『ラインからきた妻と息子 体験的比較文化論』(中公文庫)読了

昭和五十五年十月から
同五十六年七月まで
信濃毎日新聞に、
「国際家族奮戦記」
と題して連載。
多分加筆修正して、
昭和五十七年九月、
文化出版局より出版。
昭和六十三年夏文庫化。

カバー写真の
ケルン大聖堂
撮影:片平 孝

中表紙に一家の写真

文庫版あとがきあり
京都移住後の文庫化で、
ここでなんか、あれっ?
て感じになります。

信州大学時代は、
全然ふつうなのに。

文化出版局版は国会図書館サーチあり
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I004112902-00

著者の下記の本を読んで、ケルンで、法科四年哲学科四年計八年留学、
その間ドイツ人と結婚して息子が出来るとは、どんな人なのか、
知りたくなって読んだ本。京都府医科大学で哲学教えて、
名誉教授まで行ってしまうキャリアについても知りたかったですが、
本書ではその前の信州大学助教授までです。

フリーメイソンリー その思想、人物、歴史』(中公新書)読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20170912/1505222393

まず、ドイツでの研鑽は、オイルショック以前の、ドイツ高等教育の、
無償とか、あとはスカラシップの恩恵があってそういう生活と、
分かりました。ドイツが若年齢から進路選択させて、
高等教育組と職人組に分離させてしまう制度は、断片的に日本でも習いますが、
そこはけっこう細かく書いています。大学在学中も絶え間ない振るい落としがあるので、
精神的に学生は不安定になりがちなので、家庭を持って支えを得ることが奨励され、
だから学生結婚は多いのだとか。性に関して一定年齢以上は大人として、
自主性を尊重する風土も背景にあるそうです。

頁25
 家事の空虚を紛らすため、食事の用意のときにかぎって私はいつもシュナップスという強い酒を飲み、音楽を聞いていたので、今でも台所に立てば必ず強いのをグイッと一杯やらなければなりません。

夫は論文を書くのが仕事なので、そういう家事分担になったとか。
奥さんは医大出て医者で、日本の医師資格ではないので、
そのキャリアは当時「無職」になったとか。

頁29
とくに日本の社会では、男性でもその大半は彼らが大学で得た専門的知識を直接生かす職種にはついていません。理科、技術系以外の大学院を出た者にはいっそうこのことが当てはまります。
 一九七〇年代初期についていえばアメリカには大学院生が百万人もいたのに、日本にはそれが六万人しかいませんでした。このように日本の社会はアメリカに比べて高学歴社会ではないにもかかわらず、この少数の高学歴者を消化吸収できない発展途上国であるということになります。そういうわけで、ましてや後から男性の既得権を脅かす高学歴の女性にはもっと狭い道しか残されていません。
 マルガレーテの場合は外国人という障害がこれに加わります。
(以下略)

頁72の、日本では年齢で一律に小学校に入学させるが、
ドイツでは、発育の進捗に応じて、入学時期をバラけさせる、という記事。
体の大きい子がどうしても小さい子に対しいろいろ圧力を加えるので、
同じ程度の体格にならして入学させるんだそうで、へーと思いました。
背景には、道徳では暴力は止められないし、正直も必ずしも美徳でないし、
みたいな、ドイツの、ほんとーにプラグマティックな、生活実践があると。
(ドイツの子どもは日本の子どもより暴力的だとか。
 私も中国で欧米の子どもと中国の子どもを見て、
 欧米のほうが簡単に手を出すと思ったことがあります)

頁87、当時の薄着励行の日本文化「子どもは風の子」と、
腎臓炎や膀胱炎多発との因果関係とか、私は冬でも半ズボンで、
生き延びたクチですので、なんかなんだなあと思いました。

頁103に、突然アドラーが出てきます。'70年代にアドラー

頁103
 秀雄は日本に来て、テレビジョンの中の無機的な半人間的ロボットの超日常性に金縛り状態で見とれていますが、そこでは「見とれる」という純粋な受動性に身をまかせています。フロイトの弟子のアードラーという心理学者は、心理的カニズムの原動力は劣等感にあると言っていますが、大人に対する自分の無力を痛感する子供たちには半人間的ロボットの超能力はまさにアードラーのいう劣等感の補完であり、一瞬の救済です。自制力のない大人がアルコールづけやニコチンづけになるように、子供たちも空想的な能力による補完と救済に魅惑されます。

