『父の酒』読了

父の酒

父の酒

装幀:田村義也 巻末に掲載誌一覧有
先日借りた『酒屋へ二里、豆腐屋へ三里』と重複するエッセーもあり、
また、表題作は酔っぱらい読本か何か、酒のアンソロジーで、
既読でした。軍医だった父親が敗戦後酒をやめ、
そのせいか短気になったというくだりとか、戦前の飲み方とか、
引用した気がします。リンゴやバナナに醤油をつけて酒のアテにしてたそうで、
そこは写したかどうか覚えてない。以下後報
【後報】
作者もけっこういろんな引用が好きで、下記は、
小出楢重『裸体漫談』(大正十三年刊)から引いた文章プラスアルファ。

頁87
《足の短いのを或る理想主義から軽蔑する人もいるが、私は電車の中などに於いて日本的によく肥えた娘が腰かけていて、其太い足が床に届きかねているのをしばしば見る事があるが、あれも中々可愛いものだと思って眺める事がある。……》
 この大正十三年頃に較べれば、日本人女性の足も随分長くなり、電車に腰かけて足が床に届かぬ娘さんなど先ず見かけなくなった。

成人が腰かけて、足が床に届かない公共交通機関の光景が、
まったく想像出来ないです。すぐフリークスとかクリーチャーとかの方向に、
話をそらしたくなる。そんな身長差体格差あったのかなあ、大正の頃は。

頁115 「私のきいたジャズ」
しかしアメリカ人というのは、まことに無造作な吸引力があって、たとえ敵のものでも気に入れば即座に取り入れる――たとえば進駐軍のクラブやダンス・ホールでさかんに「軍艦マーチ」や「さらばラバウル」が演奏されたように――。だから黒人の異端な讃美歌から生れたジャズも、たちまちアメリカ人の心をとらえることになってしまったとしても不思議でない。

これは知りませんでした。そうなのか。

頁130 「トマトの匂い」
   とまとって
   なかなか おしゃれだね
   ちいさいときには
     青いふく
   おおきくなったら
     赤いふく

 これは、阪田寛夫の小説の中に出てくる、荘司武という人の詩の一節である。

孫引きも辞さない作者の姿勢、ガイドラインに21世紀人も見習う処多しと思います。
問題なければ問題ない。(逆に、ダメなものはダメ。幾ら屁理屈こねても却下)

頁194「しごとの周辺」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E9%B6%8F
原作プーシキンだそうです。なんしか年賀状の素材に出来ないかと思ったので、
メモとして貼っときます。

"Сказка о золотом петушке"

А.С.Пушкин "Сказка о золотом Петушке"

頁204 「ついの棲み家「東京」」
昭和初期、青山は屋敷町であって、たしかに通りの裏側には、長い石塀や土塀のつづいた、イカメしい門構えの家が並んでいた。しかし私の住んでいた裏路地には、小さな鶏小舎のような家がひしめき合って、一日じゅう陽が射さず、すえた臭いの立ちこめるなかを、夕方になると天理教の太鼓がドンツクドンツクと壁も崩れそうな勢いで鳴りひびくところに過ぎなかった。

私もむかしはドンツクドンツクの正体なぞ知らなかったのですが、
これに類するというか近い信仰も含めて、ドンツクドンツクの横を通ったり、
誰それの家族がそこで余生を終えられたりと聞いたりで、
だんだんにドンツクドンツクが何か知るようになりました。そうして年を取る。
むかし奈良県天理市に行った時は、ホントにカラオケがないかくらいしか、
注意して見なかった。

頁239 「比叡山記」
頃は四月末、京都の町では合服のセビロを着ていても暑苦しい陽気だったが、ここでは毛の上衣の下にセーターを着こんでも、まだ冷えびえとして火が恋しい。ふだんでも山の上と下とでは気温が五度は違うというが、この日の感じでは五度どころか、京都に較べて七、八度は寒そうだ。比叡山のうえには、この日も霧が立ちこめており、その湿気のせいで温度差以上に冷く感じるようだ。住職の話では、真冬には室内で零下十度にもなることがあるという。そんな中で、坐ったままの勤行は、想っただけでも身ぶるいが出そうだ。比叡の坊さんたちはよく酒を飲むというが、これでは酒でも飲まずにはいられまい。但し、ここの住職は「わたしは体質的に酒はイケません」とのことだったが……。

ひさしぶりに比叡平とか、高級車が並ぶホテルとか、見たくなりました。

頁252 「疎水とゴリラと山菜と」
(前略)鞍馬山をこえた向う側の花背というところは、京都市内の左京区の一部になっているが、冬はスキー場になるほど雪が深い。私は、何年か前、花見どきの京都市中があまりに混み合っているのに辟易して、人にすすめられるままに、その花背へ出掛けてみたが、川の両岸から山のせまったそのあたりは、まだ一面の雪だった。それ以来、私は京都へ行くと、ときどき花背まで昼飯を食いに寄るが、一見何でもないような山菜料理が、ここへ来て食うと、じつにうまい。
 名の知れない菜っ葉のお浸しとか、アザミの味噌汁、イタドリの梅肉あえ、等々と並べると、ことさらイカモノばかり集めたようだが、そういうゴリラの餌にでもなりそうなものを、何とか工夫して食わせるところは、やはり人里はなれた山奥にあっても、ここは京都なのだろう。こんども久し振りに出掛けてみたが、以上のような菜っ葉類の他に、その日の朝釣れたというアマゴの刺身と焼いたのが出た。刺身も悪くはなかったが、この淡泊すぎるほど淡泊な魚は、やはり焼き魚にして、少し苦味のある腹わたと一緒に食うのが一番うまい。シャキシャキした歯触りの腹わたは、口にふくむと、一瞬、清冽な山あいの香りがして、それが体の中まで滲みこんでくるようなサワヤカさであった。

以上(2016/11/15)