『「雨の木」レイン・ツリーを聴く女たち』大江健三郎(新潮文庫)"Women Listening to the 〈Rain Tree〉" by Ōe Kenzaburō(SHONCHŌ BUNKO)読了

『万延元年のフチボ』講談社文芸文庫版を読んだ*1ら、加藤典洋サンの解説で『日常生活の冒険』*2と『個人的な体験』*3と本書をコミコミで読むと万延顔淵閔子騫あじわいがより深まるというようなことが書いてあったので、途中『同時代ゲーム*4をはさみながら、やっとこさっとこここまで読みました。したっけ、この先も『洪水は我が魂に及び』『燃え上がる緑の木』『いかに木を殺すか』と読み続けなければいけないようで、「いい加減にしてよアグネス」と思いました。『空の怪物アグイー』も読んだ方がいいのかもしれない。

www.shinchosha.co.jp

(1)

 初め某図書館で借りようとしたのですが、その図書館の蔵書謙作では本書はいつ見ても貸し出し中で、いつでもいい、急がないからと思ってましたが、あまりに返却されないので、これはどうも例の、税金で買った本トラブルの一冊ではないかと睨んでます。長期延滞未返却紛失本。この図書館では利用者さんを一方的に責めるようなことはもちろんしていないので、「ひょっとしたら、返却したつもりでまだご自宅にあることも考えられますので、今一度お探しいただけませんか?」のように腰の低い低姿勢でお願いを続けるしかないようなのですが、ユーザーといえば、「あれっ? そうだっけ? 返したと思ったけどなあ」と言えばいい方で、「こちらは確かに返却したのですが、そちらの手違い、返却処理の際のバーコード読み取りミスという可能性はないでしょうか」などなど言い出す人もいるようで、そんなのが続くと窓口ボランティアも病んで辞めてしまうと思いますが、さらにそういうカスタマーが「かたづけられない人」「ゴミ屋敷」「認知症」等々いろいろコンボだと、もう本はそのまま迷宮の安堵ローラに埋もれてしまうしかないので、冥福を祈ることしか出来ません。

(2)

 で、別の図書館から借りたのですが、なかなか華々しいのが来ました。

中表紙 子育て中の人が借りて、ハイハイの赤ちゃんがイタズラ書きしたのかしら。

スミ サ 5 3/13

奥付 赤ちゃんでなく成人がボールペンの試し書きやメモをしてるようですが、だれが何のために。

こわいっっっ!!!

(3)

表紙と目次横のサイン。これがヒカルクンのサインだったらお宝本なのにな、と書くと、メルカリやヤフオクでさっそく「ヒカルクンサイン入り大江健三郎著書」の出品が相次ぐ悪寒。私にそんな影響力ないか。

カバー 司修 ザデイン 新潮社装幀室 この表紙を見て、本書最終話の下記一節を連想し、それで本書の図書館本は何処でも数奇な運命を辿るのかなあと考えました。

頁230

(略)まず僕が幻影と感じとっていたものは、子供の時分に山村の道ばたで、それも「在」から出てくる、われわれと同年輩ではあるが性的に進んだ知識を持つ子供らの描いた「オマンコ」の絵と結んでいた。実際、僕は乾燥室の薄暗がりに、「在」の子供らが道ばたに描いた謎のような絵を見出したと感じたのだから。それは黒ぐろと太く隈どりした瓢箪型の図形だった。僕は成人して、いくたびとなく女子性器を眼にしてきたわけであるが、その瓢箪型の図形に具体的に納得させられたことはなかった。ところがいま陰阜から性器を囲んで肛門にいたる、まさに瓢箪型の輪郭の黒ぐろとした恥毛を、そのOLの両腿の間に見たと感じたのだ。(略)

表紙を私は子宮のエコーのようだと感じたのですが、たしかにひょうたんのようでもある。

www2.nhk.or.jp

(4)

「解説 ー変化に伴うエネルギーー」を書いたのはツスマ佑子サン。あまりオーエ作品の熱心な読者ではないかったそうで、『洪水はわが魂に及び』を読んだ時、オーエサンとサイケ妻(伊丹十三実妹)とヒカルクンの実生活に基づいた作品とは夢にも思わず、よくこんな設定思いつくなと感心したそうです。三島由紀夫開高健『輝ける闇』評にも似てる。ベトナムにまったく行かないで空想だけで書いたのなら評価するが、行って書いたんだったら、アレだよ、みたいな。とまれ、そのせめまくりの世界に、ツスマサン自身ダウン症の家族がいるので、重ね合わせて読んだとか。で、その読書感想をほかに開陳したところ、ちげーよ、あれはさー、みたくなって、で、本書含むいろいろを読んでみたんだとか。

津島佑子 - Wikipedia

(5)

本書も文庫化ロンダリングで、単行本が昭和57年(1982年)新潮社から出たことは文庫本奥付に記載されてますが、さらにそのおおもとの初出は消えてます。日本語版ウィキペディアにも記載はなく、ロシア語版に初出時期の記載があります。(本書に英語版ウィキペディアはナシ。未英訳?)

