ガチどんどん

人形シリーズ 町田編

今朝は、六時に起きて、もう六時半前に空が白む季節になったので、ラジオ体操に行こうと思ったのですが、けっきょく雨戸をあけたりなんだりした後、家でしました。その後朝食を摂って、気になる仏壇と壁の隙間のホコリを、掃除機かけたり、濡らして絞った雑巾を伸ばして突っ込んで、上から棒でこすったりしたり、火燃しをしたり、なんだりしました。歯ブラシとハンドソープを買いに行こうと思います。歯ブラシはシステマ。ハンドソープはキレイキレイ(ライオン)とビオレママ花王)の二大派閥に挟まれてほそぼそと生産を継続してる、資生堂。システマは意識してないので検索すると、ライオンでした。

その後、えいやでストレッチしました。そこまでやらないと、なんしか日記を書く気がしないです。それでストレッチが続けられるのだから、まあいいのですが。

平井和正は、一時期までファンレターの返事を書いてから仕事にとりかかっていて、必ず返事を書くことにしていたことが巷間広まったこともあり、毎日膨大な量の肉筆手紙を書くルーティンワークになってしまっていたとか。それ以前はコーラ一杯飲んでバータコ吸うくらいが執筆前の習慣だったのが、読者への返事を書く習慣が始まってしまうと、当然本業に支障をきたしながらも、仕事からの逃避の役割もあったからか、なかなかその習慣をやめるふんぎりがつかず、ずるずる遅筆やら〆切ギリギリやら周囲を巻き込んでの騒動が続きつつも、毎日ほとんど返事執筆だけに時間を使って、その後やっとこさ仕事の書き物をしてたとか。それで、ある時一念発起して、読者にもう返事書きまへんと公開宣言してやめたと、どれかのシリーズもののあとがきに書いていたのを覚えています。今だとマネジャーとかエージェントが印刷された返事ハガキを投函して、作業の簡便化を図ったりするのかなあ。そもそも郵送でどれだけのファンレターが来るのか。SNSフォロー全盛。

www.kobe-np.co.jp

回収量が減っていることに加え、業者とみられる大量投棄の増加が主な要因。

www.tokyo-np.co.jp

回収数は新型コロナの流行が始まった二〇年度以降、一九年度以前より二割程度増えている

こういうものが出来た契機は、上記東京新聞の「成人向け雑誌などが路上に散乱しないように」でFAなのだと思いました。むかしは河原に行くとエロ本が落ちてるので、わざわざ河原に行く児童がいると、いくら本人がヘラブナ釣りだと抗弁しても、エロ本拾いに行くのだろうとからかわれたりしたものですが、そういうのを予防しようとしたんでしょう。今は、オナクラクンなどなんのてらいもなくエロDVDをブッコフに持ちこんで、「多少はおこづかいになりましたンヌフフ」と言ってるので、業者も売ればよいのにと思いますが、劣化してうまく再生出来なくなってるようなブツ( なのかもしれません。

水 この店はセルフ。自分でウォーターサーバーに気が付けてよかったです。なぜか水フリーの文言はスペイン語でなく英語だった。南米人は飲みもの頼むのが当たり前なのかも。チチャモラーダ(紫とんもろこしのジュース)のピッチャーが常備されてました。ホワイトとんもろこしでチチャモラーダ作ったら、チチャモラーダ・ブランカになるでしょうか。それが作れるならふつうの黄色いとんもろこしでもチチャモラーダが作れるのかもしれない。

ティラディート。これが食べてみたくて来ました。

TIRADITO🌶
白身魚に特製クリームソース掛け
Fine slices of fish, marinated in a special sauce (Aji Amarillo and lemon)
Served with Choclo, Canchita and sweet potato.

日本語の「クリームソース」はブラフで、アヒ(唐辛子)のソースです。う~ん、なぜ「クリームソース」と書いたんだろう。これだと、クリームシチューなどのやさしい味を想像してしまう。英語だと、アヒ・アマリージョとレモンの特製ソースとふつうに書いているので、スパイシーソースとか特製ソースと書けばいいのにと思いました。お店の人にもそれだけは言った。

en.wikipedia.org

拡大。真ん中のとうがらしは、アヒ・なんとかと言ってましたが、忘れました。検索して出た個人の方のブログのとおりだと、アヒ・リモになるのかな。

ペルー料理「ティラディート」を知っていますか? | keikoharada.com

下のサイトは、「クリーム」という単語を使っていて、AI翻訳かなんかかなと思いました。スパイシーソースという単語も出ます。

www.infobae.com

さらに拡大。荒井商店の本では、伝統的にティラディートはセビチェとちがって、玉ねぎのマリネ、サルサ・クリオージャは使わないそうで、しかし今では使う人もいるとひとこと添えられています。この日食べたものにはたまねぎ添えられていませんでした。ふかしたサツマイモ(この写真ではなぜか緑色、メロンのごたる発色に撮れてまってます)が入っているのは同じ。やっとさいきんジャイアントコーンをチョクロと言うと覚えられたのですが、カンチータが分からず、聞いたら、炒ったコーンでした。荒井商店の本にも「カンチャ」「カンチータ」と書いてあるのですが、覚えられない。

これを食べに来た、(本厚木にはウェブのメニューにあるけれど)愛川や大和(たぶん八王子も)のメニューにはないと言うと、そうだろう的な返事。刺身はさほど薄造りではなく、メカジキとのことでした。でも楽しめた。

