『瓜子姫の夜・シンデレラの朝』 (Nemuki+コミックス)読了

私は三十年くらい前から諸星大二郎を買い始めましたが、
今日はその頃と全く変わらない、新刊なのに見つけにくい本屋の配置で、
変わらないもの、変わらないこころに思いを馳せました。
1フロアまるまるマンガの本屋で、新刊棚にないのはひどいや。

先生は確か娘さんなのかな。違うかもしれない。覚えてない。
いずれにせよ、少女誌に描くにあたって、かつてとは違い、
何かリサーチのようなものがあった気がする短編集でした。
2009年初出の話だけがモロ☆伝統の女性観に基づいており、
その後の話はすべて、新しい女性像ばかり。円満なんだなあ、うらやましい。
もう二度と、↓収録『沼の子供』のような話は書けない、と思いました。

頁153ラストのコマや、頁70の最初のコマ。
かつてのセンセイの女性には見られなかった表情。
本当に変わった。
これが描けるとは。グリーン・ディスティニーみたい。アン・リー*1みたい。
夫殺し

夫殺し

高畑勲も、かぐや姫じゃなくて、こっちの瓜子姫をアニメにすればよかったのに。

あとがきで、和華蘭という言葉を使っておられますが、
和唐蘭だと、蘭も唐に含めて考える人(だから毛唐などと言う)にとって同語反復があるので、
和華蘭と呼んだのでしょうか。異民族王朝でも「華」
支那は、元々は漢訳仏典で中国を指す際に使われた言葉(同義語:震旦)ですが、
日本では江戸時代ほとんど使われず、日清日露後に広まった言葉なので、
長崎貿易に関連したことばとして、「和」「蘭」の間に挟むにはそぐわない。

近代に、「日」「列強」の間に挟むのなら、挟めばって感じ。