漂浪の小羊 (南天書局): 2005-04|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
この書店の新刊案内を見て、虫が知らせて買いました。NHK中国語会話の陳真サン、と言われてもあまり思い入れのない私には想像もつかないほど思い入れのある人がたくさんいて、左右両岸關係なく愛されていた人だったのだなと、本書刊行後のドタバタを聞いてしみじみ思ったものです。
台湾の南天書局は、戦前の日本の台湾関係の刊行物の復刊も行っていて、むかし台北の精品書店のそのコーナーに行って、常時戦前植民地時代の一次資料(日本語)が復刻されて書店で店頭購入出来るようになってるって、すごいことじゃないだろうかと思ったものです。今は岩波現代文庫で「精読」が出てますが、当時は日本では新刊で買えなかった矢内原忠雄『帝国主義下の台湾』を棚で見つけて迷わず買いました。
七ページくらい、カラーの口絵があって、八歳の著者と九歳の谷川俊太郎が腕組んで銀座で立ってる写真が載ってたりします。谷川俊太郎、その年でもう手が早い(棒
漢詩だけでなく、内容的にも、父親の監修がないわけではないだろうと思うのですが、どの程度なのかは分かりません。作者の分身である少女が、幼少時に台湾から東京に来て、日本語がしゃべれない状態から、小説一本モノにする力をつけるまでの物語で、とりあえず圧倒されるのは、そのイジメ描写です。とても愛らしくて、こまっしゃくれた女の子が、幼稚園で既にして、「みんなはヨイコですから、支那人のやうに悪いヒトになつては不可ませんよ」とのたまうような先生に当たってしまうところ(頁61)でまず、はっとしてしまいます。
その後も、外国人の多い私立に通う一時期を除いては、まあよくもと思うくらい、タチの悪い教師もいじめっこも入れ替わり立ち代わり入れ食い状態で登場します。これだけ「チャンコロ」という単語が、主人公に浴びせられる小説は、なかなかないかと。あとは「支那ポコペン」とか、主人公は「田(デン)」なので、「タイコのデン」とか「デデンデンデン」とか囃されます。実際の作者は「陳(チン)」なので、何と言って囃されたか。
中国の本か何かで、日本では中国への悪口として「支那の敗残兵」と云う、とあり、あまりピンとこなかったのですが、本書ではその言葉が登場します。いじめっこがいじめに入る際に、「少し、馬鹿にしてやらうなあ」と言ってやってくる箇所などは、「いじめはよくない」というテーゼが如何に頭でこしらえた、人間の動物としての実態とかけはなれたもので、21世紀はそれでもっておさえつけようとしているが、昔は「いじめはよくない」なんて認識は誰も持ってなくて、そこから自由なやつばっかだったんだなとよく分かります。主人公は熱を出してうわごとでチャンコロ呼ばわりしないでとつぶやきながらも、生来持った気の強さと、学力の高さにまかせて、学級投票で級長に上り詰め、タチのよくない教師にも「中国人は立派だ」と認めさせようと奮闘します。しかしまあそんな理屈といじめっこの理屈はまったく別物なので、級長辞退するからいじめないで、「賴むから、いぢめるのを止めて、チヤンコロなんて云ふのを止めて。」「おれ達は、お前が級長になるのをいぢめるんぢやない。支那人は惡いから征伐するんだ。」(頁122)ここはすごかった。
本書をチラ見した頭でっかちのネトウヨが、チマチョゴリ切り裂き事件なんかのコピーペーストテンプレ脳から、主人公を自作自演のねつ造呼ばわりしようとして、どこぞの右翼だかなんだかの親分さん?もしくはその辺の正義感の強い正義漢のオッサンから、幼稚園の子に対して大の大人がこんな卑劣な振る舞いをするなんて、この子をかわいそうと思わないのか?恥を知れ!と大喝され、ぴゅーとどっかに逃げてったやりとりをネットで見ました。
