海老名郷土かるたの、
「そ」なんですけど*1、
外記河原についての説明だけで、
救急院の説明がないんですよ。
榎戸の人柱もお松メインで、
榎に触れない海老名市なので、
救急院もフォービドンなわけがあるのかなあ。
戦前よりむかし、
このあたりで
チフス流行ったっていうけど、
それかなあ。
いずれ調べます。
海老名と座間の境界にて
【後報】
海老名の図書館で
調べましたが、
チフスはこのあたり
とは別でした。
救急院は平安時代の
話だそうです。
<海老名郷土かるたの説明>
平安の末の承和十一年
(八四四)相模介橘永範
(太政官府の外記の職に
あった人でしょう)は、
新たに耕作地を開墾し、
その資金で救急院をつくり、
病人など、こまっている
人びとを助けました。
郷土かるたは海老名市役所売店で売ってるそうです。
(2013/4/6)