『他人の鍵』(文春文庫)読了

他人の鍵 (文春文庫 150-3)

他人の鍵 (文春文庫 150-3)

他人の鍵 (1977年) (文春文庫)

他人の鍵 (1977年) (文春文庫)

これも積ん読シリーズ

陳大人の初期推理小説の一冊です。
私は大人の初期推理小説が大好きで、古本屋で見つけると買っています。
ノックスの十戒を破った画期的処女作で主人公の陶展文を甘粛省出身としたのは、
顧頡剛へのオマージュと今でも思ってます。
その陶展文の得意料理は宮保鶏丁ですが、そのコツを、
鶏の飼育段階でエサにイオウを少し混ぜること、と、
一朝一夕にまね出来ない技を披露していたことも、よく覚えています。

宮保鶏丁
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E4%BF%9D%E9%B6%8F%E4%B8%81

で、この小説は、戦後焼け跡から復興する前の神戸が舞台で、
白系ロシア人のダブルである主人公織雅(オリガ)を始め、
主だった人物はみな、戦中も神戸にとどまらざるをえなかったデラシネの二世です。

頁52
「戦争へ行って、わが国民を殺したやつを歓迎するのか?」
 と言って、腕組みをした。
「隣の隆夫君は南方だよ」
 と、張彰仁は弁解した。
「南方にも華僑が大ぜいいる。げんにシンガポールでも、われわれの同胞が何万人も日本軍に殺された」
「日本人は赤紙がきたら、誰だって否応なしに兵隊にされるから仕方がない。人殺しを命令したのは、上のほうの連中だよ。隆夫君はただの兵隊なんだから。……」
「甘いね。意識が低いといおうか……」
「甘くても低くてもかまやしない。隆夫君はぼくは友人だ」さすがに彼もむっとして、「いちいちきみの指図を受けることはない」
「指図じゃない。おれはただ自分の意見をのべているだけだ」
 議論にかけては、張彰仁には相手に勝つ自信はなかった。
(なにしろ口舌の徒だ)
 口惜しいが、彼は黙ってしまった。相手は腕組みをして、せせら笑った。たまりかねて彼は口をとがらして言った。――
「じゃ、きくが、どうしてきみは、戦争中に敵国にきて勉強なんかしたんだい?鉄砲をもって戦わねばならんときに」
「おれは技術を学びにきただけだ」と、彭増嘉は即座に答えた。――「銃をとるのは、ほかに人がいる」
「すると、きみはえらばれた人間なんだね?」
「そうだ」
 それ以上、なにも言うことはなかった。
 相手の顔をみるだけでも胸がむかつくが、自分からさきにこの場を離れるのが業っ腹だった。張彰仁はテーブルに肘をついて、なるべくふてぶてしくみえるようなポーズをとった。
 気まずい空気が流れた。
(きみは居候じゃないか。ぼくは給料の一部を母に渡している。その母から、きみは小遣いをもらって、酒をくらっているじゃないか)
 よほどそう言おうと思った。だが、それだけは口にしてはならないことだと、辛うじて自制した。

言ってもいいのに、と思いました。

頁131
(なるほど、中途半端だ。……)
 と、隆夫は思った。
 たとえば、ことばである。
 外人長屋の子供たちの日本語は、神戸弁の部類にはいるが、完全なそれではない。日本の学校で勉強したのは、隆夫のほかは織雅だけである。だが彼女も、家庭ではロシア語を常用した時期があった。
 ほかの子供たちは、外人学校で英語、トルコ語、中国語などを習い、週に何時間か『日本語』の授業もあって、かんたんな文章なら読める。しかし、新聞ていどになると、もう歯が立たない。
 漢字を得意とする張彰仁さえ、犯人が自首するという新聞記事を、ジクビと読んで、隆夫を呆れさせたことがあった。
 いつかマルセリーノが、自分の国語であるポルトガル語を正式に学校で習ったことがないので、英語より下手だと言っていたことも思い合わされた。
 彼らの日本語は、外人としてはたしかに流暢といえた。しかし神戸弁らしくあっても、底までそれでおし通した神戸弁ではない。やや標準語に近い表現もまじるが、それは一種の硬さであった。
(中途半端だからこそ、すっきりしたものにあこがれるのだ)

この隆夫という日本人の狂言回しは、五島列島の出身です。
神戸のアマさん(外人家庭のお手伝いさん)に、
五島派遣のスジがあったことが背景として語られています。

頁116
 じつは織雅はそれほどロシア語を流暢にしゃべれないのである。日本語、ロシア語、英語と、彼女は三重の言語生活者なのだ。そのなかのロシア語は、家にいるときだけ、母親と家事のことや、ちょっとした話題をしゃべるていどだったので、語彙も表現も限られていた。まして、その母が亡くなって何年にもなる。
 ゆっくりとしかしゃべれないのだ。むしろたどたどしいといったほうがよいかもしれない。だがこの場は、彼女のあやしげな、詰り気味の口調が、かえって仲介役としてはうってつけであったろう。
 親子のはげしい論争は、しだいに納まって行った。

こういう話なのですが、以下ネタばれですが、
推理小説としての真相は、上記がカムフラージュで、
全然違う女性心理のおはなしになるのです。

頁191
 隆夫を奪われることは、彼女の破滅だけではなく、隆夫自身も消えてなくなるような気がした。隆夫は彼女に包まれなければ生きることのできない存在である。彼女からはなれた隆夫は、もはや隆夫とはいえない。彼女はそう思いこんでいた。

初出は昭和四十四年の別冊文藝春秋
トルコタタール人を登場させるなど、
大学時代西ユーラシアを学んだ大人らしさも随所に伺えます。
白系ロシア人女性が進駐軍兵士にしがみついてアメリカへ渡っていったというのは、
日本だけではなく中国でもそうで、堀田善衛の上海にてなどにも書かれています。
いまでもアラスカがたぶん食べられるであろうダスカの近くのサテンの話。
まだありますよね、検索してませんが。ないかも。

上海にて (集英社文庫)

上海にて (集英社文庫)