『ペルー遙かな道―フジモリ大統領の母』 (中公文庫)読了

ペルー遙かな道―フジモリ大統領の母 (中公文庫)

ペルー遙かな道―フジモリ大統領の母 (中公文庫)

積ん読シリーズ

ゆっくり読書感想を書くヒマもなく、
内容忘れかけています。
この本が書かれた1992年当時は、
フジモリ大統領が改革の意欲に燃えていた時期であり、
その後任期中に亡命し、その後迷走し、
いまペルーの刑務所におられるわけなので、
複雑な思いとともに読まねばなりませんでした。

アルベルト・フジモリ Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%B8%E3%83%A2%E3%83%AA

特に、この本の主人公である、
アルベルト・フジモリのお母さん、
ムツエさんについて、その後の歴史を考えながら読んだので、
彼女の家族を想う気持ち、絶えず身体を動かす一世の勤勉さ、
などの描写のひとつひとつに眼を通すたび、
複雑な気持ちになりました。

藤森ムツエさん死去=元ペルー大統領の母 | 一般社団法人ラテンアメリカ協会 2009/03/17
http://latin-america.jp/archives/4652
藤森ムツエさん死去 ペルー元大統領の母 - 47NEWS 2009/03/14
http://www.47news.jp/CN/200903/CN2009031401000071.html

頁171
 長い間、過激派「センデロ・ルミノソ(輝く道)」のゲリラたちの温床になり、学生はもとより、当局さえ恐れて近づかなかったキャンパスの建物に、大統領に就任したアルベルトは軍隊を導入し、壁に書かれたアジ文などを自らペンキで塗り潰してしまった。

頁268
 だが、四月の第一次選挙でアルベルトが最右翼に躍り出ると誹謗中傷は強まった。リョサに肩入れするテレビ局はムツエにインタビューした。女性インタビュアーの鋭い矢継ぎ早の質問にムツエはスペイン語ですらすらと答えることは出来なかった。
 アルベルトを「ペルーの歴史土壌にまだ根を生やしていない日系人」と批判していたリョサ陣営の狙いは「母親は満足にスペイン語も話せない」にあった。
 しかし心ある人々は逆に眉をひそめた。それにペルー人の四五パーセントはインディオであり、スペイン語は彼らにも外国語なのだ。それを忘れたリョサ陣営こそ大衆から見れば白人のよそ者だった。

現在からみれば、こういう諸々に結局は敗れたというふうにも見え、
その中で、彼女は人生の最期を穏やかに過ごせたのだろうか、と思います。
そうであることを祈ります。
ムツエさんの言語は、所謂一世のチャンポン語ですが、
ハワイの一世二世が「おおルックアット、ハウナイスじゃけえ」
としゃべるのとはまた違い、主語はスペイン語の「ヨー」、
語尾もスペイン語の「ポェ」、
語幹が日本語熊本弁であったように書かれています。
それなりにメルティだったわけで、当たり前だ。

私の人生で、いまのところわけぎもペルー産を使う事はなくなった*1ので、
もうつながりのない国がペルーですが、
本を読むとやはり沸き立つというか、粟立つものがあります。