順番からすると八巻の感想なのですが、飛ばして九巻。お話としては八巻で完結していて、ハッピーエンドです。母親に杏は連れていかれない。
Cover Design/大塚幸司 2006年5月20日初版第1刷発行 2007年4月17日第4刷発行 (検印廃止) 著者 芦原妃名子 発行者 藤本敏一 作品担当者/山縣裕児 単行本編集責任者/前田 彰 単行本編集者/山縣裕児、生島浩志(ユキ・ワークス)
表紙の女性二人が誰か分からず、たぶん杏の母と藤の母が、この年齢で邂逅しているはずはないのですが、「if」で描いた絵だと思われ。
カバー折のイラストも両者。こっちは分かりやすいです。やはりこの年齢では会ってないですが。藤母はムラ社会の因習に馴染めないわりに、いつも和装で、そこはマンガだと思いました。旧家に嫁いだというアイコン、コスプレ。
作者のカバー折のエピソードは、杏が直前ご破算になった婚約者と出会うのが、終電の置き引き(寝ていてバッグをとられる)だった件を踏まえていると思われます。
『カナリヤ ~30years ago~』「Betsucomi」2006年1月号掲載
大悟の母を狂言回しに、人と距離をとろうとする成長期の杏母、鳥取にやってきた藤母らを描く。西条八十の「カナリヤ」はかなしい歌のように思えるが、歌詞のさいごはちがうんだよというトピックが骨子になっています。
『夏休み』「Betsucomi」2006年3月号掲載
杏の年の離れた妹千衣が、ニューヨーク在住で現地で働いている藤妹椎香に会うため単身渡米、さっそく迷子になったところで、やはりニューヨークに転勤になった杏の分かれた婚約者、サクラに偶然出会う。佐倉に人気があるのが意外。といっても今はこの時点から十数年経っているので、人々の意識もアップデートされ、彼のようなアティテュードはもう女性社会的にダウトかもしれない(という読み)空想だけで現地を描いているので、もうこんな日系人いないよ、ということは思いました。アメリカで生きてゆくのに、こんなに日本に寄せる必要はない。
『プレゼント』「Betsucomi」2004年12月号掲載
ホントに連載中のオマケマンガというかんじで、中段だけのマンガ。上下はチェック柄のカケアミ。初出が付録小冊子かとも思ったのですが、委細不明。
個人的に、この頁25の頭頂が、ストレスか何かで髪の毛がバッサリ抜けたのかと思って、一瞬ドキッとしました。そういうベタの塗り方の髪型で、黒髪なのですが、いっしゅんゲーハーに見えた。太陽を盗んだ男かと(ちがう)『カナリア』で、彼女持ちなのに杏母にいれあげてしまった男が、当初自分の気持ちに気づかず、自分の親友がアンタに惚れてるので付き合ってやってくれと杏母に土下座する場面。
新首相の地元が鳥取なので今朝このまんがをあげたわけじゃないです。今日も感想以外書けなかった。radikoがなぜか静岡エリアになっててファンキーフライデーが聴けなかったが、どのみち雨予報が外れたので一日野良仕事をしていて、たとえ聴けたとしても聴くヒマなかったことだけ書いておきます。
【後報】
九巻巻末の著者作品広告と、八巻巻末の九巻広告。
(翌日)
【後報ここまで】
紙コップの水
タミル人のムスリムスリランカレストランで、シンハラ人の店と同じプレートを出す店。ビーフカレーにしたかな。
マッルンだかモージュだか。さつまいもでしたか。
サモサが二個ついてました。シンハラ人の店だとサモサはない。
野菜の、なんだったか、サラダのようなの。シンハラ人の店だと水菜を活用してますが、ここは玉ねぎが多い。
南蛮入りなので辛いお菜。
モルジブフィッシュの料理。シンハラ人の店とちがって、骨があります。
ライス。この時はまだ日本のスーパーにはコメがなかった。これはインディカ米なので、供給ルートがちがいます。
カレーをかけたところ。ちゃんと辛いです。
モルジブフィッシュの骨。スリランカ大統領選と座間市長選と座間市議選と自民党の選挙と三つ終わったわけですが、スリランカは日本主導の債務返還の与党が敗北して、親中の野党人民戦線が政権をとるので、もうソッポを向く人は向くでしょう。でも難民申請はクルド人より多いという真偽不明のヤフコメがあったな。日本人がソッポを向いても何も終わらないという。
今日も、明日も、穏やかに、静かに、落ち着いて、平和に。そして、出来ることなら、自分も周りもみな、しあわせにすごせますように。
以上