- 作者: ローレンスブロック,田口俊樹
- 出版社/メーカー: 二見書房
- 発売日: 1990/07/25
- メディア: 文庫
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Out on the Cutting Edge (Matthew Scudder Mysteries Book 7) (English Edition)
- 作者: Lawrence Block
- 出版社/メーカー: HarperCollins e-books
- 発売日: 2009/10/13
- メディア: Kindle版
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頁376 訳者あとがき
“アル中が売りものの探偵がアル中でなくなったら売りものがなくなる”とぼくは先に書いたが、それは重大な思い違いであったことに本書を読んで気づかされた。
スカダーは現在もアル中なのである。
現在のスカダーが酒を飲まないのは、何か宗教的な啓示でも得て、品行方正なまともな暮らしがしたくなったからでもなんでもない。今もアル中だからである。飲むと死ぬからである。
その意味では、彼は今のほうが、酒を飲むことで心の傷がいっときでも癒せていた者より、苛酷な状況に置かれていると言えるだろう。逆説めくかもしれないが、おのれの居場所が安酒場から教会に変わった今のほうが、よけい“ハードボイルド”な生き方を迫られていると言えなくもない。
以下後報。
【後報】
この小説は、1989年の発表当時、
米国のアル中自助グループがどのように集会を行なっていたか、
どんな様子だったか、よく書かれていると思います。引用します。
頁13
四十四丁目にあるその白亜の瀟洒な建物は、数年前に、ラムズ・クラブではとてもまかないきれないほど不動産価値があがってしまったので、ラムズ・クラブは賃借権を売り、今はミッドタウンのどこかでほかのクラブとオフィスを共有していた。ラムズ・クラブの賃借権を買ったのはある教会で、その教会は、実験劇団やほかの宗教団体の活動にその場を貸し与えている。毎週木曜日の夜は、AAのフレッシュ・スタート会が、名ばかりのレンタル料で、集会のためにそこを借りていた。
集会は八時半から九時半までの予定だった。私は十分ばかり早く着き、集会の進行係に自己紹介してから、自分でコーヒーをいれ、進行係に言われた席に坐った。六フィートの長さのテーブルが八脚から十脚ばかりコの字形に並べられていて、私の席はドアから一番遠い進行係の隣だった。
八時半までには、三十五人前後の人びとが集まり、テーブルについてスタイロフォームのカップでコーヒーを飲みはじめた。進行係が集会の始まりを宣し、禁酒の手引きの前文を読みあげた。それから誰かを指名して、手引きの五章の一部を読ませた。そのあと連絡事項がいくつかあった――アッパー・ウェスト・サイドでの週末のダンス・パーティ、マレー・ヒルでのあるグループの創立記念集会。アラノン・ハウスでの追加集会。九番街のシナゴーグで定期的に開かれている集会が、ユダヤ教の祭日のために、次とその次の会が中止になること。
それらが終わり、進行係が言った。「今夜の話し手はキープ・イット・シンプル会のマット・スカダーさんです」
もちろん、私は緊張していた。この集会場に一歩足を踏み入れたときからずっと。集会をリードする役を演じるときは、いつもそうなる。しかし、それはいっときのことだ。進行係が私を紹介すると、礼儀正しい拍手がまわりで起こった。それが鳴りやむのを待って私は言った。「どうもありがとう。マットと言います。私はアル中です」そこで緊張が解け、私は腰を落ち着け、その日考えてきた話を始めた。
この小説には、「家賃統制措置」という耳慣れない言葉が出てきます。
主人公須賀田さん始め、その恩恵を受けている貧困層が多数登場します。
検索。下記のことだと思います。
ニューヨーク州の家賃統制改廃問題 財団法人自治体国際化協会 海外事務所だより
