相模原にも縁切り榎があるのですが、南北朝時代に後醍醐天皇の皇子護良親王を匿った淵辺義博という人が、故郷と絶縁してまで皇子を奥州に送り届けようとした記念の榎だそうなので、ちょっと違うかなと。
板橋の縁切榎に一度行ってみようと思っていたのですが、以前の気持ちはなく、最近はどうしようかずっと迷っていました。
都営三田線板橋本町A1出口の右上。駅の地図にも載ってるほど。
板橋本町
板橋本町 インド人などと話していて、どうも彼らが都市高速とNEXCOの違いを理解してないとか、中央道のような自動車専用道と東名のような高速道路(速度制限の上限が違う)の違いを理解してないとか、ヘンだなあと思っていたのですが、このように、英文表示に分解能がないからだと気づきました。なんでもエクスプレスでは、そりゃちがいが分からない。
板橋本町
板橋本町 どうもうまく写らない。
stantsiya-iriya.hatenablog.com
もともと上のマンガで探訪記を読んで、それで行ってみようと思っていたのですが、縁切榎&東京大神宮参拝の霊験あらたかで婚姻迄こぎつけたパートナー壇蜜センセイの体調不良が長引いているので、どうもそれがすごく私の中で引っかかっていました。まんが家のセイノサンはとてもこまやかなこころくばりをしてくれていると壇蜜本人がフォローしているのですが、あまりに何度も縁切榎に頼っていると、パワーが強すぎるだけに、ある日逆流現象なども起こるのではないかと、私は怖いです。言い換えると、おそれています。
数メートル先に交番があるのも、なんとも言えないです。横浜中華街を歩いていて、突然あの碁盤の目に切っ先を突き付けるかたちで、善隣門に対し鋭角に加賀町警察署が現われるのは、それなりに理由があるわけですが、縁切榎に交番がある理由は分かりません。
斜め向かいに、グーグルマップで188人も☆をつけてるリサイクルショップがあって、私が通ったとき、事務用の回転椅子を店の前に出して腰かけたインド亜大陸系の若者がスマホでテレビ通話に興じていて、「アッサラームアレイクム」と挨拶していたので、おそらくイスラム教徒でしょう。彼に、斜め向かいのシュラインが何か知ってるか聞いたり、スーパースティション(迷信)と思うか信じるか、そもそもイスラムにも聖者廟やスーフィズムなどの神秘主義が正統の戒律と共存しており、信じる余地はあるのではないか、と尋ねてもよいかと思いましたが、語学力がありませんし、SNSでいろいろ発信する人がやればいいと思いました。
水 稲城からずっと京王線、都営新宿線、都営三田線と飲まず食わずで来たので、まず食事をしようと思って入りました。セイノサンのマンガでは距離感が分かりませんが、十字路の隣りです。絵馬はもう縁切榎自体の自販機で購入するようになっているので、ここで買う必要はなく、ただ単に入ったというかたちです。
マンガより雑然とした、庶民的なふんいきでした。マンガだと、もっと最近建て替えた感じに見える。
ごまサバの本場福岡出身のお客様が「九州で食べてるみたい」「これは本気で美味い!!!」と褒めてくださいました。嬉しい!!!感動!!!ありがとうございます。
新鮮なサバを醤油ダレで丁寧に合えた漬け丼です。
「板橋本町長寿庵」特製の味付けとごまの香りがアクセントとなって青魚が苦手な方でも美味しく頂けます!!!