Женщины, слушающие дождевое дерево — Википедия

(6)

日本的価値観では本書は短編集ですが、オーエサンの英語版ウィキペディアによると、本作品集は二本のショートストーリーと、三本のノベラからなるそうです。

en.wikipedia.org

Collection of two short stories and three novellas.

(7)

読売文学賞受賞。

(8)

『頭のいい「雨の木」"Smart 〈Rain Tree〉" 「文學界」1980年1月号

ワイハーのシンポジウムの話。本書には、もしオーエサンがモーホーに迫られていたら、という隠れたサブテーマがあるのですが、本作の、美青年をはべらせた破滅型白人詩人像がまずその萌芽です。また、しばらくのちオーエサンがアラブ作家のシンポジウムでパレスチナシンパの邦人活動家に絡まれて執拗な人格攻撃を受けた件の序章になるのか、このワイハーのシンポには各種ユダヤ人が参加しており、インドのユダヤ人作家も参戦していて、欧米のユダヤ人はドイツ人移住者の私的なパーティーに一切顔を見せなかったのだが、インドのユダヤ人に関しては参加不参加の記述がない、なども気になる点でした。

『「雨の木」レイン・ツリーを聴く女たち』"Women Listening to the 〈Rain Tree〉"文學界」1981年11月号

本書は、ひさしく短編を書いてなかったオーエサンが、ひさしぶりにいっちょ書いて見るか、で書き始めた連作とのことですが、私は勝手に、編集者が「センセー、センセーの長編異様に長いんで売れ行き悪いんですよ、昼寝の枕に最適、みたいな感じで。ここはひとつ、読者との新たな連結点という意味でも、短編書いてみません?」と言ったと思ってます。

マンガ『正直不動産』最新話でも、「日本人が日本人を騙すってのが、海外詐欺のド定番だぞ」というせりふがありますが、本作と次の作品には、大陸浪人のなれの果てみたいな、うだつをあげるどころか、いちげんさんの邦人旅行者にたかって暮らす、みたいな海外在住邦人が出ます。本作の場合は、太田光日芸でなく東大出たらこうなってたかも、みたいなキャラ。映画化したらユースケ・サンタマリアかな。でも少しトウが経ったから、もう少し若手で似たような人。

こんな人(アルコールとドラッグもあり)がモテてインカ帝国なのですが、モテた結果、中国系アメリカ人のパートナーがいます。もとは香港で映画女優だったと自称してますが、シャオリンという名前が広東語っぽくなく、国語、マンダリン、北京語、普通話っぽく響きすぎるので、ほんまけと思いました。彼の前妻はユダヤ人で、息子は著名なミュージシャンになるとか。マルカム・ラウリーという作家が実にひんぱんに名前が出るのですが、頁77に突然マキシン・ホン・キングストン*5の名前が出て、何の注釈もなく、かつまたこの一か所しか出ないので、なんだそれと思いました。金庸に置き換えても何の問題もなかったと思う。

www.hakusuisha.co.jp

「雨の木」の首吊り男"Hanged man of the 〈Rain Tree〉"「新潮」1982年1月号

ビバ・メヒコ!のメキシコシティーが舞台。客員教授をやりに来たオーエサンが、骸骨ばかりの街で半年間楽しく暮らすが、東京でヒカルクンに変化があって、ワイフひとりでは対応しきれなくなり、ヒカルクン離れ終了で帰国する話。やっぱり在メキシコ邦人の胡散臭い人が出て、この人は日本の商社マン全員スーツにフルボッコにされます。今なら録画出来るからそうやすやすとそこまではされないんでしょうが… あとは、大学構内の狭い社会だからか、南米各地の独裁政権から亡命してメキシコに暮らすインテリ階級社会が描かれるだけです。現地メキシコ社会とは、薄い膜がある。アテンドしてくれるのが日本語ぺらぺらのペルー人なのですが、産毛まで金髪の人物で、もう少しケチュア人ぽく、あるいは日系ペルー人ぽくしたほうが面白かったのになあ、と思うことしきり。アメリカがエクアドルだかホンジュラスに何をした、アルゼンチンだチリだコロンビアだといろいろあるのですが、メキシコのスケッチと嚙み合わぬまま終わります。

さかさまに立つ「雨の木」"Inverted the 〈Rain Tree〉"文學界」1982年3月号

ふたたびワイハー。かつて敵だった高安カッチャン(安田顕が演じそうにないヨゴレインテリ)の中国系妻が、日系ハワイアンから総攻撃をくらうオーエサンを助ける話。ワイハーのラーメンはサイミン♪ サイミング(ナントカビスケッツのタイミングの節で歌います)日系ハワイアンいわく、私らの母語はもう英語なんだから、日系だからと言って、ジャパニーズに寄せてこないでほしい、日系アメリカ人でなく、アメリカ人として接してよ! これに対しペネローペ・シャオ・リン・タカヤスは、あんたねえ、いちがいにアメリカ人ったって、ジョン・オカダとジョン・アップダイクと、あんたはどっちのジョン側なのよ?アップダイク側に入れてもらえんの? ここでいきなり『ノー・ノー・ボーイ』*6の作者が何の解説もなしに出てきて面喰いました。検索のない時代の読者はさぞとまどったでしょう。マキシーン・ホン・キングストン然り。

