『禁酒法―「酒のない社会」の実験』 (講談社現代新書)読了

禁酒法―「酒のない社会」の実験 (講談社現代新書)

禁酒法―「酒のない社会」の実験 (講談社現代新書)

前に著者の別の本を読み*1、こちらも読んでみたくなり借りました。
前の本はアメリカが禁酒法に至る時代形成というか「空気」、文化のかもし(醸し)を詳述し、
こちらは禁酒法施行から廃止までの十年を淡々と追う構成になっています。

頁8
 この皮肉な時代を代表する人たちに、文学者を挙げることができよう。シンクレア・ルイス、ユージン・オニールウィリアム・フォークナーアーネスト・ヘミングウェイジョン・スタインベックの五人は、主に二〇世紀の前半に活躍した著名な作家たちである。彼らに共通するのは、ノーベル文学賞の受賞者であること、そして過度の飲酒に悩んだ者、つまりアルコール依存症の患者だったと言われていることだ。また、最も若いスタインベックを除く四人は、禁酒法の時代に芸術上の成熟期を迎えているのである。
 彼ら以外にも、アルコール依存症だったと思われている二〇世紀の著名なアメリカ人作家は、すでに触れたフィッツジェラルドエドウィン・ロビンソン、ジャック・ロンドン、ハート・クレイン、トマス・ウルフ、リング・ラードナーコンラッド・エイキンダシール・ハメット、ジョン・オハラ、ジェームズ・カズンズ、テネシー・ウィリアムズカーソン・マッカラーズ、ジョン・チーヴァー、ジェームズ・ジョーンズロバート・ローウェルトルーマン・カポーティと枚挙にいとまがない。どうも当時のアメリカには、酒を飲めない者は一流の作家になれないという神話があったようだ。
 この神話は、禁酒法の時代を通して築き上げられたと考えられるが、それに大きく貢献した作家の一人にフォークナーがいる。一八九七年生まれのフォークナーは一五歳の頃から酒を飲み始め、禁酒法の時代にも浴びるほど飲酒したが、若かったこともあり、アルコールに対する耐性がずば抜けてあった。彼はアルコールを手元に置いて執筆活動を行なった。飲酒することで、素面では得られない何か――それは創作には欠かせない精神の奔放さかもしれない――を得ていると確信していたのであろうか。フォークナーは禁酒法の時代に、『兵士の報酬』、『サートリス』、『響きと怒り』、『死の床に横たわりて』、『聖域』、『八月の光』などの作品を、次々に発表した。
 彼が多少なりとも飲酒量を減らすことを真剣に考えたのは、皮肉にも第十八条が廃止になる一九三三年のことだった。三〇歳代半ばを越えたこの時期に、飲酒しながらの創作が次第に困難であることに気づき始めたのかもしれない。フォークナーは節酒を初めて試みるが、長続きはしなかった。長年、大量に飲酒を続けてきたため、節酒によってかえって調子を狂わせるほど、彼の体は変調をきたしていたのである。麻薬中毒と同じで、気分を良くしたいと思えば、逆に酒の量を増やさなければならず、それも朝からであった。
 昼夜の「連続飲酒」という悪循環を断ち切らせる効果的な手段は、依存症患者を病院(通常精神科)や療養所へ強制的に入院させて、解毒治療を施すことである。しかし、数週間の入院治療でたとえ素面に戻っても、それは一時的なもので、数ヵ月から一年後には再び入院治療が必要となる場合が多い。フォークナーが初めて療養所へ収容されたのは、なんと中期の傑作と位置づけられる『アブサロム、アブサロム!』を出版した一九三六年のことだった。酒と壮絶な闘いを繰り返しながら、作品を書き上げる並外れたエネルギーと才能は、驚くべきものであった。その後、彼は亡くなる一九六二年までに何回となく入退院を繰り返した。フォークナーが永眠する場所は、ミシシッピ州北部の町バイヘリアにあるライト・サナトリウムで、そこは二六年前に彼が初めて収容された療養所だった。

以下後報。

【後報】
この本でも、専門用語の抽出から始めたいと思います。

nativism*2:排外主義と記載。
…移民の飲酒問題に対するWASPの世論が法的規制に傾き、禁酒法へとつながった。

dry:ドライ派…禁酒派
Wet:ウェット派…飲酒派
moist*3:モイスト…条件付き飲酒容認の穏健的禁酒派
bone-dry*4:ボーン・ドライ
…一滴たりとも酒を飲まない急進的禁酒派
…boneでもいけるかと思ったらそんな英語はなかった

