『エジプト人はどこにいるか』أين المصريون؟ 読了

エジプト人はどこにいるか (第三書館): 1985|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

前川健一のアフリカの本の写真の、田中真知のエジプトの本で、紹介されてたエジプト関連書籍の一冊。

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表紙を開くとシャレオツなカラシ色の返しで、オータム気分満載なのですが、装丁者の名前を見つけられませんでした。あとがきでも謝辞は第三書館の社主宛のみ。写真はヌタハラうじがおんみずから撮影されたそうなので、デザインは作者なのか、社主なのか、なもなき第三者なのか。
表紙やカバー折に多用される、1985年初版当時のゼロックス技術を最大限生かしたシルエットカットは、牛と人と農機具であることは分かるので、犂で耕地でも耕してるのか、鋤いてるのかと思いましたが、カラー写真ページに当該カットがあり、サーキヤと呼ばれる畜力型の揚水機でナイルの水を灌漑しているのだそうです。

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朝もやの中の撮影で、夜通し灌漑作業の農業デスマーチをしていたという設定だそうです。シルエット処理する前の写真だと、水車がはっきり見え、牛も、角のかたちなどから、水牛であることが分かります。ナイルの農民は水牛🐃をとても大事にしていて、他人に勝手に搾乳されないよう、住居の中に家畜をしまうように飼っていて、不衛生なので戸外に家畜小屋を作るよう勧めても、盗難等を怖れて、がんとして首を縦に振らないとか(エジプト人のしぐさで、頚を縦に振るのがイエスかノーかは知りませんが)頁150で、ならば家屋内で家畜ゾーンと人間ゾーンに分けて仕切りをガッツリ作ってはどうじゃな、と開明的な地主が提案し、それから村の衛生状況はずいぶん改善されたというくだりがあります。1976年のくだりですので、そこは念頭において読むと。

kotobank.jp

Saqiyah - Wikipedia

このことばのアラビア語版のウィキペディアを探すと、アミューあつぎやミウィ橋本のような、ガラガラなんだか活用されてるんだか的な、カイロのザマレック島の文化センターが出ます。

ساقية الصاوي - ويكيبيديا

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اين المصريون؟

で、表紙にも裏表紙にもこのアラビア語のタイトルが併記されてますので、まずこれを打ち込まなくてはいけないと考え、ずいぶん前から懸案になっていたバルザック『あら皮』の「サンスクリット文字」打ち込みとあわせて、どこかに聞きに行こう、カイサルのものはカイサルに、クレオパトラのものはクレオパトラに、いや、彼女はプトレマイオス朝だから、厳密にはマケドニア人の子孫で原エジプシャンではないのかな、そんなことを言い出したらきりがない、エジプトのものはエジプトにということで、エジプト料理店まで聞きに行こうと考え、どこをどう組み合わせてお店訪問するか悶々としました。

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令和最初の八月十五日の写真 - Stantsiya_Iriya

news.mynavi.jp

が、グーグル翻訳で、日本語からアラビア語に翻訳したら、ほぼほぼ表紙のアラビア語に一発変換おkでしたので、今回はお店まで行かないことにしました(これまでも一度も行ったことありません。なら書くなという)

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表紙のアラビア語に近づけるため、邦文タイトルそのままでなく、アポストロフィや、はてなマークをつけたしました。エジプトを意味する「ミスル」の先端部分、接頭語の「アル」のうしろのところのかたちが微妙に表紙と違う気がしますが、私はアラビア語非識字者なので分かりません。ちなみにではないですが、最近こうやっていろんな言葉を打ってみて、やはり過去の学習経験はバカにならないと実感してます。ハングルのように48時間あればだいたい読むくらいはなんとかなる文字(しかし意味をとれるようになったり、膠着言語であるハングルをネイティヴなみに話すことはまったく別問題)でなくても、筆記練習したことのある文字は、なんというか、カンの働き方が違うです。タイ語のように数時間しかやらなかった字は、相当分からない。