それくらい本書はあっちこっちにてんやわんやの大騒動を起こしたのかのかなあ、という感じで、日本総代理店の某中国専門書店にも当時、出すのはいいが、事前にひとこと、こういう本を出すよと、もっと言ってほしかった… と苦言を呈され、なぜそれが苦言なのか、なぜそんな意見を聞かねばいけないのかは不明ですが、あいすみませんとメールニュースでも謝ってました。わけわからなかった。そういうわけだからかどうか、南天書局が鋭意開始した新シリーズ「戦後初期台湾文学叢刊」はこれ一冊きりで、以後続刊がありません。
そのかわりというか、本書は日本語で書かれてるわけなので、日本語世代以後や外省人には翻訳が必要ですので、2015年に中文訳が出たみたいです。何故か日本の国会図書館はそれもカバーしている。何故かってこともないか。それくらいやれるから。寄贈も受けてるだろうし。
漂浪的小羊 (國立臺灣大學出版中心): 2015|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
そも主人公一家が台湾から東京に出てるのは、父親が思想的に目をつけられていて、台湾より内地のほうが、まだ特高とかも無茶は出来ないから、という理由があるようで、NHK中国語会話の陳真サンが北京便りなのは、戦後、歸臺した一家は、父親がまず2.28以後國府に拘束され、釈放後姿をくらまし、母親は二人の子どもを連れて香港経由で大陸に行き、父親と再会するというストーリーがあったみたいで、そういう波乱万丈を経ての、NHK中国語会話の陳真サンが北京便りなのだと解説を読んで分かります。
http://www.peopleschina.com/maindoc/html/200503/tebie60.htm
https://www.iwanami.co.jp/book/b261733.html
本書でも中国語の会話はそれなりに出ますが、だいたい漢字の文だけで、例外は、頁94に、刑事のことを「狗コウ」と官話でルビ振る箇所と、頁99、閩南語で、「竹篙テッコウ」「我愛吃グアアイチャ」「甚麽ナアフエ」「甘蔗カムチャ」が出るヶ所です。姉妹はサトウキビをよく知らないので、物干しざおだと思い込んで、物干しざおが食べたいとねだる場面。ここは、どうした風の吹きまわしか、福佬語のルビつき。自分たちの話す中国語が、北京語の四声に比べ、七声もあるという知識は十三歳にして既にあったようで、別のページにその説明も書いてます。台湾ではその後國語教育になるわけですが、北京に行った陳真サンも普通話でNHK中国語会話にまでなる。
著者まえがきも奥付も民國三十五年。私たちは中国人、と台湾人が日本語で書く本が戦後初期にあった、という、ムーンサルトを三回くらいな感じのひねったこの小説は、解説によると、岡崎郁子『黄霊芝物語 ある日文台湾作家の軌跡』研文出版にも紹介されてるそうです。この後2.28があってこの意識が180℃変容したもしくは揺らいだという観点を踏まえないで読んではいけない小説ですが、それとは関係なく、いじめと戦う少女がけなげで、それだけで、わたしにとって、永遠に忘れられない一冊になっています。以上
【後報】
疎開の時は、集団疎開で、疎開児童vs地元の悪童という対立構造になり、特に華人だからという目に合わないようです。子どものヒアリング能力は凄いな、という感じで、疎開先の新潟県塩沢の悪童のことばを書いています。
「ソケツコのバツケロメわしやソケツコの來たスケ、米な、餘計に供出するだつぺやな、そない事があるだつぺやな、をばさんやソケツコと一緒になつツオー。」
父親は彼女に出発前に、「居家尊父母 在學有先生 萬事勿疎忽 問師然後行」という漢詩を渡し、疎開先のお寺で苦労してるであろう我が子を思い、「前題 慧眞住長恩寺 十天如十載 白髪鏡中新 夜夜成誰夢 長恩寺裏人」なんて詩を読むのですが、娘は、マーマのほうに和歌を送ります。「(前略)雨滴に眠れぬ夜は家戀ひし 瞼に浮かぶ母の顔かな」疎開先の勤労奉仕で、稲刈りに従事するときも、合間にポケットから手帳と鉛筆を出して、和歌を作ります。
疎開せし兒等もまじりて稻背負ひ
この辺、最初読んだ時はなんとなく読み進めてしまいましたが、台湾人学童の重層的な情緒を示す描写なんだと、再読時改めて感心しながら読みました。
(2020/6/7)