酒呑地蔵 参拝

以前、代々木上原の街を歩いていたら、お寺にこのお地蔵さん移転の新聞記事のコピーが貼ってあり、それでいつか行こうと思っていて、昨日夕方行きました。

お寺の境内にあります。

 

奉納酒呑地蔵尊 奉納酒呑地蔵尊 南無酒呑地蔵尊 南無酒呑地蔵尊 南無酒呑地蔵尊 南無酒呑地蔵尊 南無酒呑地蔵尊 南無酒呑地蔵尊 南無酒呑地蔵尊 南無酒呑地蔵尊 南無酒呑地蔵尊 南無酒呑地蔵尊 南無酒呑地蔵尊 南無酒呑地蔵尊 南無酒呑地蔵尊 南無酒呑地蔵尊 南無酒呑地蔵尊 南無酒呑地蔵尊 南無酒呑地蔵尊 南無酒呑地蔵尊 南無酒呑地蔵尊 南無酒呑地蔵尊 南無酒呑地蔵尊 南無酒呑地蔵尊 南無酒呑地蔵尊 南無酒呑地蔵尊

幡ヶ谷と笹塚と東北沢のあいだで、北は遠く中野駅に通じてますが、微妙にずらして新中野中野富士見町もあります。

なんか不思議でしたが、ひっきりなしに旅客機が飛んでいて、この辺経路なんだと思いました。羽田に行くのでしょうが、どこから飛んで来るのか。

奉納 八月吉日 酒呑地蔵尊 令和四年 奉納 八月吉日 酒呑地蔵尊 令和四年
子育地蔵尊供養塔 酒呑地藏尊

酒吞地蔵さけのみじぞう  この地蔵は、江戸時代の宝永ほうえい五年(一七〇八)に本村に 建てられ、別名を子育こそだて 地蔵ともいわれますが、つぎのよう ないい伝えがあります。  むかし、四谷伝馬町に住む中村瀬平という若者は、故あって 家を出て幡ヶ谷村の農家に雇われて農作業や子守りなど、 一生懸命に働いたといわれています。  瀬平の勤勉さに感心した村人は、三十一才になった正月 彼を招いてご馳走したところ、ふだんは飲まない酒によった。 瀬平は川に落ちて水死してしまいました。瀬平は村人の 夢まくらに現れて、この村からお酒に苦しむ人を助けるた めに地蔵を造ってほしいと願ったので、村人たちは早速一基 の地蔵を建立し、酒呑地蔵としてお祀りして来ました。 平成二十三年一月十日に本町五丁目の地蔵橋のたもとか せんと 清岸寺に遷座せんざし、二月十九日に開眼供養が行われました。 新たなお堂も建立され、安住の地となりました。 渋谷区教育委員会

グーグルレンズに、ふりがなや欠字などおぎないました。のんべえでなく、飲めない人が飲んで事故死ですが、それは新聞記事で知っていました。以上