『私のワイン畑』 (中公文庫)読了

作者が1991年(45歳)から1994年まで、
長野県の上田と佐久の間の標高800mを越える土地に住み始め、
ワイン用のブドウ畑を始め、初収穫初醸造試飲するまでのルポルタージュ
現在も当地でワインファームを営んでる*1わけですので、
その黎明期の記録ということになります。
季刊誌『乾杯』連載とのことですが、その雑誌は検索しても出てきませんでした。

著者の本は宝酒造のTaKaRa酒生活文化研究所の本で何冊か読んでいて*2
その続きも読もうと思っていますが、近書も読みたいので、この本を図書館で見つけた時、その近書の原点かなと思い、手に取りました。
パリ 旅の雑学ノート (2冊目) (新潮文庫)

パリ 旅の雑学ノート (2冊目) (新潮文庫)

著者はもともと欧米文化畑の人なんですね。だからワイン。
旅の雑学ノートシリーズは山口文憲の香港が素晴らしすぎるので、
香港 旅の雑学ノート (新潮文庫)

香港 旅の雑学ノート (新潮文庫)

どうしても作者のパリ、ロンドン、東欧は好みということになってしまいますが、
作者が欧州、ワインに造詣が深いことには変わりがない。

頁8
 物を書く人のなかには、ふだんは酒飲みなのに、原稿を書くときには一滴も飲まない、という人がいる。飲むと書けなくなる。
 ところが私は飲むほどに調子が出て、二杯、三杯……と書きながら杯を重ね、ちょうど酔いがまわってそろそろ思考能力があやしくなりはじめそうな瞬間に、ピタリと予定枚数を書き上げるという特技を持っていた。
 しかし、それだと、仕事が忙しくなるとともに酒の量がふえる。決してそのせいだけではないのだが数え四十二の厄年に吐血し、ついでに輸血で肝炎を患ったのがきっかけで、ウオッカやラムの痛飲は二度としなくなった。そこで浮上したのが、ワインなのである。

前半は雑学や見学見物交じりで始まるこの本は、優れた農民文学であります。
畑仕事に従事し始める初期にはまだ下記のような景色を楽しむ余裕があり、

頁107
 とくに夏の晴れた日――夏のうちはまだ晴れた日が多かった――の夕刻、畑仕事を終えてシャワーを浴び、とりあえずビールで軽くノドをうるおしたあと、新しいシャツに着替えて冷えた白ワインを取り出し、庭の端の、簡単な材木でこしらえたベンチに腰をおろす。そしてすぐ目の前に広がる畑と遠くの山並みを眺めながら、オリーブの実とかクルミとか、チーズをつまみに、ぐびりぐびりとやるわけだ。一本くらい、すぐに空いてしまう。
 家の庭からも、畑と、上田盆地と、千曲川と、幾重かの山の織りなす風景がよく見える。ちょうど西側に開けた景色だから、夕陽が素晴らしく美しい。千曲川に残照をのこしながら山の端に日が沈むと、こんどは下方にひろがる上田の街並みに明かりが灯りはじめる。そしてほどなくして山や畑は濃い青い闇に包まれ、市街の夜景だけがきらきらと闇の底から浮かび上がってくるのである。

(標高八百だと蚊はいないんでしょうか)
また、頁124の国税庁取材などを読むと、ジャン酎モヒートは酒税法的にどうなのか、
など感想を抱かせてくれたり、雑学に触れる余裕もあります。
それが、頁153など、農業への資本投下と回収の困難さについて認識を深めてゆき、
四十八歳の年には、

頁248
インドのジャイナ教徒は殺生を忌むため農業に従事することができず、もっぱら商業を営んで財を成した、といわれるが、虫に食われながらカネと時間を食うブドウの木は、私の最大の悩みのタネである。

毎日かたときも離れることなく畑に携わる毎日(来客と執筆以外)となり、
その日常、喜怒哀楽を淡々と語るようになります。肉体は農民のそれに改造され、
変化の記述は天候の激変と農作物への被害、影響で占められる。
農民文学は、いつ読んでも気持ちがいいと思いました。そして初収穫。

頁254
 おだやかな、とても天気のよい日だった。
 私たちは、まずブドウの実をひとつひとつ指先で摘んで取り、タライに入れた。それから、新品の長靴を借りて、おそるおそる、タライに足を踏み入れた。
 古式ゆかしい、足踏みワインである。本当なら祭りの衣装でも着た乙女たちが素足で踏むところだが……。
「あたしでもいいかしら」
「まあ、昔は乙女だったからね」
 靴の底で、ブドウがはじける感触がある。ヌルヌルッと、滑る。そこを力を入れて踏みつける。何回かに分けてタライにブドウを入れ、最初は二人で交互に、最後は二人でいっしょにブドウを踏んだ。
 これが本当の、夫婦の揃い踏みというやつである。

この本の冒頭にも、「酒量民族」やら「濃厚民族」といった駄洒落が出てきますが、
最後のワイン試作でも、ユーモアを忘れないところが、読者を穏やかにさせたと思います。

http://cinema.intercritique.com/movie.cgi?mid=12244
ワイン踏みというと、どうしても上の映画を思い出してしまうわけですが…
いい読書時間でした。農民文学は『みみずのたはごと』*3以来です。以上
【後報】
今朝のマッサンで、苦みのあるうまいウイスキーと、
日本人がおいしいと感じるウイスキーのはざまで悩むシーンがあり、
この本の下記を思い出しました。追記します。

頁14
 フランス人にいわせると、日本人の舌にはやはり長いあいだの日本酒の味が滲みついていてそこから抜け切れないのではないかという。だからどこかにほのかな甘みの残るちょっとぼやけたような味の白ワイン(ワインは日本酒よりもアルコール度が低いから、日本酒に似た風味を求めるとすればさらにぼやけた感じになるおそれがある)を好むのではないか。この推測は、日本では白ワインのほうがまだ赤よりも好まれる傾向がある(だから日本人のつくるワインよりも白に良品が多い)という事実にも沿っているといえるだろう。それまでの歴史に赤ワインに対応するような味や香りの酒がないのだから、日本人の舌は慣れない赤ワインの味を受け入れることを拒否しているのではないか、というのは、食文化の一般的な受容のパターンを考えるとおおいにあり得る話ではある。

(2015/1/13)