高倉健の映画(原作浅田次郎なのか)じゃないですけど、
駅伝制とかの語源を考えても、
駅馬車の馬車がオートのガソリン駆動に変わって、
それまでのボグザルにアフタをつけたんでしょうね。
馬が自動車に驚くから、過渡期は、
別々にターミナルを作って並行運用してたのかもしれない。
蒸気鉄道の停車場と馬車駅は共存できるが、
ガソリン車は商売敵で、べっこだったのかな?
ジャムチ、替え馬。
火車站。汽車站。兵站。
泉鏡花の小説『義血侠血』の冒頭は、
駅馬車と人力車乗り継ぎでどちらが早く着くか、
メンツを賭けた車夫たちが採算度外視でデッドヒートを繰り広げる話です。
明治の日本に乗合馬車が運行されていたとは露知らず、
しかもそれが新劇で大当たりということは、
誰も違和感がなかった=根付いていた、ということだったんでしょうかね。
- 作者: 泉鏡花
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イザベラ・バードが文句たらたらの、
去勢してないしつけのなってない日本の馬から乗合馬車の時代まで、
どんなふうに発展していって、
そして、どう衰退していったんでしょうか、日本の乗合馬車。
今もねえ、高速バスは安いけれども、
乗り心地とか、あと、道路の高速バス停まで予約して時間までに行く行き方とか、
今ひとつこころもとなくてですね。乗ってみたいですけれども。