「かも」の先に渋谷の未来が見えてくる。こんな渋谷、いい「かも」、くる「かも」、できる「かも」未来の渋谷の可能性をひろげるシンポジウム「Making Maybe."かも"づくりフューチャーセッション」

南町田

https://www.city.shibuya.tokyo.jp/kurashi/machi/shibuya_symposium.html
https://www.city.shibuya.tokyo.jp/kurashi/machi/pdf/shibuya_synposium2.pdf

『ぼくの父はこうして死んだ −男性自身外伝−』読了

ぼくの父はこうして死んだ―男性自身外伝

ぼくの父はこうして死んだ―男性自身外伝

山口瞳の本を読んでいて、その過程で借りた本。
末期闘病の過程を息子さんが綴った本です。
直木賞受賞作に小学生時代の写真が載っていて、
その当時の発言や持病まで分かっている人の「その後の人生」としても、
読めてしまうので、正直先入観無しにフラットに読めませんでした。
四十代半ばで独身(ひとりっこ)、という情報は、つまり、家族が増えていない、
増えた家族の描写も取り入れることによって、いささかなりとも、
複数視点の交錯によって事象の客観化がはかれる作劇上のメリットがあるのですが、
それがない。幼少期から一貫して濃縮された家族の閉じた関係のなかで、
新たな事態に対応してゆかねばならない。逝くいのちはあるが、
新たな生命の芽吹きがない。こうしたことについていくのがきつかったです。

父子で同じ業界に奉職したため、知人の編集者が、父子双方と顔見知り、
という関係も閉塞感を加速させた気がします。風は何処から吹いて来ればよいのか。

頁105、向田邦子が台湾で客死したとあり、よく覚えていなかったので、
検索したらその通りでした。

向田邦子 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%91%E7%94%B0%E9%82%A6%E5%AD%90
東航空103便墜落事故 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A0%E6%9D%B1%E8%88%AA%E7%A9%BA103%E4%BE%BF%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85

というか、向田邦子夏目雅子の区別がついているはずなのに、
個々のエピソードを混同する、ことがある自分にビックリです。
あっても、落ち着いて、ケロッと受け流そう。以上