『流刑』 (岩波文庫)読了

流刑 (岩波文庫)

流刑 (岩波文庫)

これも後報で。
【後報】
ぱらぱらめくって、南イタリアが舞台だというので、
読もうと思って、借りました。
この本の解説にも出てますが、ギッシングの『南イタリア周遊記』は割と好きで、
そんな世界が体感出来るかな、と思ったからです。
南イタリア周遊記 (岩波文庫)

南イタリア周遊記 (岩波文庫)

By the Ionian Sea (Dodo Press)

By the Ionian Sea (Dodo Press)

ギッシングは、授業で『ヘンリ・ライクロフトの私記』を原書講読した時は、
なんてつまらない小説だろうと思ったものですが、
ヘンリ・ライクロフトの私記 (岩波文庫)

ヘンリ・ライクロフトの私記 (岩波文庫)

The Private Papers of Henry Ryecroft

The Private Papers of Henry Ryecroft

南イタリア〜は面白かった。所謂ブーツの、カカトを主にへめぐるんだったでしょうか。
当時マラリアカラブリアにはまだあったことなど、読んでてとても新鮮でした。
今でも旅行ガイドブックでは、イタリア南部、ローマやナポリから南について、
コソドロが多いなどの理由で、個人旅行はあまりオヌヌメしませんという感じかと。
その辺の、昔からある南北格差についてとか、あと、前世紀の話ですが、
日本にいたイタリア人は何故か自称ナポリ出身ばかりだったのですが、
(で、自分本来の方言と違う、北部イタリア、トリノラノヴェネツィアジェノヴァ
 などの喋り方を基調とするスタンダードイタリアンを日本で教えてたりする)
彼らについて想いを馳せたり、彼らの中の、シチリア出身者と話した時、
海の向うはチュニジアカルタゴ)なの、という会話があって、後年ナントカ革命の時、
ホントにチュニジアリビアからわんさかボートピープルが来ちゃった、
ということなど、いろいろ想いをめぐらしながら読めるかな、
と思って借りた本です。作者の百合小説*1は、そのアペリチフみたいなもの。

で、読み始めてみたのですが、南イタリアの風俗とか、全然出て来ない。
男女がいっしょに水浴びをしないとか、それくらいでしょうか。
北イタリア人である作者にとって、書くことがなかったのか、書くに値しなかったのか。
ブーツのつま先のあたりに流刑されるわけですが、とにかく性欲と女、
そればっかりです。流石イタリア人男性。女性なくしてなんの人生か、そんな感じ。
もちろんすぐに調達…得ることが出来るわけですが、イタリア人はそうなのか、
得たひとと別の、情熱の対象として思い描く相手がまた別にいて、
それとは関係なく男性同士の社交と孤独で日々が過ぎてゆく、という小説です。

頁176
 鉛色の突風が吹くたびに、思い出したようにばら撒かれる暗い小雨のなかで、ステーファノの孤独は極みに達した。そういうときには、火鉢に屈みこんで部屋のなかにいるか、あるいは、ほとんど役に立たない傘をさして、昼過ぎの、人気のない酒場へ出かけていき葡萄酒を注文するのだった。しかしすぐに、時間が酒の敵であることを、彼は発見した。人は孤独でないときにのみ、酔いを求めることができる。あるいは孤独であっても、何かがわれわれを待ち受けていて、夕べが常にない夕べであるときにのみ、酔いを求めることができる。しかし、いつもとまったく変わらぬ時間がわれわれを見つめていたり、われわれとは無関係に時間が進んでいたり、明りとともに酔いがうすれてゆくのに、なおかつ、やり過ごさねばならぬ時間が残っているときなどには、そして酔いに伴うものが何もなかったり、それにひとかけらの意味も与えられないときには、酒はあまりにも無意味なものになってしまう。ステーファノは思った、単調な日常性という時間の独房のなかではこの葡萄酒の広口壜以上に残酷なものはないであろう。にもかかわらず、やはり、それを求めてしまうのだった。そしてジャンニーノも、きっと同じ思いを抱いているにちがいなかった。

真似しない方がいい人は真似しない方がいいです。

Prima che il gallo canti

Prima che il gallo canti

以上
(2015/1/24)