがいを聞き分けられるのかな、と思いました。

で、ビッグコミックオリジナルのコラムに本書を書いた人を、自分の日記のメモで出せるかと思ったのですが、また分かりにくく書いてたみたいで、ぜんぜん見つかりませんでした。中森明夫サンが『政治少年死す』について書いてたのは見つかって、それは本人もエックスがツイッターだった時に発信していたのが残っているので分かるのですが、それとは別だったような。また模造記憶かなあ。で、これまで本書を在日コリアン移民の集落と日本の山村との軋轢を描いた作品として私が認識していなかったのは、まあ主題としてそれだと弱いということかなと思いました。で、ネタバレですが、実はオチが禁断の妹ネタなので、本作をコリアンねたとして紹介した人は、それで嫌韓厨が飛びついて「おにいちゃん…」のオチを読んでなにこれと思うよう誘導した、のかもしれません。想像ですが、だとしたら腹黒い。

以下後報。

【後報】

ウィキペディアによると、江藤淳は本書を読んで激怒して、大江健三郎と終生絶縁したそうで、江藤自身は登場人物の人名のつけかたがけしからんからとしていたそうですが、"童貞力"小谷野敦によると、大江小説の人名がキッチュスノッブなのはそれまでどおりで、ホントは「スーパーの天皇」という在日コリアンキャラが怒髪天を突くほど気に食わなかったからではないかとしています。その辺の機微は分かりませんが、主人公の「蜜」(大江自身の三男とカブる。長崎県の大村収容所に収容された半島からの密航者を指す隠語「密ちゃん」とはみかんけい、否、無関係)の妻で、主人公の弟の鷹四(タカ派が死に通ずると深読みしたらおえんのんじゃ)と姦通する「菜採子」の読み方が最後まで分かりませんでした。ルビのある個所も見つからなかったので。彼女は英訳では"Natsumi"(ナツミ)、仏訳では"Natsuko"(ナツコ)と違う読み方です。本文中に「菜採子」とフルネームで出ることが少なく、「菜採」(ナツコの略ならナツと読むのか)の略称で出ることが多かったので、英訳者は幻惑されたのかもしれません。露訳も"Нацуми"(ナツミ)希訳も"Νατσούμι"(ナツミ)インドネシア語訳もナツミですが、英訳からの重訳かもしれません。スペイン語ウィキペディアには彼女の名前はないかったです。

頁50
――むしろ、自分の意思で酔いの調節をすることができる、という点でまさに私はアルコール中毒者なのよ、母もそのとおりだったもの。私が、ある酔いの深みにたどりついてそこにとどまるのは、それ以上に酔ってしまいたい誘惑から自分を抑制しているのではなくて、その気持ちのいい酔いの深みから逸脱してしまうことが不安だからなの。

実は、私の周りの知識人青年たち(現在はその成れの果て)のあいだでは、ヒカルクンの原因は、伊丹十三の妹のフーテンギャル、ラリラリ娘だろうと半ば公然と言われており、本書でもほとんどとぎらすことなく飲酒を続ける彼女が、小説のように出産後ショックからそうなったのではなく、妊娠中も同様であった可能性を鑑みての考察であろうと考えられます。

しかし本書では、「蜜」自身も抱く吃音や、祖先にコレコレこういうものがいた、などの遺伝的要素の土俗的説明、それを妻に知られたくない「蜜」の心理などが登場するので、逆に、なるほどなあと思ってしまいました。弟の「鷹四」については、この小説以前にはなかった、自己の人格の陰陽二元を分割させて別々のキャラに仕立てたツインズ構成の小説がたびたび出て来る、との指摘を、やはりなるほどなあ、と思ってしまいます。「鷹四」の叛逆の動機が実はごく個人的な小規模の理由だったことなど(しかもエゴ)は、人口的には圧倒的多数だったがサイレントマジョリティーな、上の学校にあがるカネが家にない昭和親ガチャ哀歌反安保勤労青年たちの共感を得たと思われますが、それとは別に、オーエサンは年譜によると毎朝校門で待ち伏せされて徹底的にやられるレベルの壮絶ないじめで高校を転校したくらいなのに(しかしおかげで伊丹十三らと知り合えた)初期の小説ではそうした自分を完全に相対化客観化して、いじめられっ子がヤソキー漫画を支持するような心理的乖離をなせていたのが、ヒカルくん誕生後はまったくそれが出来なくなって(ページは忘れましたが⇒頁8、本書の初めの方に、以前ならヒマな時はオナっていたが、ヒカルくん誕生後はまったくちんちんをいじる気が起きなくなった、というくだりがあります)相対化するにしても、彼岸の彼を見つめる此岸のもうひとつのまなざしが必要になったのではないか、と思いました。

