『カップ酒スタイル』 (ちくま文庫)読了

カップ酒スタイル (ちくま文庫)

カップ酒スタイル (ちくま文庫)

江南スタイル、なぜ日本では流行らなかったのでしょう。
別に、流行らなくて、それでいいけど。
カップ酒の本は、以前にも新書をひとつ読んだ気がするのですが、
その本は探し出せませんでした。
鮮度保持の点から、アルミ缶>ガラスカップ>紙パック、としてた本。
指図すんなって、当時思った。カップ酒ゆうたらガラスやろうが、と。

今回の本は、そういう教条主義的な押しつけは書いてないです。
いかにカップ酒を楽しむかについて、洒落の利いた企画を目白押しに書いている。
東海道五十三次カップ酒ウォークはとても面白く読みました。お遍路さんのような。
プロのライターの大竹聡さんと違い、普通のネット住人の方が書いた文章かつ本なので、
例えば、アルコール依存症の問題について、どこまで丸く文章に収められているか、
行外ににじませることが出来ているか、などについて、やはり拙い箇所もあるように思います。
ただ、本書執筆以降、造詣を深めたかもしれません。
この東海道ウォークのような飲み方なら、楽しく抑制を効かせて飲める気がします。
車に乗らない人間は、それだけで飲めない理由がひとつ減る=飲み続けてしまう、
ことがあったりするので。特に旅は、昼酒無礼講を勝手に決めてかかりがちなので。
私と著者の違いは、珍しい酒があったらあるだけ買って、
味の記憶もあいまいになって残しまくったりするか、
あくまで楽しい酔い方にとどまれる量だけ買って味等の記録も残すか、でしょうか。
HP、ブログtwitterFBと進むネット文化には、節度ある飲酒に役立つ面もあるわけですね。

頁287のカップ三都物語―寿・山谷・釜ヶ崎を読んで、
ドヤにもその後焼酎ペットボトル4ℓの波が押し寄せてきたこと、
そもそも彼らが飲みきりサイズを購入するのは、おこぼれにあずかろうとするハイエナが
多すぎるからであること、などすぐ思いつきました。
一度ね、定年退職プチ蒸発みたいなスーツの紳士が、
青カン生活お近づきのしるしにって、なんかまともな酒の一升瓶買ったら、
モグリの手配師みたいなことして日雇いのピンハネして生きてる男にすぐ見つかって、
その一升瓶は開封前だったのですぐ紙パックの合成酒2ℓに酒屋で交換、
(この方がたくさん飲めるからいいでしょ、と無理やり納得させられてた)
差額はピンハネされ、その後何があったか知らないが、
紳士は五日後にはズボンのすそから茶色い液体がたらたら流れていても、
立ち上がることすら出来ないほど衰弱して横たわったままとなり、
その後すぐ消えたのですが、家族と連絡がついたというホントかウソか分からない話で
皆ほっとしたのを思い出します。そういうところだからワンカップなんですよね。
全然関係ないけど、都庁作ってる時、地下工事現場の売店でワンカップが売れすぎて、
さらには皆飲んだらすぐその場で叩き割ったので、車パンク続出、
埋めりゃいいやで割ったわけなので、都庁の地下コンクリにはだいぶワンカップ
破片が入ってる(かもしれない)、と聞いたのも今思い出した。

頁82の、ブルーな気持ちで酒を買う、そんなときに自販機の存在はとても有難かった
これも、吾妻ひでおのマンガにあるとおり、連続飲酒との関連を言外に滲ませてあれば、
と思いました。
頁164の、「公園でカップ酒」ノススメも同様。
頁311酒気帯びで図書館を利用するのもルール違反とありますが、
すぐそんなの分からなくなりますよ。だから恐い。
自分に都合のいいように考えるから、ルールの解釈が辻褄合わなくても平気になるので。
そんな外界との接触の仕方はいやです。

頁116の、平塚駅ホームの立ち食いそば屋は閉鎖されましたね。

頁177で、Jリーグは飲酒観戦に不向きとありますが、そんなことはありません。
ゴール裏の一部を除けば、ヨッパライはどこにでもいます。勿論平塚にも。
しらふで行ってサッカー観戦楽しめるか、以前結構不安でしたよ、杞憂でしたが。
逆に、飲んでるときは、いかにたくさんの人がしらふで観戦を楽しんでいるか、
全く見えていなかったと反省しました。
観戦しに行ってるのかヤジと酩酊が目的で行ってるのか分からなかったからな、あの頃は。

以上とりとめもありませんが、かつて富水とかでよくカップ酒飲んでた人の
読書感想文おしまい。
あと、キオスクで「ワンカップください」と言っても、
イコール大関と解さない店員がほとんどです。
大関ください」と言わないと、値段の少し安いもうひとつのほう出す。