『シルクロードの謎の民―パターン民族誌』 (1980年) (刀水歴史全書 6)読了

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http://www.tousuishobou.com/rekisizensho/4-88708-006-9%20.htm
カラシニコフ*2の作者が、パターン人について書かれた先行書籍を探しまくって、
日本にはこれしかなかった、しかしこれは名著だったとしている本。
天下の朝日新聞記者さんが探しまくってそういうのだからほんとだと思いますし、
カラシニコフ著者はアフリカというフィールドでは、
あさっしんぶん記者という色眼鏡で見てはいけないほどの活躍ぶりなので、
猶更そうなのかなと思いますが、それにしても、ソ連のアフガン侵攻直後に校了した訳本が、
二十一世紀である今、カラコルムハイウェイが観光地として定着して、
4半世紀過ぎようという昨今でも、
ワンアンドオンリーのテキストであることに驚きを禁じ得ません。

なぜそう思うかというと、
フンザでもギルギットでもペシャワールでもラーワルピンディーでも、
かの地でパシュトゥーン人に逢って鮮烈な印象を受けた日本人旅行者は少なくないから。
特に、あのアフガンドサクサ時代、
カイバル峠をハザラ人のふりしてアフガン往きのバスに乗りこんだ連中は、
みな例外なくパターン人っぽく裾を絞ったシャルワールカミースのコスプレだったから。
色も目の覚めるような青にして、フンザハット被って、髭のばして。
ドスタム将軍の立ち位置がそうしたバックパッカーの死命に、
直結していた時代でしたかね。かれが合従連衡で憎まれるか受け入れられるか。
そうした時代、状況から、トライバルテリトリーの専門家を志して、
モノになった人がいないということだとしたら、少し寂しいです。

なぜそう思うかというと、
以下後報
【後報】
なぜそう思うかというと、
例えば刃牙の父親範馬勇次郎の回想シーンでは、
必ずオーガが素手で大量のパシュトゥーン人ゲリラを嬲り殺しにする場面が描かれますし、
矢作俊彦原作大友克洋画『気分はもう戦争』でも、イスラマバードの中国大使館員が、
パパパパシュトゥーン」と必死にパシュトゥーン語を発音しようとするシーンがあるなど、
断片的に知識として我々は三十年くらい、パターン人を知っているからです。
(アフガンドサクサ時代の前は、カラテを教えに行った右翼青年も少なくないでしょうし)
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こうした潮流はイラクで青年が公開画像で殺されてから、激減したと思いますが、
それまでの成果が花開かぬまま、終焉したのであれば、なんとも寂しい限りです。

頁63
 歴史的または哲学的な傾向をもつ訪問者が部族地帯においてもっともすばらしいと思うことの一つは、そこの多くに、文字通り法律がないことである(例外もある。道路と公共建造物はいつも政府の管理下にあり、人殺しをすると、道路上では殺人罪となるが、それから数フィート離れるとパシュトゥヌワレイ〔パターン人の掟〕の適用を受ける)。

この本の時代、ダッラでは既に密造銃が作られていましたが、
カラシニコフはまだでした。

頁177
ペシャワルのバーザールでは、ポーウィンダの大半がしゃべる耳ざわりのよい早口のパシュトゥ語が、いつもここで使われている喉頭音のパクトゥ語を圧していた。

遊牧民と定住商業民の発音の違いを端的に記したスケッチ。

頁203
第一次世界大戦後間もなく、イギリス軍は近づくことのできない敵に対して、飛行機を使って機銃掃射や爆撃を始めたが、ときには複葉機が部族民の狙撃兵によって撃墜された。ワジール族は飛行機が純粋にスポーツのために使われると考えることができず、捕えた操縦士を当然ながらひどく扱い、死にいたらせることもたびたびあった。
 そのころ飛行機、それに熟練操縦士の損失は、キップリングが「辺境地方の算術」と称していたのとそっくりであった。その算術とは、「二〇〇〇ポンドかけて教育したのが、一〇ルピーのジェザイル〔マスケット銃〕より劣る」のである。当時も現在と同様に機略に富んでいたイギリス空軍は、間もなく、その損失――少なくとも人的損失を減らす方法を思いついた。撃墜された操縦士のため、帰還した状況に応じて、相応な賞金を与えることにしたのである。
 このため、部族民がますます熱心に飛行機をねらうようになったとしても、操縦士の損失は急速に減り、双方の関係は、イギリスが空軍を使用する以前の名誉ある状態に戻った。