http://www.clair.or.jp/j/forum/forum/articles/jimusyo/096NY/INDEX.HTM
延長めぐり攻防NYの家賃統制法 TOKYO MX NEWS
http://www.mxtv.co.jp/mxnews/news_ny1/201102256.html
この恩恵は、契約を解除して引っ越してしまうともう受けられないわけですし、
法人には適用されないということなのでしょう。
この頃日本企業もさかんにアメリカ一等地の不動産を買い漁っていたわけですが、
その一方で、市の中心部で、近代の病を癒すための集いがひっそり行なえるよう、
手が差し伸べられていたのだと思います。
映画『フライト』ではスピーカーは演壇に立っていましたが、
この小説のフレッシュ・スタート会は、コの字の机で喋ったようです。
頁14
二十分、私は話した。何を話したかは覚えていない。集会で話し手が話すのは、基本的には、自分がどんなアル中だったか、その結果どうなったか、そして今はどうかということだ。だから私もそんな話をしたのだろう。しかし、それはまた、話すたびに微妙にちがってしまう話でもあるのだ。
話し手のなかには、そのままケーブル・テレビの原作にでもなりそうな話をする者もいる。イースト・セント・ルイスでは落ちるところまで落ちたが、今は前途洋々たるIBMの社長だ、といった類いの話だ。私にはそんな身の上話はない。私は今も同じところに住み、同じことをして生計を立てている。ちがいはただ昔は飲んだが、今は飲まないということだけだ。私にとっての昔と今はただそれだけのちがいでしかない。
私が話し終えると、また礼儀正しい拍手がまわりで起こった。そして、部屋のレンタル料とコーヒー代の一部になる、寄付金を求めるバスケットがまわされた。一ドルを入れる者もいれば、二十五セントを入れる者、また一セントも出さない者もいた。そこで五分間の休憩となり、そのあとまた全員が席に着いた。そこからの会の進め方は集会によってそれぞれ異なる。この会では全員が何かひとことずつ順番に話した。
このようにスピーカーを決めるミーティングは、
恥ずかしがりやがもじもじとか、喋りたがりが不満とか、
いろいろあるのでしょうが、そこは、
アメリカ人は日本人よりちゃんとしよう文化があるはずだと思います。
無い奴もいるでしょうが。
頁15
九時半に私たちは主の祈りを唱え、集会は終わった。スピーチに対する礼を言いに私のところにやってきて、握手を求める者もいたが、大半は早く煙草が吸いたくてそそくさと部屋を出ていった。
アディクション治療における握手の重要性というのはなんでしょうね。
久里浜病院の本でも、ぬくもり、スキンシップの大切さに触れていましたが、
本当に不思議です。
頁52
が、AAは多額の寄付を受けつけない。AAは経費を補うのに、集会で帽子やバスケットをまわすが、それは多くて一度に一ドル程度の寄付を求めるものだ。
日本独自の自助グループは会費制だったと思います。そこは違う。
頁83
集会によってそれぞれ会の進め方が異なる。セント・ポール教会の集会は、一時間半の集会で、金曜日の夜は段階集会になっている。段階集会というのは、AAがつくった中毒克服プログラムの、十二の段階のうちどれかひとつをテーマにして話し合う集会のことだ。その夜のテーマは第五段階に関してだったと思う。が、それについて話し手がどんなことを話したか、また私の番になったとき、自分がどんな賢者のことばを吐いたか、そこまでは覚えていない。
十時になり、祈りという行為の意義を認めないキャロルという女以外、全員が立ち上がって主の祈りを唱えた。私は、椅子をたたんで片づけ、コーヒー・カップをくず入れに捨て、灰皿をいくつかまえのほうに持って行って、そこにいた何人かと立ち話をした。
喫煙可の教会もあるってことでしょうか。
また、個人主義で、かつ自主性を重んじるアメリカの姿をキャロルに見ることが出来ます。
強制はない。
頁101
「多くの人間が神父を相手に第五段階をやってる」
