『酒場での十夜』(アメリカ古典大衆小説コレクション 7)読了

 原題"Ten Nights in a Bar-Room, and What I Saw There"

酒場での十夜 (アメリカ古典大衆小説コレクション)

酒場での十夜 (アメリカ古典大衆小説コレクション)

 

このシリーズはまだ全巻完結してないようです。全12巻であと二冊未完。頓挫だったら寂しい気もします。 

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装画 うえむらのぶこ

装幀 小島トシノブ(Non Design)

シリーズ監修 亀井俊介巽孝之

巻末に訳者による解説。森岡裕一 - Wikipedia

当時の売れっ子小説家による1854年のベストセラーで、40万部は出た「禁酒小説の成功作」だそうです。現在でも劇としては上演されているとか。大麻が各国各州で陸続と合法化される状況下で尚も上演する意義は、それを知りたいとも思います。

ジャック・レモンの「酒とバラの日々」からデンゼル・ワシントンの「フライト」まで、映画で視覚的に体験すれば、アメリカ教養フィクションにおける禁酒ジャンルの積み重ね、地層は分かると思うのですが、フィルム登場以前に、当然のことながら活字のそれがあったんだよということで、それが邦訳されて日本語で21世紀に読めるというのもいい話だと思います。最初に結論ありきですので、愛飲家が読むと、こことここが先入観植え付け箇所だよ、刷りこんでやがる、と一目瞭然でしょうが、そこは解説もフラットに明記しています。頁277、その手のプロパガンダや啓蒙との混同において、ジョン・ゴフという依存症患者兼アジテーター/エンターテイナーが高額な講演料で煽情的な震顫(手足等の震え)譫妄(幻視幻聴etc.)描写と悲惨で残酷な数々の実話を交えた講演を繰り返したのち、売春宿で泥酔して発見され、これは罠だと弁解するも生涯そういうレッテルが貼られたまま終わったエピソードを書いています。

ジョン・バーソロミュー・ゴフ - Wikipedia

ウィキペディアには英語版にも、その事件は書かれていません。しかしまあ、そういうことを鑑みると、匿名性にも一理あるんだなあと。正体隠した悪い人は滅多にいないでしょうが、まあそれと天秤にかけて、まーけっきょくみわける賢さを、ってことで。

震顫譫妄を英語で"DT"、"delirium tremens"と言うそうで、アメリカ開拓時代の街の名前には、「墓石」「ゴモラ」と並んで「DT」という地名があったそうです。乳幼児の死亡率が高い社会/時代だと、子どもにわざと悪い名前をつけて、悪魔が来ないようにしたりするそうですが、町名にも同じロジックが働いたのでしょうか。https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/80/Tokyu_DT_line_symbol.svg/600px-Tokyu_DT_line_symbol.svg.png私は田園都市線で通勤してるので、毎日英語の車内アナウンスで、"DT"、"DT"と アナウンスされるのを漫然と聞いておりまして、あらためて、深い意味のある略称の沿線に通勤してるんだなあと感慨深いです。深圳、否神泉は井の頭線。震顫譫妄線。

東急田園都市線 - Wikipedia

話を戻すと、本書の酒害説明の大きなひとつが、高い乳幼児の死亡率の上で、やっと生き残って育ってくれた一人息子が若いうちに酒を覚えてロクデナシになって、生産性ゼロ貯蓄ゼロのごく潰しになって、これもやっと育ってくれた器量よしの一人娘がそんなデレスケに嫁がなければならない、なんなんこの世の中、という母親の叫びだったようです。

解説を読むと、この時代、19世紀前半から半ばにかけて禁酒運動がひとつの高揚を迎えたとかで、1826年合衆国各州各都市でバラバラに行われていた団体が大同団結して全米禁酒協会を設立し、1840年代ワシントニアン運動が台頭し、節酒から禁酒へと大きくその内容もきびしめに舵を切ったとか。全米禁酒法は20世紀とほぼ同時ですが、そうした高貴な実験の将来を見据えて、全米から全世界へ禁酒を羽ばたかせようとした動きもあったんだとか。そうなっていれば、あるところからないアメリカへの密輸で禁酒法がないがしろになることもなかったろう、とまでは誰も言ってませんが(密造酒もあるし)

で、読んでて面白かったのが、禁酒法反対派も、実は禁酒賛成派だったりして、しかし、法による規制が自由をたっとぶ合衆国精神に反してるから反対してるだけで、禁酒はおのおののモラルで達成されるべきじゃないか?とそういう人は言っています。反対に、飲みすけの酒場常連が、禁酒党に投票していたりして、早く法を成立させて売りものの酒をなくして俺を解放してくれえ、みたいな寝言を言ってるところも面白かったです。

頁143で、飲酒を規制したらなし崩し的に次から次へと規制される暗黒の管理社会が将来される、我々ステイツの祖先は収入印紙による課税法に対しても敢然と戦ったのだ、我らが酒類販売を規制して罰金を課したりしたら、栄光ある祖先にどう言いわけすればいいのだ、みたいなトークがあって、いやーほんと禁酒をめぐる思考実験、頭の体操は面白いなーと思います。

頁5、トディの意味が分からなかったので検索しました。トディ - Wikipedia

この小説は、いままで居酒屋、タヴァンといえば、ろくでもないくだらない店しかなかった勤勉な開拓町に、一流の名士が通っても恥にはならない、上流社交サロンとなりうるバーを勤勉な金儲けを是とする市民が開店させ、そこから街全体が堕落するという教養結論ありき小説ですが、エデンの蛇というか、最後まで匿名で、ホントはどこの誰かしっかりとは誰にも明かさない、ギャンブラーが紛れ込んで、どんどん資産のある人間にたかって食いつくしていく展開がウラストーリーにあります。そこだけ読むと、酒が悪いんじゃない、酒を飲む人間が悪いんだ、というよくある定義と、それから、悪い依存には気をつけなきゃいかんなあ、と思います。まったくまったく。

Ten Nights in a Bar-room: And what I Saw There (English Edition)

Ten Nights in a Bar-room: And what I Saw There (English Edition)

 

 以上