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右はカラーページのいちまい。ターバンをなびかせ、少年をしたがえてさっそうと馬、否、ロバにまたがる男のうしろのエキゾチックな土塊の塔は、エジプトの農村ならどこにでもある食用鳩の飼育小屋だとか。著者はほかのアラブ世界もあちこち探訪してるのですが、村長のツテという重力問題はさておいても、これだけ肉がふんだんに日常食されている農村社会はなかなかほかになかったと欣喜雀躍しています。頁182。

左の写真は、この三人のうち、どれがヌタハラうじか、正解をあてろクイズ。仮にも国立大学教授が、インド帰りよろしく水キセルキメキメで、地元のガキどもに「チン!チン!アチョー!」と毎日のようにカンフーの物真似でからかわれるめがねインテリなわけもないので、真ん中のハリウッド男優みたいな精悍なイケメンが作者と思うのですが、どうか。あるいは大穴で、左側の、師岡カリーマ・エルサムニーなら、道端で萎びたガルギール(ルッコラ)を売ってるオッサンと形容しそうなオッサンがヌタハラうじなのかもしれません。

『変わるエジプト、変わらないエジプト』تغيير مصر. مصر لم تتغير.読了 - Stantsiya_Iriya

本書に小池百合子は出ません。

写真は、けっこう女性が多く載ってるので、載せません。頁191に、フィルムはすべて東京に送って現像した写真をまた送ってもらっていたのだが、ある時、暗い農村家屋で焚いたフラッシュで、授乳中のむらびとの奥さんのオッパイがまる写しに入りこんでしまったカットがあって、それは誰にも見せず、秘密裏に墓場まで持ってくと書いてます。ただし、肌露出に厳しいエジプト社会でも、授乳は例外的に性に結び付けられず無関心で、そこにハラーム(非)とハラール(是)の境界が考察されるとのこと。

頁243、作者は、理由は書いてないのですが、ホモソーシャルな男性エジプシャンには知己を多く得た反面、どうもエジプト女性は、例外ふたりを除いて(そのうちひとりはシリア在住)好きになれなかったとしています。まあまあ写真撮ることが許されたのだから、気を許した女性(恋愛的な意味でなく)も少なくなかったろうと思うのですが、そう云うからには、まあそうなのでしょう。多分、その社会に対し、こだわりを持たずにはいられぬタイプの人士だったのではないでしょうか。前川健一がタイにあれだけ長期滞在しつつ、タイで圧倒的に信仰を集める上座部仏教の当地でのありかたについてひとこと言いたいみたいな感じと同類項で、エジプトになんか言いたいのだろうと。

本書にはときおり作者の奥さんの存在が出ますが、どこのだれなのか、まったく記述がないです。検索すると、ブログなどで、作者は現在、名誉教授で、長崎の五島に住んでおられることが分かり、ベターハーフな人は逝去されてるそうです。日本人だったのか、エジプト人だったのか(多分違う)なにも分からない。

奴田原睦明 - Wikipedia

ご専門のエジプト文學には、ノーベル文学賞受賞者もいるのですが、受賞者の作品は、ひと回り上の同業者に訳されてしまっています。というか、同世代のエジプシャンインテリコミュニティが居心地よくてその中にハマってピラミッドな日々を過ごしてしまった感じで、ノーベル賞をのちに受賞する重鎮は、本書には出ません。

ナギーブ・マフフーズ - Wikipedia

塙治夫 - Wikipedia

作者はエジプト政府から奨学金をもらって二年あまり現地に留学出来たそうで、そのため尽力したのは、当時カイロの一等書記官だった上のパイセンだそうです。ヨカッタデスネ。頁214。

ヌタハラうじの訳書は、パレスチナ人作家の下記を読んでました。今、読書感想を読み返しますと、私はヌタハラうじの解説に占める他人の文章の多さを糾弾してます。青い。「だってそう思ったんだもん」

