国境〈第3部〉夏の光の中で 1945年 (大長編Lシリーズ)
- 作者: しかたしん,真崎守
- 出版社/メーカー: 理論社
- 発売日: 1989/03
- メディア: 単行本
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ブックデザイン 松澤史郎
高畑勲が生前映画化を試みて天安門事件で宙ぶらりんになった『国境』三部作最終作。事前に他のサイトで読書感想などを読んでおり、評価が芳しくなかったので、だいぶ寝かせてしまいました。虚心坦懐に、素のままで読めばよかった。ヘタにネタバレ読んでしまったので、ジュブナイルにあるまじき暗い展開なんか読みたくないわーいと、ほってしまっておりました。あのネタバレは、正しくあらすじを今北産業にしてなかったな、と今では分かります。そういうことはネットでは非常によくあるのですが、また引っかかった。
まず、この国境三部作は、大陸満州ものではないです。高畑勲がそう映画化したらおかしなことになっていた。半島、朝鮮ものです。大陸は、山の彼方の憧れというか、ここでないオルタナティブな場所として、京城から夢見るフロンティアでしかなかった。本書は、作者が実際に過ごして成長した、現ソウル当時京城での一切の存在理由を、総括しようとしたジュブナイルだと思います。
ここに関して思い違いをしていた愚に気がつけて良かった。これが一点。
読書がとまっていた理由もう一点として、三部作の表紙の主人公の顔の変化があります。
一巻は大陸や馬賊に対し、まだロマンの予感があった。二巻は徴用や勤労動員に対して、現実と向き合う顔になった。そして、三巻。どこを向いているのか。作ったようなさとり顔は何を意味しているのか。表紙と中表紙で目線が左右逆なのは、しかたしんの意向なのか真崎守の考えなのか(後者だと推測しますが)分かりませんが、この虚無の意味を知るのがこわかった。ので、だいぶ読んでませんでした。
八月十五日から数日間、軍が一時的に治安掌握を放棄したあいだ、空白地帯となった京城で、左がからない奴はいない学生や労働者と、アメリカの意向を汲んでいち早く潜入した工作員たちと、後者によって束ねられてゆくチニルパ(パンチョッパリと呼ばれています)の軍人や特高、警察官僚たちの濃密なストーリーがかなり速いスピードで展開してゆきます。前巻までのもっさい展開はなんだったんだと思うくらい小気味よい。これも、朝鮮の未来を、朝鮮人じしんが決めるために動くという爽快感のなせるわざか。語られはすれども姿は見せない金日成。姿は見せないが、神格化もされない李承晩。あと金九とか呂運亭。武亭というパルチザンの将軍も出ますが、金日成よりよく描かれてる気がしないでもないです頁197。
説明として、カイロ宣言の民族自決を朝鮮人じしん都合よく解釈してきたため水面下で力をたくわえることにおさおさ怠りなかったが、どうもその英文をよく読むと、「そのうちに("In due course")」というカッコつきの独立であることが分かり、ヤルタ会談での、米ソ共同管理が現実であり、これまで鴨緑江と豆満江の内側はなべて同一権力による支配であったが、そこに38度線という新たな「国境」が出現するーーという、本書タイトルの意味が初めて明らかになるわけです。
なので、勤労動員がなくなって気が抜けた邦人学生とか、そういう場面は最小限度です。(八月に入ってから、朝鮮人学生が動員先に一人も姿を見せなくなったという暗示的描写はあります)国境の向こう側で、如何に弱い者たち、ことに婦女子が凄惨な目に遭っているか、という伝聞や、京城がそうなった時の準備(町内会による青酸カリ配布)などの場面はあります。田宮虎彦の『幼女の声』を思い出してみたり。田宮虎彦は短編集落城・足摺岬の漢語訳がゾッキ本になって北京などの古書市で簡単に手に入ったものですが、今はどうなっているだろう。
作者も軍国少年として信じていたのかもしれませんが、関東軍五十万の兵士がすべて張り子の虎となったとしても、朝鮮にはまだ三十五万の精鋭軍が控えているわけですから、なんぼなんでもここが抜かれるわけがないだろうと。しかし、ソ連がソ滿国境を突破して破竹の進撃を開始した時、南満まで戦略的撤退を試みた関東軍をあざ笑うかのように、ソ連と金日成の別動隊が清津から後背地半島へ進出してきたので、挟撃を恐れた関東軍上層部は今度こそ本当に敗走というか自分たちだけ虎口から脱出しようと必死にもがいたんだよ、という説明があります。チャーチルがヨーロッパの地形を鰐に喩えて、硬い皮をまとった背中に槍を突き立てても歯が立たないが、下腹部は柔らかい、と言ってイタリアに上陸した時の話を思い出しました。