曾祖父の日記

今週のお題
「今だから言えること」
パート2

曾祖父が若い頃
書いた日記を
捜してみました。
昨日の映画鑑賞で
触れた*1
十代に正月書いて
投げた日記は
出てきませんでしたが、
そのかわり、
数えか満か分かりませんが、
はたちの年に、
九月の二百十日から
晦日まで書いた
日記が出てきました。

まだまだ
中二病盛んな感じの、
大仰なタイトルの
日記です。
明治四十二年作。

どういう時代かというと、
伊藤博文
ハルピンで
暗殺された
ことが欄外に
記されています。

近在の人で、
この家の祖先と
うちのひいじいさんは
仲良かったのか、
代が変わると違うけど、
なんて思いながら
読みました。
が、フルネームの
人名は
伏せさせて
頂いてます。

天長節
次の日に、
伊藤博文
とむらい
行事が
あったようです。














義太夫
受けるか受けないか
いろいろ
あったという記事。
ひらがなの文面は
やわらかいです。

初期の文は
下のように
カタカナで、
なぜか字まで
ヘタに
なっている。

座間神社の
お祭りに
行ったと
あります。

愛甲郡まで
墓を取りに行く
というのが
分からなかった
です。

この人の
兄は病弱で
亡くなった
と聞いていたので、
その時の
ことかと
考えました。

荷車の車を
後ろから押して
巡査に叱られて
説諭を喰らう、
というのは
もっと
分からなかったです。

兵隊が
来て泊まったと
あります。
上等兵一名
従卒二名。
パンをもらったとか。
群馬の兵隊で、
熊本へ行くという
文かな。

その前の段は、
切れちゃったので
伊勢講か祭りか
分かりませんが、
(B4がスキャン出来ない)
朝八時から酒を
吞むと書いていて、
この人は朝酒の
時は必ずその旨
書いています。

日本
赤十字会に
入ったと
あります。

どんな活動を
したんだか
分かりません。

小麦を蒔いて
里芋と薩摩芋を
掘って、
大根をこいで。
粟稈がピンと
こなかったです。



病気や、
朝ゆっくり
寝れた時は、
必ずその旨
日記に
書いています。
風邪でも
薬らしい薬は
なかったのか、
葛湯を飲んで
栄養摂ってます。

近在の集落の
不働校の祭り
というのが
分かりませんが、
それでそこの人が
アンタ正月○〜ト
ドナリ来ル

とあります。

ここから
父親とケンカ
する箇所。

朝から頭痛で
床にいるというのが
前奏で、

「神力」というのは
米か何かの
品種か何かですかね。
唐臼で轢くわけですから。

その後、はだしで
座敷を歩く父を
注意したことから
口論になり、
家を飛び出して
近在の集落まで
走って行き、
兄貴分に話し、

君の父の気質は
能く知り居る故
浦町
(何処?)
をぢさんと
話し合って見て
父の本心を
聞きただして見る
からお前は
何を云われても
だまって
働らいて
居るが宜しい

となります。
今写していて
気付いたのですが、
「云れても」
でなく、
「云れても」
と書いてゐる!


時計がキーワードですが、今でも実在する時計屋かな?

もっと写したいですが、私に詳しく読む能力がないのと、
こまかいカネ勘定、借金、返済、掛け売り、商品作物を売って現金収受、
小作の年貢納めなど、せつない数字が淡々と続きますので、
(大晦日に怒涛の年間収支決算を記載して日記完結です)
この辺で終わらさして頂きます。
ひいじいさんも、面識の全くない子孫が、
百年経って自分の日記を、
「いまだから言えること」として公開してしまうとは、
夢にも思わなかったでしょう。
明日お墓に線香あげます。どっとはらい