『雨にシュクラン』شكرا لك على المطر أياكو كوماتسو "Shukran for the Rain." by Komatsu Ayako こまつあやこ 著 読了

神保町のアジア書店のマレーシアコーナーにこの人の処女作があり、読んでみようと思い、先にこっちを読みました。タイトルが実に秀逸だと思ったので。

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装画ーオザワミカ 装丁ー岡本歌織(next door design)

الوعد سحاب والفعل مطر

表紙(部分)最初、この表紙のアラビア文字が「雨にシュクラン」だと思い、本厚木の駅前で通りすがりのシャルワルカミースの親子に見せて話しかけようとしたのですが、この文章は「雨にシュクラン」ではありませんでした。

الوعد سحاب والفعل مطر A promise is a cloud, fulfillment is rain.

裏表紙(部分)どうもこの英文は「雨にシュクラン」ではないです。

الْوَعْدُ سَحَابٌ وَالْفَعْلُ مَطَرٌ

頁59に発音記号付きの同じ文章が出て、意味もそこに書いてありました。

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しかし、だいぶ表紙の字体と活字でちがうものだと思いました。日本の「書道」や中国の〈书法〉も活字と違うと言われればそうなのですが、お習字で習うくらいなら、近いと思う。

表紙と裏表紙の文章は、東京ジャーミイアラビア語道教室講師、シリア出身ターリク・ファタラーニサンの手になるものだそうです。巻末謝辞より。で、本文でこの謎解きをしてくれるのは、夫のエジプト駐在につれそって現地でアラビア書道を嗜んだ経験がある邦人のおばあさん。そもそも、タイトルの「シュクラン」がアラビア語であることはうっすら分かっていましたので、処女作はマレーシアでしたし、どこか回教圏の話ではあると認識はしていました。

したっけ、トルコとは思いませんでした。クルドでないほうのトルコ。本文中にふたりの容姿も書かれるのですが、黒髪黒い瞳という形容はあっても、肌の色はなく、私の知っているトルコ人から考えても、ちょっと表紙は肌の色がちがうと思います。マレーシアや一部のアラブ、インド亜大陸ならなんの違和感もないのですが、トルコとな。ペルシャ(イラン)であっても同じくらい違和感があります。ようするにちょっとこの辺でないっぽい気瓦斯。

また、トルコはアラビア文字を廃した国ですので、本文に何度も「トルコはアラビア書道が盛ん」と書かねばいけないような状態で、そりゃー盛んかもしれないが、ちょっと回教圏の知識面の初心者向けには無理ないかと思いました。私がウイグルレストランでトルコ人ウイグル文字のポスターの意味を聞いた時も、まったく愧じることなく、我々はローマ字を採用したのでアラビア文字は読めない、と、キッパリ言っていましたし。そこで私が、そうですよね近代トルコ建国の父アタテュルクがアラビア文字を廃してローマ字表記を推進したんですよね、近代化の一環として、アタテュルクはナントカ・ケマル・パシャが本名でしたっけ、と言い、日本でそんなこと言われたのは初めてだと驚かれ、いやいや高校の世界史で習うことなので、世界史必修以降の日本人なら誰でも知っているはずです、いやいや埼玉では誰もそんなこと言ってくれなかった、埼玉どないなってんねん、というふうに話が推移したのですが、それは閑話休題

頁45。ここにシュクランが出ます。トルコ語の「ありがとう」はシュクランではないのですが、私の知っている「メルヘメット」も現代トルコ語でなくウイグル語(古テュルク語の系譜のひとつ)でした。でもこれがメルハバになるのかな。そしたらどっちにしろ「ありがとう」ではない。昨夜検索して、私の知ってるペルシャ語のありがとう、「メルシィ」はホントにフランス語からの借用語で、別のかしこまった言い方もあると知りました。…という話は閑話休題で、トルコと日本のダブルの少年が、日本育ちなので英語もトルコ語もちょっとの状態でトルコを旅した時、アラビア人に親切にしてもらって、彼らのことばで謝意を伝えられたらな、で、シュクランが出るという入れ子の構造になっています。トルコ人だが、アラビア人に連帯したい気持ちがシュクランということばを出す。

頁65。しかし私としては、表紙の先入観もあって、どうにもトルコという気がせず、さらに、東京から隣県の海浜都市に引っ越すというくだりで、神奈川か千葉かどっちやねん、埼玉でも山梨でもない、となり、書道の話ですので、往年のマンガ『とめはねっ!』は藤沢でしたので、神奈川かなあ、でもそしたら安直なのかと思いました。

カレーショップ シュクリア ■ 藤沢 ■

シュクリアとはパキスタンウルドゥー語モルディブのディベヒ語で「ありがとう」という意味、つまりカレーの本場の「ありがとう」です。

で、藤沢ならシュクランでなく「シュクリア」でバシッとくるお店もあるので、パキスタンにして「シュクリア」にしたほうがよかったとすら思いました。しかしそれだと特定のお店の宣伝になってしまうので、それで「シュクラン」なのかもしれません。

トルコに関して言うと、頁90に、トルコレストランの店名「köy」はトルコ語で村の意味だという箇所があります。ヒッタイト王国の遺跡ボガズキョイ、ハットゥヤッシュは村だった。

ボアズキョイ

あとはブルーグラスのインテリア。私の好きなボスボラス海峡の屋台のサバサンドは出ません。あまりに観光食だからか。ハラル化粧品は『サトコとナダ』にも出て来た、回教圏共通の話題と思いますし、じっさい綾瀬のスリランカフェスティバルでも、ムスリマがそのお店に集中してた。生理中はラマダン免除されるが、別の時期にそれを補完するのも可という箇所は、知りませんでした。これも回教圏共通。特にトルコに特化した話でもなく。

で、このジュブナイル小説は、もう一点、大島弓子『毎日が日曜日』の趣もあります。どっちかというと金子修介の映画版のふいんき。図書館で不審者と間違われる場面は、間違われる人が外国人ぽい外見だからと思わせて、それとは別の人、『毎日が日曜日』のカジテツパパでした。

巻末に参考文献。『毎日が日曜日』『とめはねっ』『شكرا』の三大噺で押してくるので、楽しかったのですが、トルコであるならアラビア文字にしなくてもという想いは最後まで消えず、パキスタンにして「雨にシュクリア」にすればどうだろうとの想いがまだちょっとあります。以上

【後報】

大島弓子原作金子修介監督は、「毎日が日曜日」ではなく「毎日が夏休み」でした。とほほ。

www.youtube.com

(2024/1/12)

【後報】

巻末の参考文献は下記。

www.kinokuniya.co.jp

www.kamogawa.co.jp

www.jiyu.co.jp

www.sairyusha.co.jp

巻末の謝辞は、シリア出身の東京ジャーミィアラビア語道教室講師(当時)ターリク・ファタヤーニサンと、日本アラビア書道協会事務局長(当時)山岡幸一サン、(宗教法人)日本ムスリム協会理事前野直樹サンへ。

(2024/1/13)

図書館本の背表紙(部分)「ア」しか書かなくても分かる時代。

(2024/1/14)