『太陽の男たち/ハイファに戻って』(現代アラブ小説全集7)"Selected of Modern Arabic Novels" "رجال في الشمس MEN IN THE SUN" "عائد إلى حيفا RETURN TO HAIFA" by غسان كنفاني GHASSAN KANAFANI 読了 - Stantsiya_Iriya

たぶん師岡カリーマが紹介してたので、はてなブログを書かれてるどなたかが河出版で読んで、それを見た私が図書館でむかしの版を読んだです。巻末に収められた天下の大江健三郎の泣き言が思わぬ拾い物で、大層面白いと思いました。東京での国際シンポで日本パヨクが親イスラエルのエジプトを糾弾して、そしたら肝心かなめのパレスチナ参加者が、アラブは一心同体であるとともに退席してしまい、シンポは空中分解、司会の大江は何も出来ずに茫然自失で泣き出したと新聞に書かれ、生き恥を晒した。

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本書の地図はむかしのものなので、その後取ったり取られたりがあったのか、現在のグーグルでは、スーダンとの国境は直線と、実際のラインのふたつに増えています。

また、本書の地図は、イスラエルのヨコにカクカクした点線があるのですが、この線の意味が分かりませんでした。現在のヨルダンの国境にほぼ重なっていて、この地図だけ見ると、ヨルダンがエジプト領だったかのように見えてしまう。

アラブ連合共和国 - Wikipedia

エジプトがシリアと数年間だけ共闘して、連合共和国を組んでいた時代はあったみたいですが、ヨルダンは関係ないので、このカクカクの点線はナゾです。シリアにもレバノンにもイラクにもサウジアラビアにも国境線を引いてない地図なのに、ヨルダンだけ線が引かれてる。

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www.google.com

私はエジプトに行こうと思ったことはなく、これからもないと思います。どうも世界的観光地というのが苦手で、中国でも桂林にはなかなか行かなかったくらいなので。イタリアのローマと同じくらい、ピラミッドのエジプトには惹かれない。あと、マチュピチュとクスコのペルーにも魅かれない。世界的観光地というだけでほかに何もなく、スレた連中以外待ち受けていない気がものすごくするので。鬼怒川温泉にも行ったことはないです。

それとは別の理由で、作者は本書執筆時点でエジプトに拒否反応、拒絶反応を示し始めていて、出社拒否のように出エジプト拒否、いやそれだとエジプトから出たくないの意味になるから違うか、その症状に、本書を参考文献にあげた田中真知うじは大いに共感を覚えてたみたいです。それと中田考含め、本人たちは一歩引いてエジプトを客観的批判的に見てるつもりが、外部から彼らを見ると、エジプトにドップリで、エジプト人の悪いところを彼らも身に着けてしまってるように見える、という恐ろしさがあるような気瓦斯。いやこれは中国を品評する私自身がかねがねふつうの人から言われてることを他人に置き換えて言ってるわけでは決してなくて。

とまれ、作者はこの後、肥沃なナイルのめぐみの定住アラブ、農耕アラブから離れ、遊牧の世界へと傾倒してゆくんだそうです、田中真知うじによると。

第一章はエジプトとは何かの概論ですが、かなり情緒的なので、理系の人は読んでも何も残らないかもしれません。「砂漠の只中にあるが反砂漠」ガマール・ヒムダーン(頁4)とか、上エジプトと下エジプトは質的には均一(頁6)とか、エジプトの地形は「幼児のために作られた」と言われるほどに単純明快で、平坦な砂漠に一条の河が貫通しているだけ(頁6)とか、

頁10

 単一の水脈に依存する国が、その水を介して支配を徹底させる好個の例であり、シリア、パレスチナアナトリア地方のように水脈が多様で天水にも依存できる地とは大いに異るところである。 