メニューにはないのですが、ショーケースに、とうもろこしのちまき、タマーレスというかタマル(八百円)があったので、それを頼もうか、やはりショーケースにたくさんケーキ(五、六百円ほど)があったので、それを頼もうか、迷いに迷って、後者にホットコーヒーを頼みました。ペルーはコーヒーですか紅茶ですかと聞き、コーヒーとのことでした。ペルーの食事を描いた絵本では朝食はパンに紅茶とあったのですが、午後はどうなんだろうという。メニューの紅茶はただ紅茶とあるだけで、アニスティーなどの特色あるフレーバーティーは書いてませんでした。

タマルは愛川では、自分で作る人がいて、お店などではその人から卸してもらうと聞いていて、しかし大和では頼んだことがあり、それを言うと、「ブエングストですかケイミですか」と言うので、「(ケイミはご高齢で閉店したけど)コラソンラティーノです」と言うと以下略

ja.wikipedia.org

このお店は南青山に姉妹店があるそうで、キムタクのご息女とは関係ないと思います(たぶん)

ルクマのケーキとコーヒー。ペルーのケーキ類は、いずれ愛川の春日台のお店に行こうと思ってたのですが、ここでいちはやく食べてしまいました。わりとせわしない南米人男性の二人組がいて、いろいろあれこれ頼んでは食べたり「お持ちかえり」(日本語)にしてもらっていて、にんじんケーキは"zanahoria"と書いてサナオーリアと読まず、日本語で「にんじんケーキ」を連呼して、知ってるんだなと思いました。その世代か、その世代の邦人とつき合ってる(た)か。ミルフィーユは、スマホで人に聞いて理解して、おおーみたいになってました。やたらムーチョス・グラシアスを連呼するので、他人行儀だな、ペルーでない南米人だろうかと思ったら、ブラジル人だそうで、綾瀬のブラジルスーパーでも、ペルーの老人が来ると、お店の人はオブリガードでなくグラシアスと声をかけてたなと思い出しました。

Pouteria lucuma - Wikipedia

ケーキ拡大。ブラジル人ということなので、スペイン語ポルトガル語でやりとりするのでなく、どっちかに忖度したキャッチボールをするんだろうと思いましたが、それがうまく伝えられず、ポルトガル人は鶴見にはほとんどいないが、ひとりいるというトンデモハップンな方向に会話が飛びました。中国韓国フィリピンはそりゃ人がいるでしょうし、ボリビアも、ここともう一軒のペルー料理屋のあいだの沖縄料理兼居酒屋がボリビアの人だったようにウェブで見たので(池上永一ボリビア小説を読んで、出て来る料理が食べたくなって検索した時に知りました)行くことはなかなかなさそうですが分かることは分かり、西小泉だとここでパラグアイの美容室が出るのですが、鶴見だとコロンビアの名前が出て、コロンビアの人まだ日本にいるのかと思いました。けっこうやばげの職種のひとが多かったので(そうでない人にも会いましたが)もうそんな日本にはいないかと思った。

前にも書きましたが、コロナカ前夜のようにインバウンド全盛の民泊ゲストハウスアタリマエ時代になる前、外人ハウスが珍しかったころ、浅草のひさご通りで夜イスラエル人のねーちゃんが歩いてたら、コロンビア人の白人たちんぼと間違えられて、「アンタたちがいるからこっちが商売あがったりなのよ!」とオカマのたちんぼの人にストマックブローをドスッと入れられて、翌日、「テリブル!テリブル!」と速攻帰国だか引越しだかしたのを見た思い出があります。

その頃かな、五人乗りの車に九人乗りで浦安ディズニーランドに行って、パトカーに止められて、ぜんいんオーバーステイだったので小菅に入れられて、「私は何も悪いことはしていないのだから神さまが守ってくれると、毎日祈ってます」と、ひらがなと漢字の手紙を大家さんに書いたコロンビア人女性のことも思い出します。この人はふつうの人でしたが、聞いた話だと、ヒモはとても悪いコロンビア人でした。あの頃、いっくら延滞しても、ドコモがなかなかケータイを止めたり出来なかった時代。わナンバーやら路駐くらいしか知りませんが、推して知るべしで。

あと、ふつうに暮らしてたコロンビア人から、コロンビア女性に惚れて、結婚して向こうに住んだ、日本最大の広域指定暴力団の傘下だった人(元)の話をちらっと聞きましたが、コロンビアだと、フィリピンとちがって、住むにはそうとう胆力が要求されるのではと思います。どうなんだろう。想像もつかない。

今日も、明日も、穏やかに、静かに、落ち着いて、平和に。そして、出来ることなら、自分も周りもみな、しあわせにすごせますように。

【後報】

横田が急にクローズアップされてビックリ。

b.hatena.ne.jp

横須賀。7月。

www.yomiuri.co.jp

厚木。12月。

www3.nhk.or.jp

座間。4月。

www.kanaloco.jp

在日米軍叩きの材料なので、趙リッケンバッカーサンは今いませんが、ワンウェンピンサンやかしゅんぽうさんなど、战狼外交の報道官の人がなんか言うかなと思います。《参攷消息》には早速出ていた。

www.cankaoxiaoxi.com

(同日)