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彼女が21世紀人だったら、邦人の反核運動に寄せてきてくれる時には「汚染水」も当たり前のように持ち出すかもしれませんし、ガザへの連帯ばかり言ってるけど、南京アトロシティーや731部队之类总算怎样解决と国際放送でアジるかもしれません。そしてそれに対し、オーエサンは、「田中康夫石原慎太郎のことをカワード(臆病者)と評したが、僕のほうが五百万倍カワードなんだということを、今ここに証明しよう!」と言って何かしたら、面白かったかもしれません。

泳ぐ男――水の中の「雨の木」"Swimmer and 〈Rain Tree〉 in the Water"「新潮」1982年5月号

四作だと一冊にまとめたとき薄い(当時の常識に鑑みて)と判断されたのか、つけたされた話。舞台は日本の、オーエサンが体力づくりのため通ってるプール。そこに通うスッチーか何かで、ミリキ的なボデーで上流っぽい話し方をする女性と、スイマーに出会う。それまでの海外を舞台にした話の抽象的な描写がウソのように具体的な記述が続きます。ドメスだとこんなに濃ゆい関係にならはんねや、このお人は。なんぼ東大出て英語が得意やゆうても、言語化能力には差があらはんねやろねえ。

しかし私は、この話はオーエサンひとりの執筆でなく、なんとなく、義兄伊丹十三あたりが、天才の俺様がちょちょいとテコ入れ、『不連続殺人事件』は安吾覆面作家で大成功じゃろう、これもスマッシュヒットしたら印税おごれぞなもし、な気がしてしかたないです。

頁290

 —―どうしてそう、なにもかもわかっているようなことがいえるのかなあ? ひとのことなのに……

こういう、他のキャラのつぶやきの後、犯人の妻による怒涛の独白が始まるのですが、このくだりがあまりにオーエ節とは程遠く、かつエンタメ臭がはちきれんばかりですので、そうなんじゃないのと。

もしオーエサンがモーホーに迫られていたら、という隠れたサブテーマについて、中国系アメリカ人もしくは犯人の妻と語る場面があるのですが、それにしては、この話の前半の山場、「一人旅の女性が現地の悪いガイドに騙されてひとけのない場所に誘い込まれての話」メキシコ編スペイン編のくだりで、オーエサン自身もふらふらあてもなく郊外に行く路線バスに乗ってその辺の村に行ってまた帰ってくるプチ旅行を繰り返している割に、同様の貞操の危機について思いを馳せないのはちょっと想像力がこっちに働かない凡庸さがあると思いました。私はパキスタンに行ったとき、モヘンジョダロには物陰に潜んで旅行者が来ると襲い掛かってノックアウトして思いを馳せるノックアウト強姦がいると聞いていて、回教圏ですので滅多に一人旅の女性なぞ来るわけもなく、獲物も男性狙うのも男性、という話だったです。ジョン・プアマン「脱出」のようだ。「いい歯並びをしてるな」

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たぶんこの映画は無関係です。でもこの縁で本書を手に取る人も多いのかも。

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たぶんここも無関係。でもこの縁で本書を手に取る人も多いのかも。

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右はカバー裏の作品紹介。

危機にある男たちを受け入れ、励ます女たち。若者を性の暴力に向けて挑発しながら、いったん犯罪がおこると、優しい受苦の死をとげて相手をかばう娘。かれらをおおう「雨の木レイン・ツリー」のイメージは、荒涼たる人間世界への再生の合図である……。宇宙の木でもあれば、現実の木でもある「雨の木レイン・ツリー」ノイメージにかさねて、人の生き死にを描いた、著者会心の連作小説集。《読売文学賞受賞》

上の「励ます女たち」を「励ます男たち」に置き換え、「かばう娘」を「かばうおじ」に置き換えたいというBL願望を満たした同人が、この広い世界の、きっとどこかにあるはず。オーエサンとヒカルクンの組み合わせも。以上

*1:

stantsiya-iriya.hatenablog.com

*2:

stantsiya-iriya.hatenablog.com

*3:

stantsiya-iriya.hatenablog.com

*4:

stantsiya-iriya.hatenablog.com

*5:

stantsiya-iriya.hatenablog.com

*6:

stantsiya-iriya.hatenablog.com

関係ありませんが、PL教団も戦前は「ひとのみち教団」として、兵役拒否を貫く骨太の非国民集団だったと先祖から聞いています。こんなに衰退するとは、もののあはれ

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