東亜同文書院生が記録した近代中国 (あるむ): 2007|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
神保町の中国専門書店を覗いた折、レジ横にあって、なんとなく買った本だと思います。愛知大学が東亜同文書院だとは全く知らず。
赤坂の霞山会が東亜同文書院の後継だと勝手に思っていたのですが、霞山会は、「東亜同文会」の後継だそうで、東亜同文書院と東亜同文会の区別がつきませんです。次亜塩素酸水と次亜塩素酸ナトリウムの違いのようなものでしょうか。
名古屋と中国のかかわりも私には分かりにくいところで、汪兆銘終焉の地はまだ分かりますが、中村遊郭は置いても、かつて有村産業が運行していた、台湾キールン行きフェリーが名古屋発だったのも、なんでかよく分からんです。
ナゾがナゾを呼ぶ展開としては、犬飼健『揚子江は今も流れている』に出てくる話で、戦争中、中国では國府も八路も日本人向けに日本語のラジオ放送を流していて、東京ローズの中華版なのですが、どちらも男性アナウンサーで全然艶っぽくなく、延安のそれは野坂参三の歯切れのいい東京弁で、対して重慶の放送は何故か名古屋訛りだったそうです。名古屋と中国の関係はかくもミステリー。
話は変わりますが、先ごろ電子版が完成した諸橋大漢和を読んでいると、けっこう地名が収録されていて、これって密偵というか、奥地に潜行した日本人たちの成果がひっそり戦後、諸橋大漢和に埋め込まれてるのかなあと思うです。一歩間違うと大陸浪人で人生棒に振りそうですが、学生(や職業軍人)の調査旅行ならまだ恰好がつくのか。
本書は簡単に講演でそれを述べた記録で、著者はほかにも数冊これ関連の本を出しているので、興味があれば読めばよいと思います。いちばん新しいのは、『アムド 山の旅』も出している、京都のナカニシヤ出版だった。
東亜同文書院生が記録した近代中国の地域像 - 株式会社ナカニシヤ出版
私はたぶん読まないと思います… ほんとうに数年に一度くらい、諸橋大漢和を開いて、中国のド田舎の地名を見る時に、思い起こす。それくらいだと思います。読むよりほんとは実際にド田舎に行きたい。行けたらなあ。以上