 ライン川ドナウ川チグリスとユーフラテス、オクサス川とヤクサルデス川(シル・ダリアとアム・ダリア)黄河揚子江メコンとメナム、メコンと紅河、多摩川相模川、淀川と鴨川。文明のあるところ、だいたいふたつ河川があって、一つの文明の中がバラエティーに富む一助になっている。それがエジプトの場合ナイルひとつしかないよう。ばかおっしゃい、アメリカだってミシシッピーしかないじゃない、ブラジルだってアマゾン一択でしょ、どこがちがうのよ。みたいな。

頁32、エジプト化したマムルークを指すのに misraliyya(エジプト化する)という語がつかわれるとあり、ファラオのエジプトがアッラーのエジプトとなるまで、絶えず同化が行われてきたのがエジプトの歴史と理解しました。

マムルーク朝 - Wikipedia

第二章も残らないかも。

頁114

 このように、女性の身体はサタラ(覆いかくす)の対象の最たるものとなっているが、娘の躰に対する社会をあげての警戒心は、娘たちの素行を事前に拘束しようとするのか、中傷語を多く産んでいる。外出をよくする娘または女は、sāiba サーイバ といわれるが、これは繋がれた家畜がひもを切って逃げるの元義 sāba からきた語である。お化粧が濃いと gāziya ガージヤ といわれるが、これは尻を振って踊るいかがわしい踊り子の意からきている。見知らぬ男の顔を、目を伏せずに正視したりすると qariⅽ’.a カーリハ といわれる。これは皮膚が犯されていていくら洗っても汚れがおちないという意味の taqarrb.a に通じ、手のつけようもなく汚れ堕落した女の意である。laa'bīya ラアビーヤ は遊び好きな自堕落な女の意。''.arqāna シャルカーナ はナイルの河筋から離れているために水が不足し乾いた畑の意から転じ、渇えた欲望をむき出しにする女を指す。bitāa al mawālid ビター アル マワーリド というのは、聖者や預言者の生誕祭の女、つまり祭りの晩に外出し、人前に出たがるふしだらな女の意である。

 農村の娘は今だに割礼していると述べたが、割礼をしていない女はすぐ hāija ハーイジャ となる。つまり、自制がきかず欲望に身をまかせてしまうといわれ、うとまれるのである。もっとすさまじい中傷語には、娘を指して bazr バズル と言うのがある。これは zanbir ザンビール と同義で、割礼の時に切除される外陰唇の意で、取り除くべきものをつけている不心得者という中傷の言辞である。

 なんとか革命の時、女性も外に出て歌い踊ってたら、いつのまにかまわりがヤバくなって、囲まれて乱暴されたという記事は今でも普通に読めますが、数百年単位で根付いた慣習はそうそう変わらないということかと。女子割礼はサハラ以南の黒人の話と思ってましたので、回教と深く結びついた習慣という説明は目から鱗です。

第三章「方言による諺に結晶した農民の世界」は非常に面白いです。ここだけ抜き出して本にすれば売れるのではと思える。訳も傑出してるからだと思います。のっけから、こんな感じ。

頁119

エジプト人の言に従えばとうもろこしの軸とアリフアラビア語アルファベットの第一文字で ا と書く)との区別もつかない農民たちは(以下略)

 この本の書名のアラビア語の接頭もこの縦棒です。縦棒の文字と玉蜀黍の軸の区別がつかないなんて、すごいユーモアがあります。|||||||

これらすべては、標準フスハアラビア語の表記ではなく、エジプト方言アーンミヤによるものだそうです。以下一部書き写します。私のコメントは赤字にします。

頁120「早い者も遅い者も、渡し場で一緒になる

    遅れることがあっても、来ないということはない。

頁120「刈り取られた小麦はあちこちと多くの手を巡るが、ついには製粉所に至る

    来るべきものは必ず来る。

頁120「一人で喰らう者は一人でむせる

    彼らには本質的に共同体に生きる者という認識があり、人づきあいをしない孤立した人間を嫌い、警戒する。内向的人間は敬遠され、陽気であけっぴろげの人間は「血が軽い」と言われ好かれる。