かなり以前になるますが、障害を持つ子どもの親たちの自助グループというかなんというか、に参加し続けたある人が、「けっきょく、分かったのは、自分と完全に同じ境遇、同じような人はいないってことだったしね」と言っていたのを思い出します。しかしその気づきも、交流がなければ辿り着くことは出来なかった。

頁31 痲疾

頁117 魁偉な容貌

頁316 テレヴィ

頁106
 海辺に向う舗道の、橋から百米下方に谷間の村から切りはなされて、数軒の家屋群が付属している。かつてそこには朝鮮人たちがいて強制的な森の伐採労働に従事していた。

在日コリアン集落があることと、「強制」とことばを並べただけで、強制連行とはひとことも言っていないのですが、どうもこの辺、どう考えてもオーエサンの故郷の村が舞台になってるのは周知の事実なので、郷里が色眼鏡で見られないためにも、もっと深掘りして詳しく書くべきだったと思います。相模川の砂利掘りは大正期からか昭和初期からか分かりませんが、こき使ったりピンはねや搾取はそりゃあったでしょうが、強制連行といえるようなものではなかったはずで、しかし昭和二十年に完成した相模湖ダムの労働資源は、神奈川県の高等学校副教材にも載るレベルです。じゃあ大瀬村の小作林業は、どっちと考えたらいい性質のものなの? というのがまったくあいまいな日本のオーエサンでした。それはよくない。きっちり書いてほし。

頁146
「旗に、3S2Dと縫い取ってあるが」と僕は興味をひかれていった。「あれはいったいどういう略語だろう?」
「SELF SERVICE DISCOUNT DYNAMIC STOREよ。昨日見た地方紙の折りこみ広告に出ていたわ。スーパー・マーケット・チェーンの持主がアメリカに旅行して学んできた方法なんでしょう。そうでなくてあの英語が日本人の発明だとしても、ともかく、力強くて立派な言葉だと思うわ」と、うさんくさい調子をこめて妻がいった。

スーパーの天皇白(ペク)は戦後村から土地を分配された朝鮮人たちから二束三文でいろいろ買い漁って、集落でただ一人成りあがった人物だということですが、土地の分配がまず、村の意志ではなく、GHQによる農地解放で土地が耕す者の者になったアレじゃないの? 統治者米国の意志じゃないの? と思いました。「三国人」にまで土地が分配されたか知りませんが、渋谷や歌舞伎町の成り立ち、土地所有者(渋谷のコリアン、歌舞伎町の華人)を考えると、そういうこともあるかなと。

頁154
「(略)戦争の後、朝鮮人部落の土地は、森で強制労働をしてきた朝鮮人に村から払い下げられた形になったのだけれども、そのうち土地全部を仲間から独占的に買いあげて自分のものにした男が、発展に発展を重ねて現在のスーパー・マーケットの天皇になったんだからね」

また、天皇白(ペク)サンの米国帰りの気風や趣味もちょっと不思議でした。イ・スンマンへの風刺だったのでしょうか。ネタバレで、ラスト「蜜」一族の蔵屋敷を調査に来て地下蔵の存在を見抜いた大学の建築科の学生たちが、天皇白(ペク)サンと和気あいあいとハングルで流暢に会話する場面も、何の説明もないので、不思議でした。小平の朝鮮大学校平壌金日成総合大学の学生というわけでもないでしょうし、なんなんだろうと。日本伝統家屋の構造に詳しく、ハングルもペラペラ。阿比留一族なのか、本書ののちの時代に帰還船で北に渡って辛酸を舐める在日コリアン大学生の溌溂とした若き日の姿なのか。