「第五段階は告解みたいなもんだってことかい?」
「まったく同じじゃないが。第五段階は、形式的な赦免を求めるというより、心の負担を取り除こうというものだ。それに何もカソリックにならなくても、教会に行かなくてもできる。でも、神父がよければ、神父に話せばいい。AAにも神父はいるから。われわれのプログラムのことをよく心得た神父がね。でも、神父じゃなくても、告白を受けた者は、告白に対して守秘義務を負っている。だから、打ち明けたことがほかに知られてしまうかもしれないなんてことは、心配しなくてもいい」
僧侶を相手に第五段階をやってみたい気がします。
神父さん相手に「段階」やったりするのは、いいですね。
カソリックの告解それ自体は、信者でないと出来ないみたいです。
ゆるしの秘跡
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%86%E3%82%8B%E3%81%97%E3%81%AE%E7%A7%98%E8%B7%A1
頁155
もちろん私は今でもはっきりと覚えている。純粋に体が酒を必要とするのだ。それでいて、その渇きは実際に酒が体にはいるまえから癒された。酒が注がれたとたん、グラスに手がかかったとたん、体のこわばりが解けるのだ。飲めば救われると思うだけで、中毒症状の半分が消えるのである。
妙なものだ。が、それは集会についても同じことが言えた。私は酒のかわりに今は集会を必要としていた。そこに集まる仲間が、そこで語られる賢者と愚者のことばが、今の私には必要なのだ。そこで自分もその日一日の出来事を話し、それをみんなのまえに解き放つことで、みずからの体験を完全なものにすることが必要なのだった。
それが今はそうしたことをするまえから、もうすでに安全な気分になっていた。集会場に足を踏み入れ、これから行われることを考えただけで、もうほっとした気分になっていた。まだ飲んでいた頃の酒場と同じ効果があった。
そういわれるとそんなものかな、
という気にならないでもないですが、どうでしょう。
頁167
「あなたはどれくらい禁酒してるの?」
「三年二ヵ月と十一日だ」
「記録をつけてるの?」
「いや、そんなことはしてないが、禁酒記念日を覚えているから計算するのは簡単なんだ」
「禁酒記念日にはみんなでお祝いしたりするわけ?」
「私のグループでは、記念日を迎えたか、記念日が近づいたかした者がその日の集会の話し手になるのが恒例だけど、ケーキが出るグループもある」
「ケーキ?」
「バースデイ・ケーキみたいなものさ。記念日を迎えた者がケーキをもらい、集会のあとそれをみんなで分けるのさ。ダイエットをしてる者は別にして」
「なんだか――」
「ミッキー・マウスみたいだろ?」
「いえ、そんなことを言おうと思ったんじゃないけど」
「いや、そう言ってもらっていっこうにかまわない。実際にそうなんだから。小さなブロンズのメダルがもらえるところもある。そのメダルには、片側にアラビア数字で何周年か彫ってあり、もう一方に落ち着きの祈りの文句が彫ってあるんだ」
こんなのです。
検索で、字の読みやすいのを選んだので、よく出回っているものと違う感じです。
24時間、ワンデイは消耗品みたいにガバガバ出るので、
たいがいプラスチックじゃないでしょうか。
頁226
このところその集会からはずっと足が遠ざかっていた。そこは若い人が多く、それもアルコールよりも、ドラッグに問題を抱えている者がほとんどといった集会なのだ。
しかし、贅沢は言っていられなかった。私は火曜日の夜以来二晩続けて自分が属すグループの集会をさぼっていた。それは私には珍しいことだった。また、その穴を埋めるためによその集会にも出ていなかった。もっと言えば、私は集会に出るかわりにこの五十六時間中、逆にアルコールの近くでより長い時間を過ごした。酒を飲む女と寝て
(中略)
その夜のスピーチは、まだ酒を断って半年にならない男がやった。いわゆるまだモーカス――整理がつかずミックスト・アップ、混乱してコンフューズド、中心が定まらないアンセンタード状態の男のスピーチで、話のすじみちを追うのがひと苦労だった。私の心は勝手にあちこちさまよい歩いた。