頁121「主人、奴隷に曰く、“わしはお前を買ったぞ”。奴隷曰く、“それはあんたの問題だ”。主人曰く“お前は逃げる気か”。奴隷曰く“それは私の問題だ”

頁121「すべての禁忌ハラームは快い

    盗み、飲酒等、ハラームは数多くあるが、最も厳しく断罪されるハラームは姦通ジャー(以下略)

頁121 農民はよくカファという語彙を使うが、これは後頭部から首筋の上部を指し、叩かれるのはこの部分である。愚鈍や阿呆のことを「カファが広い」とも言う。

頁122「人前での忠告は、痛罵に等しい

頁122「覆われた売女の方が、衆目にさらされた貞女よりまし

頁122「牛を持たぬ女は哀れぞ。陰毛を編んで鞭を作りおる

    牛を持たぬ女とは、寡婦の隠喩で、亭主のいない女は自然に身じまいを怠るようになり、体毛なども剃らなくなるから陰毛がのびて、牛の背をたたく鞭を編むのに充分なほどになる。

頁122 指いじめ(yaba ' ba s.u)とは性戯の時の指使いを意味する語彙である。

頁123「戦争を願って、戦闘を嫌う

    実行を伴わぬ、言葉のための言葉への不信。対イスラエル戦でアラブ諸国が互いの不戦を詰り(以下略)

頁123「奴隷と遊んでやれば、尻をまくられるのがオチだ

    下層の者を甘やかすとすぐつけ上がってくるというのが支配者側のメンタリティ(以下略)

頁124「乳母が実母より赤児を慈しんでも、所詮ゆがんだ愛でしかない

頁124「神よ、私に目が二つそろっていない隣人をお与え下さい

    隣人に対する猜疑心と恐れ。邪眼もこわいのでしょう。

頁124「ランプを売り払って、代りにカーテンを買ったら、何か隠さなければならないことがあるからだといわれる

頁124「人間は親切の奴隷だ

    他人から親切にされると、その人はすでに借りができて自由でなくなる。親切は純然たる精神的な行為であるよりは、具体的な行為の賃借とみられることが多く、受けた親切は返さなければならず、(以下略)

頁124「逃げて神に蔑まれても、殺されて神の慈悲を受けるよりまし

頁124「涙が無かったら、背骨が焼かれていたろう

    無体な権力者の前で涙を流してみせるのは、農民の処世術であり(以下略)

頁125「狼を叩くな、羊を飢えさせるな

    強者と弱者をうまく使い分けての施策。

頁125「泥をつかんで壁に叩きつけろ。たとえ張りつかなくとも、泥のあとは残るから

 頁125「村のコーラン読みのロバは買っても、彼が離縁した女は嫁にするな

    (前略)コーラン読みのところのロバは職業柄、酷使されていないから買ってもまだ(中略)農事の精力を使っていないコーラン読みは、あちらの方に精力を傾けるからコーラン読みの女房は(中略)くだびれて使いものにならないという(以下略)

頁126「寄せる波の方が引いていく波より多い

    災難(以下略)

頁126「俺の面をひっぱたいておいて、何故そんなに泣くんだと尋ねやがる

頁126「羊の数が多いといって怖がる屠殺屋はいない

頁126「鳩舎の鍵を猫に渡した

頁127「小便が大便の上に下り立って曰く、“ようこそ、キルダーシュ(友の意)”

    オスマン・トルコ支配下のエジプトにおいて、粗野なトルコ人兵士たちが、挨拶の時に常用する、「ようこそ、キルダーシュ」という言葉を使って(以下略)

頁127「“どのように、余は汝等を後に残していったらよいものか。よい策があったら教えよ” 人々曰く、“それはこちらにまかせておいて、あなた様はさっさと立ち去って下さい”

