『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』読了

日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」

日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」

開高健ノンフィクション賞受賞だとか。図書館で借りた本。
どういう経路でこの本にたどりついたかは忘れました。
本書頁21によると、2010年在外公館駆け込み困窮邦人の国別ランキングで、
フィリピンは一位332人、二位タイ92人三位アメリカ62人四位中国55人五位韓国25人とか。
こういうのがアディクトかどうか分かりませんけれど、
頁213のように、自分に都合のいいことしか言わないところなどを何らかの嗜癖と考えると、
話す聞くをメソッドとして改善を試みる自助グループの対極にあるのが、
言葉の通じない海外生活、バックパッカーの延長みたいな単身デラシネ海外生活だなあ、
と思いました。
戦前の中国には、ネイティブ並みに中国語ペラペラの日本人が沢山いたそうですが、
この本の日本人は英語やフィリピン語ペラペラと、ほど遠そう。
また、この本の邦人は、毎食食事を現地の方から恵んでもらっているので、
ホームレスというより乞食、おもらいさんだと思いました。
(ホームレスは自力で食料を調達する。支援団体からの配給はそりゃあるだろうけど)

頁230
「帰ってもな、生活保護じゃ身体障害者の手続きからなんか、こっちがみなせにゃ本人がするわけにもいかんでしょう。じゃけどうちらもうポンポロポンで分からんよ。あっちで生活できたらお世話してもらいたい。じゃけどな、それもかなわんかったらもうしょうがない。ホームレスでも何でもやらにゃしょうがないでしょ」
 榎本はもう、祖国日本で生活をすることができない。そう確信した。本人が望むと望まざるとにかかわらず。これまでの事実関係を積み重ねていくとそういう結論に行き着かざるを得ない。身体的にも物理的にも金銭的にも、血縁関係から見てもすべてが限界に達していた。フィリピンという異国の地に骨を埋めるしか選択肢は残されていなかった。

なぜそういう結論になるのか分からない。
日本のNPOや福祉行政を軽視し過ぎてないか。
小説では、搾取するだけの福祉団体が出てきたりしますが*1
そうそうそればかりでもないでしょう。
信じて、かつ調べる。そうしてほしいと思いました*2

*1:

鈴蘭

鈴蘭

*2:去年見たチラシ http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/event/data/2012/event_121128_1.pdf