私の地元のお寺の屋根軽量化葺き替え工事に来ていたのが、千葉在住の中国人大工サンだった話は以前も日記に書きましたが、同じくらい不思議な話。

頁155
「もしかれがすでに日本に帰化しているとしても、朝鮮系の男に、天皇という呼び名をあたえるのは、この谷間の人間のやることらしく底深い悪意にみちているよ。しかし、なぜ誰もそのことを僕にいわなかったのかなあ?」
「単純なことさ、蜜ちゃん。谷間の人間は、二十年前強制されて森に伐採労働に出ていた朝鮮人に、今や経済的な支配をこうむっていることを、あらためて認めたくないんだ。しかも、そうした感情が陰にこもって、わざわざ、その男を天皇と呼ばせる原因にもなっているんだなあ。谷間は末期症状ですよ!」

スーパー・マーケットの経営者の旧植民地人というと(植民地ではなかったと云う人はまたそれはそれで)丸谷才一の『裏声で歌へ君が代』の台独店長やオーナーを思い出します。丸谷小説の主人公たちが生涯を賭けて闘った目的は明確ですが、本書の天皇白(ペク)サンの目的は、なんだったんだろう。スーパーが暴徒に略奪されても、事前に噂されたようなヤクザを使った報復措置に出ず、資本力にモノを言わせて商品補充する。

頁188
「チマキは森に伐採労働に行く連中の、谷間に古くからある携帯食なんだよ。ジンの父親はもともと本職の伐採労働者だから、ジンの作り方なら正統だ」
 妻はわれわれみなに拳をふたつ合せたほどもある大きな「正統」のチマキをくれた。僕と住職とは熱い水滴を載せた笹をもてあましながら、皿の上でチマキを砕いて食べはじめた。ジンの子供たちは濡らした掌の上でチマキを転がしながら、形を崩すことなしに手ぎわよく隅から齧っていた。醬油で味をつけた糯米のかたまりに豚肉と生椎茸の餡が入っている。チマキを覆っているクマザザの葉は、縁辺が白く乾いてみすぼらしいが、たとえそのようなクマザザにしろ、それらをこの季節に採取してくるにあたって、子供たちは相当な努力を払ったにちがいないし、おそらく恐怖心すらも克服せねばならなかっただろう。ジンの子供たちの巧みなチマキの食べ方を見ていると、谷間の子供たちの、冬に森へ分けいることを望まない習慣はいまなお変っていない筈だと信じられてくる。
「このチマキは十分おいしいが大蒜の匂いがするね。チマキはもとより、谷間の食物に、大蒜を入れることは、すくなくとも僕が谷間にいた時分にはまったく無かったんだ」と僕は、蒸籠の中から残りのすべてのチマキを、やはり僕の子供の頃の記憶ではモロブタと呼ばれた浅く長い木箱に移している妻に批評した。蒸籠も木箱もジンのヒントによって納戸から出されたのだろう。
「あ?」と妻は不審をあらわして答えた。「ジンが特に大蒜をいれるようにといったので、お肉と一緒にスーパー・マーケットまで買出しに行ったのよ」
「蜜ちゃん、谷間の風習が変ってゆく典型的な例だよ、それは!」と住職がチマキの砕かれた一片をつましく指にはさんだままいった。「戦争前までは、村の生活に大蒜はいささかも関係がなかったねえ。ほとんどの者が、大蒜という植物のことなど、その名前しか知らなかったかもしれないよ。ところが戦争が始って、木を伐りに来た朝鮮人労務者が部落を作ると、あすこの朝鮮人どもは大蒜という臭い根っ子を食べる軽蔑すべきやつらだという形式で、大蒜が村の人間の意識に入ってきた。それは、蜜ちゃんも実際に経験したことだろう? 村の人間は、朝鮮人たちを森の伐採労働に強制的に連れて行く時、自分たちの優位を誇示しようとして、チマキを弁当に持ってくるのでなければ森に入ってはならない、とかなんとか意地悪したんだねえ。そこで朝鮮人たちもチマキを作ることになったのだけれども、かれら自身の味覚に忠実に、大蒜を入れる発明を加えたんだろう。それが逆に、谷間のチマキの製法に影響して、大蒜による味つけが村に入りこんだというわけですよ。村の人間の空威ばりと無定見とで、そういうふうに谷間の風習が変ってゆくんだなあ。大蒜など村の味つけの伝統に含まれていなかったのに、今ではスーパー・マーケットの流行商品で、天皇を二重、三重にホクソ笑ませているんだ」
「その無定見が私の料理で成功していればいいんだけど」と反撥して、妻がいった。「たとえ伝統に反するにしても!」

