『漫画で描こうとした大陸と日本青年』(愛知大学東亜同文書院ブックレット②)再読

これも場つなぎ本です。『東亜同文書院生が記録した近代中国』といっしょに、神保町の中国専門書店で買いました。このふたつは2006年の講演の第一部と二部で、第三部「満州の青少年像」ロナルド・シュレスキー博士も、本シリーズの④に収められています。が、それは未読。

 当日は超満員で、会場に入りきれないほど聴衆が詰めかけたことが、講演に先立ってのセンター長あいさつから伺えます。この本は、司会やセンター長挨拶から、二名いたはずの質疑応答の一名分までテープ起こししてしまうという、スレた本職の出版屋からは想像も出来ない学生たち?の熱意あふれるつくりの本で、装幀・デザイン者は未記載。なにしろ講演の日時すら書いていないんだから素晴らしい。開始時間は不明ですが、この講演が14時までで、センター長の第二部が14:15~15:15、シュレスキー博士の第三部が15:45~16:45までであることは、司会がそう発言してそのままテープ起こしされているので、分かります。

とにかくガンダム(キャラデザの)安彦良和が愛大にやってきた!わけですから学生が熱狂しようというもの、と、思ったのですが、版元公式を見ると、講演はパシフィコ横浜で行われたそうで、ハマかよ、と思いました。『虹色のトロツキー』『王道の狗』ともにとっくに連載終了ですが、それに関する四方山話というか、講演のさいごに、安彦良和が、『虹色のトロツキー』資料提供者の坂東勇太郎に初めて面会した折、日本が戦前中国に対して行ったことは侵略であると思う、と、自分のスタンスを明確にし、はたして相手はそれだけで剣呑な顔をしたけれども、という話があるのですが、その後の質疑応答で、いきなり高島俊男に学んだという男が長広舌をふるいだし、ここは会場緊張が走ったのではないかと思いました。

ま、なにごともないんですが。ちなみに『虹色のトロツキー』は人間大学の出版社でお馴染み潮のコミックトム連載だったかと。10万エソ実現ありがとう。坂東勇太郎と安彦良和はその後も親交を保ち、坂東勇太郎は『王道の狗』を献本するとすぐ達筆の返事を書いて褒めてくれたそうです。その後、安彦良和ガンダムオリジン弁当を始めるにあたり、坂東勇太郎に、これまでのとは毛色がちがう、自分のムカシの路線の仕事になるので、本を贈呈するとか、ちょっとでけしまへんだ、とことわりを入れると、「冷たいことをいうなよ」と非常に残念そうに言って、それから間もなく坂東勇太郎はなくなったそうです。それが講演の〆のエピソード。「侵略であった」が出だしで、こう来たことに心が動きます。

新着情報 - 愛知大学記念館

社団法人国際善隣協会五十年のあゆみ (国際善隣協会): 1992|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

寫眞集建國大學 (建國大學同窓會): 1986|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

漫画というツールで実在の人物を描く妙味については存分に語っていて、中山優、辻権作、藤田松二などの登場場面が本書にも収められています。誰なら。「松二」はソンアルになるはずですが、「バンズ」とルビが振られていて、「バン」は「ソン」の誤植と思いました。「ズ」は不明。

建国大学 - Wikipedia

辻権作少将以外は上記、建国大学のウィキペディアにいます。個別の項目はないようです。

表紙にも出てくる「白鳥は悲しからずや空の青海の青にも染まずただよう‥zzz...」は、坂東勇太郎提供のエピソードで、しかしこれは、北原白秋の詩をくちづさんだんだそうで、私は「白鳥や」を誰が詠んだか知らないので検索したら、若山牧水と出たので、ちがうやんと思いました。

建国大学は執筆当時の1991年、長春大学と人民解放軍敷地に分割されていて、安彦良和長春大学側にしか入れず、物語の主要な舞台となる学生寮跡地(まだ建物はあったそう)は人民解放軍側で、1992年OBがゴニョゴニョして中に入って撮った写真を、講演でも本書でも使っています。こういうの、いい話と思うんですが、習近平的には、ダメかな。

それからまあ、『王道の狗』は中国革命に殉じた最初の外国人といわれる山田良政を思わせるエンディング云々とか、中江兆民東亜同文会の近衛篤麿の勉強会に行っていて、幸徳秋水が中江に「我々はパヨクなんだからネトウヨの集まりに行くべきじゃあーりませんよ」と換言して、中江は「いや、ネトウヨもなかなかおもしろいよ、おまへも逝ってよし」と相手にしなかったエピソードを披露しています。たぶんこういうエピソードのはずですが、違うかもしれません。どうかな。

山田良政 - Wikipedia

以上