あれは戦後欧州全域が米ソの影響圏内におさまるのを恐れたチャーチルが、少しでも大英帝国の勢力範囲を残そうとして赤色パルチザンのつよいイタリアにムダに上陸したわけで(スターリンはヤルタ協定を守って、イタリアやギリシャの共産党をつついてハンガリーやチェコのようにドミノさせようとはしなかったから、チャーチルのやったことはムダ)、鰐云々は詭弁の口実なのですが、朝鮮半島の場合は、ワイハー李承晩の準備が整うだいぶ前に日本が降伏してしまったので、そこの空白に金日成が滑りこむ余地が出来た、というふうに本書は読めました。これは高畑勲が映画化出来る素材だったのだろうかと。天安門事件のせいで映画化頓挫とか、日中合作アニメとかブラフもいいとこではないかと。戦後半島情勢の形成における右派左派日本人の活動(かつての部下の走狗となって延命する)、が完結編のテーマですので、そんなアニメ作れるのかと。
カバー折に書かれた出来事自体が、日本のものごとだけという…朝鮮の話なのに。
頁24「暗闇の男たち」
木村班長と呼ばれた男が、太い不気味な笑いをにじませながら答えた。
「あわてるなって。外にいるやつらだって盲じゃねえ。獲物が外に出られるはずはない。絶対にこの家の中にいる」
「でも班長、これだけ探したのにいねえってことは――」
不満そうな声がした。日本人なのに朝鮮人の班長のもとでこき使われているのが、どうも面白くないらしい。さっきからの声の調子にもそれはあった。
全然関係ないですが、木村は北京語だとムーツンmucunになるので、まったく韓国っぽく聞こえません。この木村班長は山東大漢みたいな大男で、この二ページあと、この日は八月十四日ですが、いろいろと知り、日本人部下をぬっころして逐電します。ここで彼は日本人を罵倒して、ウェノムとかイルボンチイセツとか呶鳴ってます。イルボンチイセツと書いて日本人のネズミ野郎の意味だとか。また、2ちゃんねると違って、「おれたち」を意味する一人称複数形は、「ウリ」でなく「ウリドレ」です。本書では。
頁58「消え失せた国境線」
木村は男にペコリと頭を下げると、うやうやしく呼びかけた。
「キム・サバン(金の旦那)」
――そうか。この男の名前は金なのか。
白眼は胸の中でうなずいた。しかしキムという姓は、朝鮮ではいやというほどある。金と李を合わせれば全国民の七割がそうだ。
そんなに多いんでしょうか。頁120では六十パーセント以上、打率六割と書いてます。どっちなんだか。李姓は、少数民族が漢人社会で名乗る姓だと聞いたことがあります。だから、李姓のチベット人もいます。
頁61
「イエス・ジス・イズ・キム……」
盗聴をふせぐために、重要な相手とのコンタクトはそういう取りきめをしてあるらしい。
「ヨブセヨ(もしもし)――」
はじめは朝鮮語だったが、あんまり得意ではないらしく、英語まじりの日本語に切りかわった。
「イエ、れいのリストと白眼は予定どおり手に入れました。バット・モア・インタレスティングなことが(しかし、もっと興味のあること)あります。――イエ。――やつが昨日捕えに行った男、これがヴェリイ・インタレスティングでして――」
ヨブセヨでなくヨボセヨではないかと思います。このキムのせりふまわしは相当面白くて、ラザー(むしろ)とかいろいろ使うので、錆びた英語脳の勉強にならないこともないです。旧制中学生は八月十五日でも隠語はドイツ語で、酒のことをトリンケンと言ったりします(頁63)
頁80「消えた国境の中で」
突然、真っ赤な光の筋が目の前を通った。はっとして見ると、何本かの赤旗が大極旗とともに打ちふられ「チョソン・ヒヤツグミョン・マンセイ(朝鮮革命万才)という声があたりから湧き上がった。
「京城の空に、明るい陽の光のもとで初めてかかげられた赤旗だな」
昭夫が感慨深そうにつぶやいた。雲を破った太陽のもとで打ちふられる赤旗は、まるで赤い火花のようだった。
――イスクラ。
どこで読んだかおぼえはないが、ロシア語の「イスクラ――火花」という単語が、突然公雄の胸の中に閃いた。共産主義者はアカで国賊で最低の人非人という、これも小学校以来教えこまれた図式が、たちまちくずれるほど、それは美しかった。
「きれいだ」
思わずつぶやいた公雄に、奉吉(ポンギル)は親しみのこもった眼差しを向けて、肩に手をまわして組んだ。
「うん」
同じように目を細めてその光景を眺めながら、昭夫はふっと溜め息をつくように言った。
「しかし、太極旗と赤旗と、いつまでこうやって腕を組んでいられるのかなあ」
「それ、どういう意味ですか?」
奉吉が鋭い声になって聞き返した。
「うん」
昭夫も固い声になって言った。