やがてその男の話も終わり、話したい者が話す段になった。が、私は手があげられなかった。知ったかぶりのくそったれどもに、聞きたくもない無用の忠告を山ほど聞かされる図が脳に浮かんでしまったのだ。
須賀田さんシリーズはいつもこうなります。
前半すべていい調子で進んで、後半崩れ出す。
自助グループでエビシンオッケーの礼賛状態から、
地平線の黒雲がどんどん迫って来る。不安です。
頁129
AAはまたまともな人生に戻るためのかけ橋のようなものだ、と人は言う。ある者たちにはそうなのだろう。私にはトンネルのようなものだ。そのトンネルの先にはまた新たな集会が待っているのだ。
人はまた、集会にはどんなに出ても出すぎるということはない、と言う。多く出れば出ただけ早くスムーズに立ち直れると言う。
が、それは新参者向けのことばだ。酒を断って二、三年もすれば、出席の回数はどうしても減る。始めた当初は日に四回も五回も出る者がいるが、そんなことはいつまでも続かない。誰にもそれぞれの生活があり、集会にはそもそもその生活を乗り切るために来ているのだ。
集会でまだ聞いたことのない話などあるだろうか?集会に参加するようになってもう三年以上になる。何度同じ話を聞いただろう。私の耳は同じ話で溢れている。私に自分の生活というものがあるなら、いや、これからそういうものを持とうというなら、確かにもう潮時かもしれなかった。
彼はここで、偶然から救われるのでなく、淡々と意志の力で飲酒欲求を退け、
飲まずに帰宅して歯を磨いて寝ます。
その結果、翌朝彼は素面で、事件解決につながるヒントを聞くことが出来ました。
ほかにもどこかに、足に脳がついてる的な台詞もあったのですが、付箋をつけ忘れました。
家賃統制以外にも、頁45に生活保護、頁142にホームレス向けの福祉宿泊所が、
出てきます。
アメリカには生活保護はないと言うアメリカ人がいるのですが、
マット・スカダーシリーズのほかの本にも生活保護という訳語はある。
まあ、検索したら一秒です。
アメリカの「意外に手厚い」生活保護制度
http://g2.kodansha.co.jp/17703/17792/17793/17794.html
アメリカには生活保護に近い制度はありますか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10116344310
大変な事になっているアメリカのフードスタンプ事情 - NAVER まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2138189755689271201
頁347
麻薬は言うに及ばず。眠れなきゃ寝なきゃいいのさ。睡眠不足で死んだ人間はいない。AAにはいった者はまず初めにそう聞かされる。私も何度聞かされたかわからない。“睡眠不足で死んだ人間はいない”そんなことを言うやつには、椅子でもぶつけてやりたくなることがあるけど、でも、それは事実なのさ」
これは、初めて聞きました。アル中は、
脳がアルコール血中濃度が高いのを正常な状態を誤認していて、
アルコールを摂取しなくなると眠れなくなる。
なので、アル中には睡眠導入剤を処方される、
それがないと眠れないと聞いていたので。
断酒の三本柱とはまた違いますが、何か医療方針が変わったんでしょうか。
最後に、全然関係ない引用をひとつ。
頁354
会社などでもそうだ。今の経営者たちは、長く会社に貢献した優秀な社員に対して特別ボーナスを出してまでも、早く退職してくれることを望んでる。そうすれば、安い給料の若い人間を雇えるからね。そんなやり方がうまくいくものだろうかと思うのだが、それがうまくいってるんだな」
日本からアメリカを見ると、いつもうまくいっているようには見えないのですが、
でもいつも日本はアメリカの後を追いかけているようなのです。
この小説が書かれたのは1989年。以上
(2014/3/6)