『ラティファの告白 アフガニスタン少女の手記』"Visage volé Avoir vingt ans à Kaboul" 読了

 長倉洋海の本で知った本。cover photo Ⓒ Yves Dejardim profile photo Ⓒ BILD Zeitung / THELEN 装丁/角川書店装丁室 読んだのは初版。最初に詩。序文、プロローグ、小年表、用語解説、編集部附記あり。

ラティファの告白―アフガニスタン少女の手記 (海外シリーズ)

ラティファの告白―アフガニスタン少女の手記 (海外シリーズ)

 

 この本の時点ではそうだったのか、主人公がカブールの都市っ子で、父親がタジク人で母親がパシュトゥーンだからか(逆だったかな)、ヒジャブという単語は出てこず、チャドル、チャドリです。チャドルとチャドリで違うとは思わなかった。ブルカは、チャドリの足まで隠すヴァージョンみたく解説されてます。

このメッシュののぞき窓タイプは、タリバン政権が、さらに網目をこまかくしろ、みたく言ったヴァージョンだと思うのですが(原理主義勃興まではそんななかったんじゃいかと勝手に推測)、最近見た映画「ビクトリア女王 最後の秘密」でもムスリムインディアン従者の嫁がこれでした。この表紙は黒のチャドルじゃないので、そこがアレンジな気もします。

タリバン政権までまがりなににも機能していたアフガニスタンの航空会社アリアナのフライト先が、パキスタンイスラマバードサウジアラビアのデュバイとジェダ、と頁188にあるのですが、デュバイって、UAEのドバイの原音に近い言い方じゃなかったっけと思いました。地図も、ジャララバードがシャララバードって書いてある。ソ連傀儡政権時代の記述に、タジキスタンドゥシャンベ行きの飛行機が出て来ますが、定期便ではなかったのかな。ソ連時代のタジキスタンは、内戦中のアフガニスタンとその後背地のパキスタントライバルテリトリーよりまだ貧しかったとか。

カブール制圧時のタリバンのおふれが、本書頁55にもあるのですが、家族での写真撮影禁止って、これは全然分かりませんでした。後半、結婚式をビデオ撮影中の新郎の友人が、タリバンに見つかって機材壊されて本人も打擲される場面があります。

頁145、アフガニスタンの新年の祭りと赤いチューリップの祭りが重なる場面。グレ・ソルクと言うそうですが、検索しても何も出ません。

本書は、マスード麾下の戦闘集団のみムジャヒディーンと書いていて、ヘクマティアルはパキスタンに操られた傀儡、タリバンパキスタンの難民キャンプのマドラサ(神学校)が揺籃の地となったとしています。パキスタンはトライバルテリトリーまで含めた「大アフガン」の出現を恐れ、分裂内戦状態のアフガンを望み、それとアラブの傭兵というかファナティックな勢力が結びついているのが元凶だとか。

そういうことは分かりました。

そして、私は神でも万能の権力者でもないので、そうした状態を是正するチカラを持たず、床屋談義しか出来ないことも再認識しました。

そして、逆説的にですが、そうした状況下で現地に対し我々は何が出来るか、なるべく摩擦や衝突を回避しつつ、これまで積み上げてきたものを継承し、何が出来るか。それを追求することの大切さを改めて思いました。タリバンけしからんで終わっては、そこでなるべく犠牲を払わず井戸を掘ったり用水を干拓したりは出来ない。営々とした営みとそれをされてきた方々に、敬意を示します。以上