ここも、日本にチマキがあったというのが言わずもがなの前提の話になっていて、それに朝鮮風のニンニク味はありやなしやという論議なのですが、そもそもの前提のチマキが肉入りチマキなので、閔南語でバーツァンと言いましたか、肉粽子じゃないのと強く思いました。実は愛媛県は北海道と並んでトリのカラアゲをザンギと呼ぶ地方で、ヤンザンギと言ったかな。ザンギは〈炸鸡〉"zhaji"の訛りでヤンは〈软〉"ruan"の訛り、と私は考えていますので、そんな愛媛県の山間部のチマキが大陸源流のものでもまったくおかしくないと私は考えます。なんならジョン万が大陸横断鉄道建設に従事したチャイナマンたちから教わった料理が太平洋を逆に渡って四国に定着したと妄想してもいい。

頁307

「あの朝鮮人に同情する者?」とすぐさま憤然とジンはいいかえした。昨日まではジンはスーパー・マーケットが谷間にもたらした悲惨について話すおおよその人間同様、権威にみちたスーパー・マーケットの所有者が朝鮮人であることをほのめかすことすらなかったのだ。しかしいま、ジンは、直接朝鮮人という言葉に強調を置いて話している。スーパー・マーケットの略奪が、あたかも谷間の人間すべてにスーパー・マーケットの天皇との勢力関係を一挙に逆転しつつあるとでもいうように、いまジンは谷間を経済的に征服している男が、朝鮮人であることをためらわずに広告しているのである。「この窪地に朝鮮人が来てからというもの、谷間の人間は迷惑をこうむりつづけでしたが! 戦争が終ると、朝鮮人は、土地も金も谷間から捥ぎとって、良い身分になりましたが! それを少しだけとりかえすのに、なにが同情してかからねばなりませんかの?」

「ジン、もともと朝鮮人は望んで谷間に入って来たのじゃないよ。かれらは母国から強制連行されて来た奴隷労働者だ。しかも僕の知っている限り、谷間の人間がかれらから積極的に迷惑をかけられたという事実はない。戦争が終った後の朝鮮人集落の土地の問題にしても、それで谷間の個人が直接損害をこうむったということはなかっただろう? なぜ自分の記憶を歪めるんだ?」

「S次さんは朝鮮人に殺されましたが!」とジンは僕に対する警戒心を急速に回復しながら訝かしげにいった。

「あれもその直前に、S兄さんの仲間が朝鮮人を殺したことの報復だよ、ジン。それはよく知っているじゃないか」

朝鮮人が窪地に入って来てからろくなことがないと誰でもいっておりますが! 朝鮮人などみな殺しになればよい!」とジンは自分自身を理不尽に励ますべく異様に力をこめていった。いまや彼女の眼は怨嗟にみちて暗く沈みこんでいる。

「ジン、この窪地の人間に対して朝鮮人が一方的に害をしたということはない。戦後のいざこざは両方に責任がある。それをジンもよく知っていながら、なぜそうしたことをいいはるんだ?」(以下略)

「強制連行」と書いてますね。ならもっとディティールを詳しく書くべきでした。戦争末期でない時期だと、ちょっとちがうんじゃないかなあと思わないでもないので。大瀬村に行けばそういう記念碑や説明掲示板、郷土資料館の展示なんかもあるんでしょうか。

オーエサンの四国は、吉田類サンやハチキン坂東眞砂子サンの四国とはだいぶ違いました。『海辺のカフカ』の四国とも違う。のー先生の『マネーフットボール』や『オレンジ』の松山ともちがった。もてこいもてこーい、チョウソカベ、ゴリョウ。

(2023/9/26)