『洋酒天国 世界の酒の探訪記』読了

http://ecx.images-amazon.com/images/I/61XTADH2mNL._SL500_.jpg1975年、貫録のついた左*1
社長時代に比べ、1960年、
専務時代の線の細いこと。
とりあえず男性描いて
ホクロつければサジになる、
みたいな。

一世を風靡したベストセラーの
はずなんですが、いざ探してみると、
収蔵している図書館は
殊の外少なかった。
みなが読んで読んで、傷んでしまった
ということもあったかと思います。

典型的なジャルパックスタイルも、
ジャルパックなんて
言葉のない頃ですから、
自信を持った男性として描かれてます。
まさか後年海外渡航自由化、
外貨持ち出し規制解除のあと、
このルックスが徹底的に
揶揄、バカにされるようになるとは、
作者も予想出来なかったに
違いありません。

トリスを飲んでワイハーに行こう、
なんて未来が予測出来なかった頃の、
欧米見聞旅行、海外視察記録です。
作者が敬愛する坂口博士の
紀行*2をなるたけなぞった。

スコットランド紀行の箇所は、
作品社の日本の名随筆シリーズの
どれか*3に入ってた気がします。
坂口謹一郎博士*4の足跡と異なる
訪問先として、
デンマークのチェリー・ブランデー、
チェリー・ヒーリングがあります。(頁198)
この酒は知らなかったので、
勉強になりました。

以下抜粋。

頁35
 六月十八日、もう夏至に近いがさすがにスコットランドの北端、オーバーを着ていても川風は肌に寒い。こういう時には、ぐっと一杯、スコッチ風に、モルトウイスキーを生のままでやるに限ると、町の通りをうろちょろとパブを探す。とある町角にそれらしい看板を見つけて、やれやれと近よって見ると、扉は固くとざされて電燈もついていない。おかしなこともあるものと、さらにつぎのパブを探し求めたが、これまた前に同じ。ここに至って私にも事情がおぼろげながらわかってきた。つまり十時以後は酒を売ってはいけない規則があるらしいのである。後で知ったことなのだが、スコットランドに限らず、イギリスのバー、酒屋などの営業時間の制限は、とても厳重である。夜は十時か、遅くとも十一時には店をしめる。昼間も二時から五時まではどこへ行ってもアルコールなしである。レストランで酒類を提供するのにも免許がいる。うっかりとびこむと、ウイスキーはおろかビールも飲めない料理店もあるわけだ。フランスから飛んできた人間にはなっとくのできかねる位に厳重、これに比べると日本はまさに酒飲みの天国である。それでいて一人当りの飲酒量となると日本はイギリスの三分の一にすぎないというのは、どうも解せない統計数字というほかはない。

この写真クイズ、解答が書かれてませんw 専務さん、ハシャギすぎや。

頁40
 ところでイングランドウイスキーが広く用いられるようになったのは、実はそれほど古いことではない。サー・ウィンストン・チャーチル
「我が父はmoor landにおける狩猟とか、陰うつな寒い地方にあるとき以外には、ウイスキーを飲んだことはなかった。彼はブランデーソーダの時代に生きていた」と述べているのを見ても明らかである。

頁58
アペリティフ(食前酒)としてはシェリーとならび、ジン・アンド・トニック(ジンをトニック・ウォーターというキナを含んだ炭酸飲料でわったもの)は英国婦人にかかせぬものになっている。

キナって、ドイツ語のチャイナの意味だっけ、と思ったらちがくて、キニーネでした。

トニックウォーター Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC
Cinchona, common name quina Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Cinchona
この本の、あちらの呼称名称を説明するかしないかの基準は当然現在と違っていて、
戸惑うやら微笑ましいやら、です。
頁116、V・I・P(Veryベリー Importantインポータント Personパーソン 訳して名士)など。

頁59
 それほどのブランド“ビフィーター”というジンがあまり知られていないというのは、日本はしょせん東洋の果ての国なのだろうか。

そういうわけでもないと思います。日本が極東に位置する国家であることは、
動かしがたい事実ですし。でもFENいつのまにか名前変わってた*5のでびっくりしました。

頁73
 イタリーでは葡萄園を見出すのがむつかしい。フランスにつぐ葡萄酒の国でありながら不思議なことだが、汽車に乗ってすぎゆく窓外をながめていると、なるほどと思い当る。つまりこの国の葡萄の大部分が、他の作物の間作なのである。畦の桑の木の間に、細々と芽を出している葡萄、あるいは他の果樹とおぼしき大木の間にわたした網にからみついている葡萄、というわけで、このような葡萄が良い葡萄酒を産むはずがない。イタリーの葡萄酒の大部分が、「貧しい人々の貧弱な葡萄から、彼等自身のためにつくられた酒である」といわれるのも無理のないところである。ローマからナポリまでの二時間ばかり、こうした間作の葡萄がほとんど絶え間なくつづいている。

頁113
 フランス人の日常生活というものは、日本ではちょっと想像もつかない、ゆったりしたものである。正午から二時までは、どこの会社も工場も全部休みである。事務員も労働者も、それぞれがこの二時間を、昼食を楽しむために費やすのである。パリにはラッシュが四度あるという。朝の出勤、夕べの退勤は当然の二回であるが、あとの二回がこの昼休みのためである。勤め先の近くのレストランで食事をする人ももちろんある。弁当もちもいるけれど、少くない人数が、この時間を家に帰ってすごすらしい。田舎ではほとんどすべての人々が家庭に帰る。それらの人々全部、すなわち町ですごす人にも家庭でしたためる人にも、共通なものが一つある。それが葡萄酒なのである。若い娘でもドゥミ(小瓶)を一本あける。ちょっとした飲み手になると、大きいのを一本かかえこんで悠々と食事を楽しんでいる姿は、随処で見かける光景である。

この手のフランス人伝説って、眉唾だと思うんですが。
少なくとも、これはフランス人に限った話であって、
ドイツ語のガストアルバイター、フランス語ではなんというか知りませんが、
フランス経済と社会インフラを支えた底辺の外国人労働者には当てはまらない。
東欧から、ギリシャから、マグレブからやってきて、
自由平等博愛の革命精神に忠誠を誓ったことになってる労働者たち。
ル・カレの、スマイリー三部作の、なんでしたっけ、
そういう祖国に帰れない老職業婦人が出だしに出てくる小説。

頁217
 エバンストンはドライタウンである。つまり酒は一切御法度。一軒の酒屋もなければバーもない。ホテルでもレストランでも、食事は一切アルコール抜きなのだ。どうしても飲みたければこの町を出てよそで飲むか、こっそりと一本しのばせて家で飲むということになる。アメリカが禁酒国であった時代の遺物であろうが、このような町や州が、なおかなりの数残っているのは、酒にたいする清教徒的潔癖さのためでもあろう。もっとも一方では、アルコール中毒患者の数もまたアメリカが世界一なのである。

正常氣よ永遠なれ(諸星大二郎『マンハッタンの黒船』に出てくるジョーク) 以上