ごまサバ漬け丼セット
入る前は天とじそばでも食べようと思っていたのですが、なんかこういう推しがあったのでそれにしました。
ごまサバ重。青じそ、大根おろし、おろししょうが(チューブ)海苔、干し海老。とてもひさしぶりに干しエビを食べました。
大根おろしに醤油をかけたところ。店内はメニューの紙や色紙が所狭しと貼られており、セイノサンの色紙など、少なくとも四枚はありました(一枚はコピーの可能性)そば屋はともかく、榎行き過ぎやろと。誰かに頼まれて付き添ってるのかもしれませんが…
セットのおそばを温かいおそばにしたら、こんな感じのたぬきそばでした。そばの右上は月見でなくカマボコです。また、最初がお冷(オヒヤ)で、涼しい日でしたので、お茶もグラスに入ったのがあとから出てきました。そばの麺が、そうめんかと思うほど白くて細いので、おどろきました。よほど白くさらしてるのか。
そばにねぎと七味を振ったところ。後ろの席に肌をおしげもなく露出させた中国人の若いネーチャンがふたりいて、大陸調の北京語の会話の中に「ソバ」という日本語を織り交ぜて喋っていたので、漢語でも〈烧卖面条〉"shaomaimiantiao"というコレクトな名称が蕎麦にはアルンデスヨ、と、邦人ならではのよけいな知識を脳内で思い浮かべました。で、彼女たちは、流暢な日本語で「そば湯ください」と調理場に声をかけ、お運びのおばさんは無反応だったのですが、中から若だんながそば湯を出してきて、デザートみたいなおまけもつけていたので、「えーいいんですか」と中国人の娘もうれしそうでしたが、これくらいしゃべれたら、相手は目上なので「ありがとうございますぅ」と言った方がいいけど、「ありがとう」とタメ口なのは、どうしても母語のヒューマンリレーションシップが影響するからだろうなと思いました。
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兵隊支那語に「シンジョ」というのがあって、漢字で書くと「進上」なのですが、それを「しんじょう」と読むのは日本語で、漢語では〈进上〉はジンシャン"jinshang"です。
日本語に「しんじょう」や「しんぜよう」などの言い回しがあって、それに対し、中文ではジンシャンというと、〈进上〉では何がなにやらですが、ほぼ同音に、〈敬上〉"jingshang"ということばがあります。「恐れながら上様に申しあげます」みたいな感じで、”冒昧敬上“と言ったりするのは、私は武侠小説を読まないので知りませんが、読む人なら出て来るので知ってるかもという感じです。あと歴史ドラマ。
で、「敬上」(けいじょう)と日本語で読むと、この漢字ではなく、「一筆啓上」の「啓上」になってしまい、今度は中国には〈啓上〉なんて単語はありませんし、読んでも"qishang"だし、そもそも「啓」が〈启〉に形が変わっちまうし(簡体字繁体字の変化とは無関係の、もともとの異体字)大混乱です。
で、そんな上を下へのジレッタ*1の結果、ミシミシバゲヤロの鬼子兵たちが「進上」と書いて「シンジョ」と読んでそれが中国語で中国人に通じると思い込んでしまう、世にも奇妙な兵隊支那語が出来上がったと私は思っています。
で、そもそもこんなことばが成立したのは、らんぼうな言い方ばかりであっても、何故か敬語的余韻を残そうとする意志が日本語話者にはどこかに残っているからではないかと私は推測しています。別に相手をうやまってるわけでもなんでもなくて、ただたんに自分でスッキリしない。占領地の中国人のほうから過度におもねって”我向日本大人敬上。“などと云ったこともあったでしょうし、それが「ジンシャン」だと何がなんだか分からず、こうなったのかもと。『中国嫁日記』のジンサンも〈井上〉の北京語"jingshang"の瀋陽訛りですが、まあ要は邦人は相手をうやまわなくても丁寧語を使いたがるし、あちらは敬語を理解しても、ふつうは、竹を割ったような言い回しが好きかと、ということで。
そして縁切榎。通行人が多いのですが、けっこう凝視する人もいて、最初見た時は中年の婦人が掃除していて、次に見たら若い女性が絵馬を書いていて、駅の切符自販機のあたりでうろうろしていたとっちゃんぼうやも微笑みを浮かべながら中を徘徊していました。関係ありませんが、この日は土曜日にも関わらず、涼しかったせいか、音波でのモノローグが止まらない人に電車内やホームでよく会いました。三人くらいいらしてらしたか。
まさか隣が公衆便所とは夢にも思わなかったです。せっかくなので放尿しました。
絵馬のかけかたも、縁切りオーバーツーリズムを反映してるのか、一枚一枚が見えるようには掛けられてなく、本棚の本のようにタテに差し込まれており、省スペースかつ何を書いたか外から読みにくくなっていました。それはいいのですが、マンガで、呪いみたいな悪いオーラの絵馬のヨコに架けると悪い気が移るので、なるべく前向きな絵馬を探してそのとなりに掛けるとよいとあったやり方は出来そうにないかったので、お賽銭を五円あげてお参りだけしました。
板橋本町 時計回りでなく反時計回りに回ったな、と、あとから気づきました。まあ仏教でないからいいのか。
そば屋の箸入箸袋のウラ。駅のホームに戻ると、くだんの中国人のネーチャンふたりが、駅のカンビンゴミBOXにペットボトルを捨てようとしており、もういっぱいで、それを無言でずっとギュウギュウ押し続けてました。何か、入らないと負けみたいな感じだった。
四ツ谷のお岩稲荷に行った時は、季節は忘れましたが、好天に恵まれ、とてもおだやかでした。「ここは安産祈願、子育てにも御利益があるんですよ」なんて言われて泣きそうになりました。縁切榎の日はなんというか、曇天で涼しかったのですが、芸能人の方の平癒を祈念して終わります。以上