"intoxicating liquors"…禁酒法で使われた規制対象の単語。
…単なる「アルコール性飲料」では、微量であっても規制対象となるため、
 酔うかどうかという曖昧かつ主観的な判断基準を持つ単語を用い、
 敵対派の反発を和らげ、憲法修正を果たした。
 その後、数の論理で敵対派を排除、成立可能な連邦法で、
 アルコール分0.5%以上を対象と定義し、曖昧ロジックを覆した。

speakeasy*5:スピークイージー
…この時代の違法酒場。酒の注文をひそひそと行なうところから(頁57)

bootlegger*6:ブートレガー
…もともとはブーツのすねに酒を隠して運ぶ運び屋を指したが、
 禁酒法時代はアル・カポネのような大規模闇組織も指すようになる。(頁69)

moonshine*7:ムーンシャイン
…密造酒。発覚を恐れて薄暗い「月明り」の下で酒を造ったためというのが通説である。(頁119)
(2014/1/6)

【後報】
禁酒法で何が起こったか。
自宅製造密売酒の盛んな地方の「反乱」"Rum Rebellion of Iron River"(頁80)
カナダ政府歳入のおよそ20%が酒類製造販売輸入等の税金まで膨張(頁97)
産業用アルコールに飲用に適さなくなるよう異物混入したが違法転用がやまず,
より毒性の強いメチルを混ぜたらそれが原因で毎年四千人以上死者が出た(頁116)
教会の聖餐ワインと医療目的のアルコールは認められ、
当時はアル中治療に醸造酒が用いられたため、自称アルコール依存症患者が急増した(頁118)
この本はアル・カポネについても当然触れてますが、
彼が梅毒だったとは知りませんでした。しかもそれで死ぬとわ。(頁150)
この、ノーブル・イクスペリメントを支えた資本家たちが、
酒税の穴埋めに個人所得税法人税を引き上げようとする政府に反発し、
今度はウェット派のロビー活動に資金援助したことなど、実に興味深いです。
デュポンとかGMとか、その程度の先読みで永遠に繁栄出来ていいなあ。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7b/James_Cannon_Jr%2C_seated_with_crutch_cph.3b20302.jpg/220px-James_Cannon_Jr%2C_seated_with_crutch_cph.3b20302.jpg
http://en.wikipedia.org/wiki/James_Cannon_Jr.
この人はそのスキャンダルで社会的に息の根が止まったそうです。

頁177
 選挙当時、サミュエル・クラウザーというドライ派の学者が、文字通り『禁酒法と繁栄』という本を書いている。この本の概要はこうである。禁酒法によって労働者の過度の飲酒問題が軽減され、企業は効率化を進めて生産性を上げることができた。また、以前は酒を買うために使われた「無駄金」が、禁酒法によって各家庭で節約され、それが生活向上に必要な物の購入に充てられるようになった。さらにこれが、いっそうの生産と収益の拡大や高賃金を生み出すという、好ましい循環につながっているというのである。
 ところが、大恐慌が始まり、一〇〇〇万人を越える失業者が巷にあふれ、彼らが食料の無料配給や仕事を求めて列をなすと、禁酒法の経済的効用を説く「神話」は崩れ去った。ウェット派は、それまで避けてきた禁酒法の経済的側面に焦点を当てたプロパガンダを流すようになった。アメリカ労働総同盟は、二・七五パーセントのビール製造を再開するだけで、小売業などの関連業種も含めて、約二五万人の雇用が確保できると、自ら失業対策を示した。

で、フーヴァー・モラトリアムに対し勝利したFローズヴェルトは、
アル中の父を持つがゆえに熱心なドライ派だったヨメを持ちながら選挙ではウェット派に転身し、
大統領になると公約通り修正第十八条を廃止したわけです。
http://www.discoversd.net/discover/images/OriginalImages/DynamicListing/noble5-17Mar2010073820475250.jpg
アメリカ人は、原爆とかロボトミーとか、とにかく試すのが好きですよね。
東ドイツ人より多く試したと思います。そういうことだったんだな、と思いました。
(2014/1/19)