頁127「下層の輩は、違法の手で治めよ

頁128「他処の人に気前よく振舞おうとする者よ、身内の者は空きっ腹をかかえているぞ。ここに坐って身内と共に食え

頁128「身内の間では小物で、外では大物

   家庭内暴君の逆は実は珍しいのでは。

頁129「支配者が取り残したものを、死が奪っていく

頁129「裸足の者から彼の靴を奪う

頁129「この柱からあの柱へ繋ぎ直してくれ。鎖が解かれたその間せめて一息つけるやもしれぬから

頁129「素面の奴からでなく、酔った奴から取れ

    取りやすい者から取ろうとする収奪者の論理。

頁130「月夜にランプを灯す家は破滅する

頁130「横柄な人間を持たぬ家は、屈辱にさらされる

頁131「一つの過ちより千の聖なる書コーラン

    (前略)一回の過ちより千回結婚をくり返す方を取るという社会規範の論理(略)

頁131「男が男らしさを失うと、女が放縦になる

頁131「最も大きな災は、小麦のあとに小麦を作ることと、亭主の不在中に妻君が人を招いて饗応することだ

    妻君→女→過ちという連想がここでも見られる。小麦のくだりは、連作障害を指す。

頁132「自分の宗派の者と一緒にならぬ奴は、不可解な病にとりつかれて死ぬ

    コプト派やユダヤのような世襲宗教の少数派にとっては死活問題だからか。

頁132「子供は産めばいい。夫だって代りはある。だが自分の兄弟だけは代りがない

    珍しい、女性の側からの格言。

頁134「訪問は欠かさぬが、長居をしない人にアッラーの神はお恵みを施す

頁135「娘の肋骨は折ってもまた生えてくる

頁135「二人の妻を持つ男は、二つの鞭の間に置かれた後頭部カファに等しい

頁136「子供たちのうち、どの子が一番可愛いかを尋ねられ、答えて曰く、“おれの手がその性器クスに触れている母親の子だ”

頁136「妻の死は再婚

頁137「妬み心を持つ者は、他人の不幸を喜び、他人の心を粉々にする

    人を呪わば穴二つ、といった抑止的なことわざはなく、妬んだものの強さ、妬まれる側の受け身の弱さだけが際立つ。

頁138「厩の戸口の向きを変えよ

    妬みから来る邪眼を防ぐには、こういう物理的かつ迷信的な手も使う必要があるという…

以上ことわざ。日本のことわざよりシビアで現実的だと思いました。財産を守るために分割の危険性のない近親婚が奨励されており(男性にとっては、父親の叔父の娘が最適だとか)それに類する諺(恥ずかしがらず欲情しないと子作りできないよ、みたいなの)も書いてありましたが、寫しません。

頁145 第4章「エジプト的事象」

 邪視に対する一般的な護符としては、とうがらし、馬蹄、靴を型どったもの、塩等が使われる。また k_amsa k_umaisaハムサ フメイサ といって五本指をひらいた掌の型のお守りも効きめがあるとされ、よく自動車のお守りにぶら下っているのを見かける。アッラーの名を唱えるのも霊験あらたかであるとされ、たとえば「あなたは素晴らしく壮健だ」と言った後、bismillāhi(アッラーの御名において)とか mā sā'a allāhu(アッラーの御心のままに)と付け加えたりする。

カラ―写真のなかに、直接手形をべたべた壁につけた護符の写真があります。塩も効くというのは、日本との意外な共通点な気がします。このあたり、かなり作者はエジプト人の嫉妬気質について深く考え杉に陥ってる気がして、裕福な日本から来るとそうなりますかね、と思いました。

