私の女神まつり

人形シリーズ 伊勢原編 社会を明るくする運動、のペンギンとは違うようです。

今朝は、五時に起きてあれこれして、ストレッチして、ラジオ体操に行って、ゴミ出しして、と順調に進んでいたのですが、好事魔多し。故人の形見のネクタイを勝手に処分され、しかも半分くらい故人のでなく私のネクタイだった、という事態が発覚し、天変地異というか足元を救われるというか背後から撃たれるというか獅子身中の虫というか君側の奸というか(どんどん関係なくなってきている)ろくなことが起こらず、衣服を取り戻そうと心理的には奔走しまくり、実際は電話かけまくりをしましたが、だめでした。それが九時までに起こったこと。

連続勤務で家を空けている間のことで、しかも帰宅時は雨で外套は濡れていたので衣装ダンスを開けず外に干したので、それで発覚が遅れたです。しょうがない。もう天命としか。別れた嫁さんとふたりで新宿の小田急ハルクで買った一万日元のブラックタイも、ベルマーレのライトグリーンタイも、中国のシルクタイも、書店員時代や派遣時代に徐々に増やしていった幅広タイも、すべてサヨウナラ。

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ワールドロックナウでかかってた曲。

その後、カクケイホウサンの火星SFは次のリクエスト予約が入ってたそうで、返却し、ついでにハロワで今の職業訓練講座の資料などを漁って、人に渡しました。私が派遣に繋がった頃は、富士通やらNECやら日立やら、大手の人間が人減らしで人材派遣の会社を立ち上げさせられていて、その実績づくりで、技能訓練を受けた時に派遣の仕事を打診されたりしたのですが、もうそういうことはないのかな。あれも紙一重というか、私の部署もたいがいですが、自動車関連の社に行った人たちは一斉レイオフくらったりしてたそうで。

そんで、ついつい水虫の薬やらブルーレット置くだけ黒ずみ予防やらリステリンやらたくさん買い込んでしまい、反省しながら出かけました。

COOD THOUGHT GOOD DEEDS GOOD WORDS راه در جهان یکی است و آن راه راستی است. There is but one path Thatofatna (Rasti)  GULF شاخاب فارس

水。

テーブルのペルシャ語はグーグルが反応せず。もっときっちり撮ればよかった。

麦のスープ。ペルシャ語の名前は聞いたけど忘れました。

食器。

Fesénjooh
フェセンジュン
くるみとチキンとザクロペーストでじっくり煮込んだ、くるみの油のみを使ったヘルシーで甘酸っぱいシチューです。
Slow boiled chicken, topped with a grownd walnut. Pomegranate stew with a basmati rice.

フェセンジャーン - Wikipedia

上のウィキペディアは翻訳だけでなく、下の和書からの引用もあります。

天下の河出がこんな本を出していて、今でも新刊で買えるとは。

取材に来たのかみたいな感じもありましたが、そりゃ検索するとかんたんにズバリなわけですが、みんな進展を様子見で、聞いた話を寝かせてるんだろうと思いました。記事になってるの見た時ない。松戸のウイグル料理店や高田馬場ビルマ料理店のように、水を向けるとせきを切ったように話してくれるお店というのはありますが、知ってるネトウヨの人は何故かそこで聞かないようにあえて距離をおいたりして、よく分からないです。

インディカ米。ここのつけあわせトマトは焼きトマトでないです。

ペルシャ料理とトルコ料理同じ店でやってるの珍しいですね」から始めて、和田町のお店の話をして、そこからなんしか、店主が相武台前と町田に以前いて、本厚木と町田でもお店を出していた話になりました。本厚木はギャラが悪かったが人はよかったのかな、町田は人がよかったのかな、忘れました。今の場所は下北なみに店舗密集地なので、テナント料がそれなりなんだとか。

ゼレシュクポロウに入ってるバーベリー、セイヨウメギがここにも。

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いたといっても昔の話なので、いろいろかみ合わず、海老名のベンガル人のインド料理屋でマヒチェとジュジェケバブを出してるとこちらが言っても、コロナカのロックアウトで日本に帰って来れなくて閉めたパキスタン料理屋と混同されたりして、なかなかでした。246の新相模大橋のマスジドはスリランカ人がやってると思ってましたが、発起人はパキスターニたちで、店主もほんの少し、付き合いで出したそうです。なんの付き合いかというと、当時店主がやっていた中古車業界の付き合い。

デーツ。

チャイ。西アジアのチャイはミルクティーでなく、ストレートティーです。現地では角砂糖をつけてかじったりしてます。トルコのはふつうに甘い角砂糖でしたが、私が行った時のイランは、イラ・イラ戦争の疲弊とアメリカの制裁で、なんか混ぜた、あまり甘くない角砂糖でした。ガラスの器の人物は「ムスタファ・ケマル・パシャですか?」「ちがう、イランの王さま」「パフレヴィー?レザー・シャー?」「ちがう。その前の」「…カージャール?」「そう。ナントカカントカ」人名も言ってくれたのですが、聞きとれてません。下のどの王さまでしょうか。

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カージャール朝のイランはアゼルバイジャンアルメニアも支配していたそうで、しかしイラン人でなくトルコ人の王朝だったとか。なんとなく店主の想いが0.001㍉くらいわかったりして。

カージャール朝

女神まつり2013、2014。

女神まつり2017、2018。

女神まつり2019、2023。

寝ます。

今日も、明日も、穏やかに、静かに、落ち着いて、平和に。そして、出来ることなら、自分も周りもみな、しあわせにすごせますように。