谷口ジローコレクションのラインナップを見ていて、今年一月発売の小学館『欅の木』原作の内海隆一郎という人を知らず、何か一冊読もうと考えました。
で、ウィキペディアを見ると、この『人びとの忘れもの』が、中興の祖というか、いったん折れた内海サンのこころをV字回復させ、世に受け入れさせた作品集ということでしたので、借りました。
人びとの忘れもの (筑摩書房): 1985|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
1990年ちくま文庫化。初出は日本ダイナーズクラブ機関誌「シグネチャー」に1982年5月から1985年5月まで断続的に掲載とのこと。装画 四宮修 "Remember F" 部分。それなりに評価高いそうですが、読んだのは初版。
谷口ジローコレクションに入った『欅の木』原作も収められてます。教科書に載りやすい作風なのか、本書収録作品のうち、『窓からの挨拶』『小さな手袋』が教科書に載っているとかいないとか。あと、PHP出版から出てる本と、傑作選に収められた『相棒』という話も、教科書に載ってると、NHKのサイトにあるそうで。
ウィキペディアにハートウォーミングな作風、とあるとおり、だいたいの話が、ハッピーエンドです。といっても、勝利の方程式というか、計算された起承転結がチャンとあって、不幸の予感が盛り上がったのちに、それが取り越し苦労であることが分かり、安堵ともに、よろこびがしみじみ湧いてくる、といった態の話が多いです。そういうテンプレ、とまで言ったら言い過ぎですけれど。奥さんの子宮がん精密検査の話しかり、『窓からの挨拶』の心臓病少年の手術然り、ほか然り。
たとえばで一つ書きます。『たずねびと』は、地方紙の新聞広告に、自分が、「たずねびと」コーナーに出ていることを嫁いだ娘から教えられた寡婦のひとが、相手と連絡するも、いっこうに相手が思い出せず、しかし相手のペースにはまって、相手が自宅に訪ねてくることになる話です。42年前の同窓という中途半端なタイミング、再会後に相手が当時の話をほとんどしない、奢りのチラシ寿司をガン見しながら食べる、など、昔の知り合いを騙った詐欺ではないかと疑わせるような展開が続きます。それらがオチで全部覆され、ネタバレですが、相手は飲食業に従事してたから店屋物をプロの目で見ていて、店を閉めてヒマになったのでそのタイミングでかつての旧友と連絡取れたらと思い、自分はこれこれこういうわけで小学校時代暗かったが、連絡とりたい友だちは、転校の多い子だったので友だちガーで、自分は強く覚えているが相手が覚えているか不安だったのであまり自分からぺらぺらしゃべらなかった、という説明がスラスラ出て、その後ちゃんとオチてくれて、大どんでん返しで、ああ、ヨカッタデスネと思うわけです。
明るい、に対して、表面的には明るくふるまっているけれど、実は根が暗いというキャラ(イタリア人のようなもの)の発見がタモリらによってなされ、「根暗」と呼ばれましたが、すぐ意味が大衆により変化し、表面的にも明るくない、ひたすら暗い人間が「根暗」とよばれるようになりました。その後、就職氷河期とか、ロスジェネとかなんとかで、明るい人が絶滅したので、ねくらねあかという言い方も聞かれなくなりましたが、最近、「陽キャ」「陰キャ」ということばを、リアルに若い人たちの口から出るのを聞くようになり、デフレ脱却でそういう区分がまた復活してるんだなと思います。で、それで、「陽気ぐらし」のスローガンは天理教だったな、と、京都で見た法被の人たちを思い出し、昨日の日記のタイトルになりました。
頁115『おしろいの香り』によると、昭和十九年には岩手にもP51やグラマンが来ていたとありましたが、一年ほど後ではないかと思いました。
『少尉の襟章』のように最後もやもやする、オチのつかない作品もあります。
私がいちばん好きなのは『じゃがいも畑』です。この小説集の作品は、父親目線から見た娘たちが多く描かれますが、これもそう。けして器量よしではないけれど、明るい、という描写に、そういう風に育ってくれ、あれかし、と、人の親でもそうでなくても、しみじみするのではないでしょうか。
以上