アルコール自体のドラッグ性がまだ強調されなかった時代の考え方かと。

頁107で、小学生の息子に、善光寺平でドイツ的なスポーツクラブを探して、
鍛えようとしたが、さまざまな選択肢がなく、剣道しかなかったとしています。
これは、21世紀では、だいぶ変わったと思います。
で、作者は、ドイツで「部活」でなくスポーツクラブが盛んなのは、
学校が半ドンだからだろうとしています。日本のように学校に縛り付けられてない。
川渕チェアマンは、Jリーグが始まった時、ドイツは半ドンだから、
部活でなく社会のスポーツクラブなんだとは言ってなかったと思います。
うまいことマスクしたな。もー。

頁109で、日本では落第は落ちこぼれとして恥じとするが、
ドイツでは冷静に教育的配慮として受け止め、劣等感や嫉妬心を抱かない、
とあります。これは教師にとっては、とてもよいのではないかと。
ちゃんと理解するまで教えてから卒業させられる。
中身からっぽで社会におっぽり出さない。
同様な教育を受けるのでなく、適切な教育を受ける同様の権利を主張せよ、と。

頁111
私たちはよく教育を「人格の形成」といいますが、教育はすでに成立している人格を自由に発展させることであって、「形成すること」ではないはずです。

頁117のバイリンガル形成の話も面白かったです。息子さんの話と、
奥さんの苦労と、作者自身の話。

頁118
 私はドイツでのはじめの三、四年間はドイツとドイツ語に夢中でしたが、その後ドイツ人の言っていることもよくわかり、彼らとつき合いはじめるようになって、「ヨーロッパ人、とくにドイツ人はなんと高慢なのだろう」と感じだし、見るもの、聞くもの、一切が気に入らなくなりました。
 ところが五、六年目にやっとヨーロッパやドイツを冷静に眺めることができるようになりました。これらのどの時期に外国を去るかによって、帰国者は外国崇拝者か、外国嫌いの国粋主義者か、あるいは落ち着いた文化交流推進(志願)者になることでしょう。

頁124の「暴力は遺伝する」は、所謂ACかと。21世紀では。

頁146、オーデコロンが「ケルンの水」という意味であることを知っている売り子が、
何人日本にいるだろうか、という外来語カタカナ言葉のあやしさを扱った記事は、
まー気持ちは分かるけどもや、と思いました。奥さんが、ゆたんぽ買いに行って、
ニュータンポン買った話は、薬剤師が、ガイジンの買い物なので、
曲解したんだろうなと。私は昔、福州の黒社会人が「酢豚定」と言ったのに、
「スープだけ」と聞き違えて、彼を激昂させ、あやうく黒☆かみたいな目に遭いました。

頁153、クリスマスの記事ですが、息子さんが銭洗い神社で洗った銭を、
すぐ失ったので何故か親を責めるくだりや、善光寺で煙を浴びた後、
仏像に向かって十字を切った場面。彼の中ではなんら矛盾がないという。
これもスゲーと思いました。

頁190
「日本人にシャガールの絵を理解するのは難しいにちがいない」とは東京で日本語学校に通い美術館づけになり、連休には長野に帰り、ここの美術館を訪れたマルガレーテの文句です。なぜならシャガールの絵には旧約聖書の物語を扱ったものが多いからだというのです。この理由づけはしかしヨーロッパ的偏見によるものではないでしょうか。
 ケルンには東アジア美術館があって、ケルン市民に中国、朝鮮、日本の古い美術品をいつも展示しています。そこで私もよくマルガレーテとは逆に「日本のこの作品はドイツ人に理解されるだろうか」などと多少思い上がって自問したものですが、そのくせ、作品の意味を彼らに聞かれてもまともに説明できませんでした。


http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201709_chagall.html
http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/stantsiya_iriya/20171007/20171007141625.jpg
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_nebel/

http://www.odakyu-dept.co.jp/shinjuku/event/v4l5d000000ajicn.html
偶然シャガール展やってるので、なんとなく。

この書籍のタイトルを検索ワードにして検索すると、
LINE絡みの妻とのやりとりがどうのという文章ばかり出て、
本書に関連する情報は、全く出ませんでした。
作者名とアンドすると、多少出ます。それが限界か。
以上