これはソ連も苦しめたし、今世紀無人飛行機が実用化され、
やっと無効化出来たわけですよね。
前大戦時の日本軍航空機の人命軽視の思想を持ち出して比較するのも陳腐ですが、
カラシニコフの作者である朝日新聞記者さんはこれを読んでるわけで、
インダス川で強盗団に早大フロンティアボートクラブが誘拐された時、
朝日新聞が撮影飛行機を上空ブンブンさせて犯人を警戒刺激させたことを、
当然想起したんだろうな、と、思います。

この本は、妻帯者によって書かれたので、妻による助言があり、
それまで欠けていた女性観察の章も設けられています。
これは、イスラムで遊牧なので、男性だけでは、ムリだ。書けない。

頁230
 ついでに言うと、これらの空からの攻撃は、航空機が利用されるようになって以来、辺境戦略の一部をなしている。到着するのに地上軍なら一週間と数回の小競り合いを要する場所へ、飛行機は一足とびに一時間以内に到着する。この攻撃は、今は近代的ジェット戦闘機で行われるようになったが、それでも伝統的に恩情的な型を踏襲している。
 攻撃目標は、通例、反徒の指導者の家や隠れ家である。パターン人社会では、指導者の威信は、自宅を防護する力と密接にかかわるからである。あらかじめ爆撃の正確な時刻と場所を警告する紙片が、投下される。一秒も違えないで、飛行機がきて、だれもいない建物に爆弾を投下したり、ロケット攻撃を加える。厚い泥壁は非常に耐久性があるので、普通は数回の反復が必要である。これは、近くの丘の斜面に避難している用心深い観衆にとって、すばらしいショーですらある。爆撃はまったく紳士的に行われる。私ははっきりと覚えているが、朝鮮戦線から帰国途中の西洋人の熱心な若い空軍兵士に、パキスタン人操縦士がその手順を説明していた。その西洋人が、ときにはナパーム弾を使うことも考えるべきだと言うと、そのパキスタン人は恐ろしそうに肩をすくめて言った。「きみは、本当に何にもわかっていないな」

ソ連人も分からなかったし、いまはもう、憎悪で何も分かりたくないでしょう。
カラシニコフⅡ』の、砂糖がために兵士と回教徒現地女性で売買春が行われる光景と、
この本の、パシュトゥーンの大地にサトウキビ畑が広がってさやさやと鳴る光景と、
それだけのへだたりがあるということなのか。悲しくなります。

白い紙/サラム

白い紙/サラム

シリン・ネザマフィの小説も読書感想文書いた記憶があるのですが、
検索してもなかったので、たぶんはてなで日記を始める前だったのだな。
在日イラン人主人公が、アフガン難民少女の、ダリ語を訳す話があります。

もう一度繰り返して、
なぜそう思うかというと、
この本は、K2などでヒンズークシに行くようになった日本山岳会会員の
高校教師(KO東大卒)が全力で翻訳し、
京大人文研から大阪外大に行った専門家などの徹底的な監修を経て、
出版された本だからです。今西錦司以来の伝統など、いろいろ連想します。
世が世ならナカニシヤ出版で出してもよかった。
こんな素晴らしい動きは、翻訳や伝達のツールが発達した21世紀、
もっとド派手で素早い動きとして、我々の前に現れてくれないか。そう思います。
以上
(2014/8/4)