頁150、農民は戸外で排便するのになれていて、それだと住血虫の感染に寄与してしまうので、厠を作ってそこでしたらという衛生的な提案が、受け入れられなかったと云う箇所。ガラビーヤのまましゃがむとすっぽり隠れるので、見られる心配はあまりないとのことで、シリアの砂漠も、ナイル上流のスーダンエチオピアエリトリアもこの点に関しては同様、トイレは屋外雉打ちだそうで、しかしそこで、尻は水で洗うんだよな、と思ったのですが、その記述は見つけられませんでした。紙ではないと思うのですが、どうだろう。ころころうんちやぽろぽろうんちなので拭く必要がない民族もいますが、エジプト人はそっちではないほうに賭けます。

頁152

 レバノンやシリアのアラク酒(ぶどうや棗やしから作り、水で割って白濁させて飲む)、イエメンのカート(カート樹の葉を咀嚼し、陶酔境に至る)等に匹敵するものといえば、エジプトではハシーシとなる。

 不思議なのは、レバノンのバアル・ベックの辺りが、今はハシーシの産地として名高く、エジプトでは栽培禁止なのに、実際にハシーシが愛飲されているのは、レバノンでなくエジプトだという点である。

 ここは、いたるところ、青い煙とか、いろいろ書いていて、好きなんだなと分かりました。サダト政権まではオッケーだったのが、ムバラクに変わってからだめになったようで、その後はどうなんでしょうと。でもホメイニ以後死刑になったはずのイランでも、トラックドライバーなんか必需品だったとヒッチハイカーから聞いたことがありますので、旅行者が真似すると処刑されるかもしれませんが(イラン)住民だとどうなんだろうと思いました。

お酒に関しては、法では禁じられていないのですが、農村部では人を悪魔にするきちがい水として嫌われているそうで、建屋内では飲めないそうです。その家の主婦が嫌がるんだとか。ハシーシはコーランは禁じてませんので、家の中で吸ってるとその家のホステス(女主人)がお茶もってきてくれたりするとか。で、サダト大統領は、訪米時、ホワイトハウスシャンパンを飲み、飲んだこと自体より、飲んでおいて敬虔なムスリムづらした点で、批難されたそうです。頁153、155。

第四章は、考察より、アラビア語が上達しない作者が放り込まれた農村体験記として貴重で、その時期がなかったら、エジプトで胸襟を開いて認められなかったかも、だそうです。で、第五章は、エジプトインテリの友人たちの話です。ある画家が、どれでも一枚好きなのを持ってっていいよ、と言ったら、作者の奥さんが、二枚くれとごねたエピソードが、数少ない奥さんについての記述です。頁228。あと、ある作家の家に招かれて、日本人は魚介類が好きだそうだからわざわざ市場で買ってきたという、食べてはいけないニオイを発するほど古いカニを供された時(エジプト人ホストは食べないでなまあたたかく見守る)、ノーと判断したのも作者の奥さん。でも相手にそれを言ったりはしなかったようです。蟹って、えらあるのかな。あれば回教徒も食べれるはず。下記では「ウロコ」がないとだめとありますが、鰓じゃなかったかな。

toyokeizai.net

第五章に登場するキャラにはいずれもキャッチフレーズがあり、この人のだけはよかったです。

頁234、ユーセフ・シャリーフ ―男は買物なしで家に戻れない

このページに、大麻取引のカイロの大物が登場し、「広島のことは大変気の毒だった」と作者をねぎらうのですが、なんのことやらさっぱり分かりませんでした。原爆のことをわざわざそう言ったのか、イスラエルとアラブの抗争で広島に何かがあったのか。

さらにこのページ、ラマダンに断食をしないでビール飲みながらランチ食べるエジプト人が登場し(インテリ)断食をしない不心得者は、ファーティルという呼称で呼ばれるとあり、へーと思いました。で、友人が断食破ってるので、戒律よりも友人をたいせつにするユースフ・シャリーフは、自分も断食破ってメシを食い始め、エジプト人にとっての義理人情とはどういうものか、また作者に考えさせたんだそうです。考えなくてもいいのに。以上です。終わった。