「中国でも勝利とともに青天白日旗(蒋介石の率いる国民政府の国旗)と紅旗とは、たちまち内戦寸前の状態になってしまったからな」
「朝鮮はそうなりませんよ。朝鮮民族は一つです」
ここはツッコミどころというか感想満載です。(1)なぜ八月十五日に国共内戦云々の状態になってるのか(なってない)。またそれがなぜ京城にいて分かるのか。(2)青天白日旗は国民党の旗で、国旗は青天白日満地紅旗。(3)イスクラといえば左記。漢方のイスクラ製薬。(4)真夜中に国旗を掲げると言えば、チベットでもよく、祝日にそれをやって密告されてという話を聞きます。夜中に公安当局の車が急行してるサイレンの音。(5)この世界の片隅で、でも八月十五日の広島だか呉だかで、太極旗が翻る場面がネトウヨで云々でしたが、赤旗も同時に揚げておけばもっとカオスだったかと。
頁87、コマスムミニダ(ありがとう)。しかたしんは、現在では「ムニダ」とカタカナ表記することばを、「ムミニダ」と書くように思います。頁92、鴨緑江はアムノガンとハングル読みでルビ振られてて、豆満江はトマンコウと日本語でルビ振られてるので、あれ? と思いました。頁96、トッカビと書いて(妖怪)としてますが、今なら、トッケビと書くんじゃいかと。チイセツと書いて(畜生)これは知りませんでした。ケセ(くそ)というのは、今ならケーセッキかと。ここから、パルゲンイという、テノムと並んで私の耳に深く響くチョソンマルが登場しますが、(アカといった蔑称)という注記だけ。細かく説明されてません。頁103、イルカ(親戚)蘇我入鹿。頁134、イブンネギ(北のやつら)頁145ほか、イジャシク。頁168セッキ(ちくしょう)同チョッタ(わかった)「分かります」のハングルはアラッソとかアラッスムニダだと思ってましたが、そうではないんですね。作者のハングルは。頁243、チュモギ・ボビダ(こぶしが法なり)頁291、タンシン。この、使い方に細心の注意を払わなければならないハングルの二人称が、このあたりで登場し、以後、わりと無造作に使われます。てめーとかきさーん、あんたよー、みたいに、自意識過剰な相手に呼びかけると過剰反応が帰って来ることば、タンシン(私も体験があります。間違っても英語のユーの意味では使えない)だだもれになるということは、このへんで監修者が壊れたのか。
頁84、李承と書いてりもとと読む陸軍大尉が、李と書いてイーと読む陸軍大尉に一夜にして変わる。権と書いてクワンの特高刑事が、昨日まで権田だった箇所もあります。クォンだと思うんですが、クワンとルビ頁105。
頁111「南山邸のトッカビ(妖怪)たち」
「ケンジュンはたしかに、表向きはパルゲンイだけではなく、アタマ株には各界の代表的なメンバーズが名前をつらねている。しかし、組織部などの中心はパルゲンイがしっかりと握っている。学生保安隊も青年部も同じだ」
「はあ、なるほど、はあ」
権刑事がきゅうに鋭い目つきになって、座り直した。
「つまり金日成を神さまみたいに思っている連中の指令一つで動く会なのだ。もちろん金日成の後には、ソビエトがひかえている。いまあわてて国軍づくりの競争なんかやったら、アカが勝つにきまっている。ケンジュンと国軍の中心がアカに握られ、そのうえで金日成が乗りこんできたらどうなる? これは新聞社や会社の接収どころじゃないよ。全朝鮮がソビエトに接収されてしまうことになる。」
(略)
「金日成は独立戦争での自分の人気を利用して、無知な連中をおだて上げ、全朝鮮をソビエトにまとめて引き渡そうとしている。――定哲」
キムはいきなり鋭い声で言った。
「は、はい」
突然、名前で呼ばれて驚いたのか、若者の顔にぱっと朱がさした。キムは若者の胸に指を突きつけて言った。
「ユウはそんな形での、全朝鮮の統一を望むかね。今までのご主人、チョッパリ(日本人の蔑称)がロシアのベアに代わっただけの統一、それでいいのかね」
若者はきっとキムを見返して言った。
「ノウです。そんな統一は望んでいません」
ケンジュンとは、建国準備委員会の略称です。漢字を日本語読みしてると思うのですが、どないだ。で、ちょっと関係ないですが、一巻二巻読んだ時に、悪の組織がフィクショナルなのは如何なものか、それとも、私がもの知らずなだけで、実在するのだろうかと思ったものですが、完結巻である三巻の頁92で、公的な機関ではない旨やっと書かれました。架空と言えば架空。でも、三巻のアメリカ諜報機関の息のかかったインテリジェンスは、ありそうに思います。頁158で、韓国将校クラブ結成メンバーとして、李応俊大佐、朴承薫大佐、金錫源大佐という名前が出て、検索してませんが、実在する人物なんだろうなと思いました。
頁120「公雄の推理」
「そしたら、いやに歯切れのいい日本語の返事があったんです。男の声でね」
