日本文学100年の名作 第6巻 1964-1973 ベトナム姐ちゃん (新潮文庫)
- 作者: 池内紀,松田哲夫,川本三郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2015/01/28
- メディア: 文庫
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(フレームの外で)ぼこぼこにされた件と、この本を本屋で見て図書館で検索して、
蔵書未なので、他館本リクエストしようと思いつつ忘れていたことを思い出し、
人間ドックの
確かに帯*1の通り、大きい文字で読みやすかったです。
ひとつひとつ昔の小さい活字で読むことを思うと、21世紀のアンソロジー万歳。
まぁ私は、帯にある読書迷子ではありません。読書溺子です。でも指南があるとラク。
新潮社公式:http://www.shinchosha.co.jp/bunko/blog/100th/2014/09/18_2.html
他の巻の構成は分かりませんが、この巻に関して感じたのは、テーマの重なる作品を、
ふたつみっつ間を空けてから重ねて配置することで、重層的な、寄せては返す波のような、
ぶっちゃけて言うと天丼効果を狙い、それが十二分に発揮されているな、ということです。
和田誠と小松左京、池波正太郎。大江健三郎と古山高麗雄、木山捷平と野呂邦暢。
また、底本一覧、初出掲載誌とその年月日が明記されているので、当たり前のことですが、
ちゃんとした仕事だと思いました。久住昌之のカンゼンとかいう出版社とか、
曽根富美子の漫画夏に出した出版社とか、見て猛省してほしい。これがこの業界の仕事だと。
以下各作品の感想。
川端康成「片腕」
酔っぱらい読本とかによると、この人は吞めないのに、ディスコとかのVIP席から、
ミニスカの姉ちゃんのなま足とかを舐めるように延々見て過ごしてたそうなので、
こういう小説書く素地は普通にあった、ということだと思いました。
私がもし、この娘さんの親だったら、泣きます。ノーベル賞だかなんだかしらないが、
こんなジジイに、手塩にかけた(かどうか知らないが)娘を…
田中英光はラリるためにアドルム飲んでましたが、不詳カワバタは不眠のため睡眠薬常用で、
ODしてたんじゃなかったかな、と想像してます。どっちみち、閾値越えたらいっしょ。
燃え尽きる前輝く時期に、なんとかこういった作品を残せたのかどうなのか、
残せてよかったですね、と思います。バカになったら残せないもの。
大江健三郎「空の怪物アグイー」
初出が明記される大切さとして、掲載時期は光くん誕生の前か後か、妊娠何ヶ月か、
確認出来る点が大きかったと思います。知ってる人は知ってることですが、
おサイケな十三の妹。ダリの絵、内乱の予感。もしそうなったとして、
自分もこうなれたらよいのか。否、現実と小説は違う。自分はこうはならないなれない。
小説としては、導入部のナゾというかハッタリが、すんなりきれいにオチでおとせず、
強引なこじつけで〆てるので、いささかって感じです。湯婆婆の息子だけでよかったのに。
司馬遼太郎「倉敷の若旦那」
小林よしのり言うところの純粋まっすぐ君。かつ、毛沢東ばりの遊撃論失敗。
ということが言いたかったのかという気もします。時代的に。
中に天狗党と奇兵隊が出てくるのも暗示的。
和田誠「おさる日記」
各著者、写真が掲載されてるのですが、この人だけ、いちばん近況の写真な気がします。
木山捷平「軽石」
この人の積ん読はいつ読めるのか。倉田江美が『釘』というタイトルで、
この話をマンガにしてると解説にあり、検索して、
倉田作品がひとつも新刊で読めないこと、キンドルなんかもないこと、
特に、『静粛に、天才只今勉強中!』の全巻揃いなんか全然中古でも出てなくて、
そのほうがおそろしいことと思いました。
野坂昭如「ベトナム姐ちゃん」
哀しいはなしでもあり、野坂が、火垂るの墓でやらかしたこと、
親せき宅で辛抱たまらず逃げ出して、自分だけ食糧確保という、あの展開について
生涯ついて回った自責の念と、それでも生きる自分という存在を、
自己弁護しないと生きていけない、その視座。そして生きる。生きよう。アンパンマン。
そこまで重ねてしまうと、主人公への優しい視点が何処から出てきたものなのか、
分かる気もするおはなしです。戦争を体験した世代は、野坂を責めない。
ああいうことは、あった、自分も見聞きした、今は平和でよい、それだけ。
そして、作品は、亡者との対話に於いて、大江健三郎や古山高麗雄作品と、
通底するものがあるのだな、と思いました。未来予知は別の作品と、
また、奥手ぶりは、池波正太郎作品と共通してます。関係ありませんが、
野坂の新潟選挙活動的なモノが現在おこなわれるとしたら、
今は人をプロデュースして食ってる人の数やスキルが格段に違うので、
ホリエモンがお金を出して始終ライブカメラが回っててもおかしくないだろうな、
と思いました。(それでも当選可否はまた別の話)
小松左京「くだんのはは」
みんな知ってる超有名作品ですが、21世紀に生まれた人はこれから読むわけなので、
大きな活字で読めてよいと思います。近藤ようこのマンガ化戯曲にも出てきましたか。
『地には平和を』もよい作品で、思想としては同じで、コサミョンの、
『生きることの意味』とも同じです。特攻隊に志願して、金鵄が飛んでくる夢を見る。
陳舜臣「幻の百花双瞳」
既読ですが完全に忘れてました。これも奥手路線。オビワンの師匠はクワイガンジン。
頁330
在留華僑は外国人でありながら、徴用されるようになった。華僑挺身隊などといって、名目は志願であったが、実質的には強制だったのである。
池波正太郎「お千代」
ねこまんま、むかしの猫は食べていましたが、なぜあんなものが猫のエサだったか、
分からない。銀シャリは銀シャリですが。
古山高麗雄「蟻の自由」
重慶軍重慶軍と言うてますが、これが小林よしのり戦争論に出てくる、痛快な戦争です。
この小説では、最も勇猛果敢なバンザイアタックを仕掛けたのが、朝鮮人混成部隊ということに、
なっています。重慶軍=國府、ですので、ながらく中共ではこの辺の事実が、
伏せられてました。下記などがその辺ルポした本。
- 作者: 川野和子
- 出版社/メーカー: 新評論
- 発売日: 1997/11
- メディア: 単行本
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安岡章太郎「球の行方」
孫呉で病気除隊とか、脊椎カリエスとか、黒岩重吾とカブる人生だったのだな、
と思いました。
頁441
しかし、たとえば言葉が通じないという点では、朝鮮も弘前も私たちには変りなかった。弘前で「むったとありす」といえば、標準語では「たくさんあります」という意味なのだが、同じことを朝鮮語では「まあにいつすんにら」というのである。つまり、どちらにしてもそれらは私たちには縁のうすい言葉であり、生涯のうちでそんな言葉を使って生活しなければならない場合はめったにないし、極く限られた狭い範囲に過ぎなかった。
下記も黒岩重吾の悪食と似ている気がします。
頁442
いま考えると母は、のんきな性格で、よその親たちに較べると何処か風変わりなところがあった。その頃、バナナやうで卵は疫痢の原因になるというので子供にはあまり食べさせてはいけないもののように言われていたが、母はそういうことには一向無頓着で、長い引っ越しの旅行中、私が食事の代りにバナナを十三本も食べると、かえってそれを面白がり、また私がうで卵を二十四個食べたという話をいろんな人に言いふらしたりした。
野呂邦暢「鳥たちの河口」
シンプルなスケッチ。小品。ほかと毛色のことなる、作品です。以上