「歯切れがいいって――」
昭夫が腕組みをしながらきいた。「では、それは日本人だったのかい?」
「いや」
公雄は首をふった。京城に住む日本人は内地のいろいろな地方から来ている。一部の高級官吏や学者を除いて東京の標準語でしゃべる男はまずいない。正確で歯切れのいい日本語を話すのは、かえって朝鮮人と思った方がいい。日本化するために懸命の努力をした朝鮮人の日本語だ。公雄はそう推測した。
「朝鮮人だと思います。しかし――」
頁144、崔と書いてツアイと読む少年が登場するのですが、崔はチェではないでしょうか。旧制中学ドイツ語と混同してないか。あるいは日本語読みの「さい」と混同してないか。崔洋一監督がチェ・ヤンイルと呼ばせていた頃、たけしが「さいかんとくこわいからなー」とか言ってるのをテレビで視て、馴染んだ呼び名を変えない人は変えないものだと思ったものです。ほどなくしてさいかんとくはさいよういちに呼び名を戻した。り・ただなりになってもチュンソンと呼ばれる場面は、さいかんとくの逆バージョンだなと当時思いました。閑話休題。崔をチェでなくツアイと読むのは、やっぱり、う〜んです。CHOIと書きますが、でもね。漢語なら、四川生まれのチョソンジョクガンブー子弟崔健はツイジエン。ロシア語なら、カレイツイの夭折したロッカー、ヴィクトル・ツォイはツォイ。でもハングルはチェのはずなんですが、なんでツアイとルビ振ってるんだろう。ゲバラ焼き肉のたれ。
頁169「パゴダ公園と南山邸と」
「木村ですか?」
崔少年の眉のあたりを、不快そうなかげりが走った。
「朝鮮人ですね?」
「うん」
頁267、権が尋問した学生たちは、光復後「國語」勉強会を始めた連中だった、という挿話があります。それを聞いたキムは、国語はだいぶフォゲットしてしまったと答えます。頁158、日本の軍服は目立つので、パゴダ公園にバジチョゴリを着て現われた李大尉に、キムが、歩き方が軍人だと指摘し、李大尉は、朝鮮服なんか幼少時から着たことがなくてミアナムミダ(申し訳ありません)と答える場面もあります。ヤンバンではなかったし、だからこそ高級軍人まで登りつめる原動力、闘志のみなもとになったのだろうと。
裏表紙。表紙もそうですが、夏なのに葉の落ちた木々と柔らかな冬もしくは秋の日差し。
頁232、京城八月二十一日。日本軍がとりあえず武装解除とかしないで重しとにらみを利かし直して市内の治安秩序が回復し、もう略奪を恐れるようなことはなくなり、その代わり、内地への引き揚げの時どれだけ財産を没収されず隠して持ち込めるかで邦人社会がもちきりになっているさまが描かれます。王水という薬品は、理系の主人公と違って私は知りませんでした。
三巻は最後以外面白いので、アニメにしてほしかったですけど、無期延期の理由づけに、中国つかって欲しくないかったです。全編コリアの話じゃないですか、作者が総括しなければならぬ。中国関係ないですよ、まだ。関係させたければ、朝鮮戦争まで書くしかなかった。黒雪。
しかたしん - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%97%E3%81%8B%E3%81%9F%E3%81%97%E3%82%93
<しかたしん高畑勲関連の読書>
2018-09-01アーサー・ビナードの本『知らなかった、ぼくらの戦争』読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20180901/1535748923
2018-08-25『 国境第1部1939年大陸を駈ける』(大長編Lシリーズこの作家のこのテーマ)読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20180825/1535144166
2018-08-26『国境第2部1943年切りさかれた大陸』(大長編Lシリーズこの作家のこのテーマ)読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20180826/1535288801
2018-09-02『旅の友だちパングヤオ』(こみね創作児童文学・26)小学校上級から 読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20180902/1535857844
2018-09-19『むくげとモーゼル』(アリス館少年少女教養文庫)読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20180919/1537303694
以上