芥川賞全集 第3巻 読了

芥川賞全集 第3巻

芥川賞全集 第3巻

http://www.bunshun.co.jp/book/80akutagawa/kikan14.htm
昭和十五年下半期から昭和十九年下半期まで。

読了と書きつつ、まだ『登攀』の途中で引っかかっています。
『登攀』は昭和十九年上半期で、「忖度」ということばがこれだけ頻出で出てくる。
おはなし自体も創氏以降の内鮮一体の進捗状況を独り語る小説で…
その前の『劉廣福』も、これは戦後中共で、主人公は、日狗的走狗として、
糾弾されてしまう経歴になるんだろうなと思って読んだり。
でも既読でした。何か、外地文學アンソロジーで読んでたようです。
そういうことをまとめてつらつら書きます。後報で。
しかし中国等を舞台にした小説が飛躍的に増えてますね。
エキゾチシズムとか珍しさで、題材的に争って取り上げたのか。以下後報。

【後報】
装丁 粟屋充
題字 中田功(「龍」の字が表紙と中表紙にありま)

<第十二回 昭和十五年下半期>
この年の候補作には、『祝といふ男』牛島春子という満洲国ものがあった由。
Wikipediaの牛島春子に小島政二郎の評が抜粋されていますが、
その続ぎをこの本から引用します。

頁339 芥川賞選評(第12回)小島政二郎
作者は、ジョージ・ボローのジプシーのことを書いた「ジンカリ」以下の諸作を読まれたことがあるだろうか。これを機会に、満洲に於けるボローとなって、満洲ジンカリを集大成してくれることを祈りたい。
 猶、読みながら分らない文字を辞書を引いた写しが手許に残っているから、読者の為めにここに書いて置く。「土地を三十响ばかり買って置いた」の响は、音ショウ、一响は弓地七畝に当る。「弓」とは土地を計る数、五尺を一弓と為す。
「金華池のてらてらと頭の禿げた掌櫃」はチャンケイ、支配人のこと。「股長」、股は一支隊、つまり一支隊の長なり。「包米」パオミ、トウモロコシのこと。但し、以上の註は間違っているかも知れない。

"响"は現在では「響」の簡体字として知られていますが、
単独でも使われていた字であることが分かります。
また、その後、フイチンさん等で、ジャングイと、
かなりカタカナとしては正確に音が当てられている字が、
チャンケイと、まだ不正確な音で当てられていたりしたんだな、
と分かります。

候補作にならなかった作品のうち、『ビンタンの星』佐藤虎男、
『高麗人』島村利正、は、ひょっとしたら外地絡みかもな、
と思わせるタイトルでした。直木賞の候補作にも、
『廟行鎮再び』伊地知進という作品があり、外地物かなと思いました。
https://kotobank.jp/word/%E4%BC%8A%E5%9C%B0%E7%9F%A5+%E9%80%B2-1638200

で、候補作のうち、『崖』白川渥が受賞作と争う出来だったそうですが、
時局がら発表出来ない、素材から文春では発表出来ないそうだ、
と各氏書いていて、それで落選したのですが(横光利一が強く推してたとか)
理由を明記してるのは瀧井孝作ひとりでした。

頁341 芥川賞選評(第12回)瀧井孝作
戦死者の未亡人の再婚問題が扱われていて、現今の当局の忌避に触れる点もあるようで、一般には発表できない作品と思われた。

ちょっとこれだけだと、具体的に検閲があったのか、
乱歩の芋虫などの例から、勝手におもんばかったのか、
分かりませんが、ひとりも具体的に理由書かなかったら、
空気によるなんとやらがあったのだな、と思ってしまいます。
ひとり書いててよかった。
横光も不肖カワバタも佐藤春夫も書いてないんだもん。

『平賀源内』櫻田常久 受賞
…晩年、酔って殺人を犯したとがで死罪になったはずの源内は、
 実は生きていて、改心して、酒はどうか知りませんが、
 素性を隠して住んだ村のために私利私欲を捨てて献身して生きた、
 という小説。私は、晩年の妄想は、梅毒かと勝手に思ってましたが、
 特にWikipediaにもそうは書いてなかったでした。また模造記憶か。

<第十三回 昭和十六年上半期>
この回は座談会形式の合評と、カラフト旅行中の評者からの電報で、決。
直木賞は、『雲南守備兵』木村荘十が受賞。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E8%8D%98%E5%8D%81

『長江デルタ』多田裕計 受賞
…上海、南京が舞台、汪精衛南京維新政府設立前後の設定の話。

頁59 長江デルタ
 三郎の借室は、閘北停車場に近い、赫而克路に在った。楊樹浦とは反対の側から支那軍が北四川路に迫った激戦の跡で、三郎のいる家まで戦火は及んでいた。

どこかと思って検索しましたが、はかばかしくなく。
四川路の近く、ザホの近くなので、日本租界近くとは思います。
最初シャルケロードと読みましたが、ハルクロードかな?
なぜシャルケと読んだかは、自分のことながら不明。

頁58 長江デルタ
暮れのこったブロードウエー・マンションの巨大な姿が、空を埋めて、鎧のように無数の窓の燈がキラキラ光りだした。
「あの建物は上海一の大きさですよ。イギリスのものだったのを、今度の戦争の実力で、日本が買いとったのです。近いうちにあの尖塔に、日本の国旗と、汪精衛の国民政府を代表する中華民国旗が翻るはずです」

私が見たとき、屋上の看板はTOSHIBAでした。どこかに写真があって、
模造記憶でないと、証明されるといいんですけど。

頁64 長江デルタ
「擁護汪首席、慶祝新中央政府」「和平反共主義
「祝国府改組組遷都」「東亜民族団結」
「東亜新秩序建設」「反英反蘇親日主義」

頁65 長江デルタ
「樹立強国的中央政府」「実施和平実施憲政」

頁70 長江デルタ
「御覧なさいよ。日章旗にまじってあんなに青天白日旗が風に靡いているのを! 中国は甦り! と言いたくなる。市民もこの旗を目の前に見て、ようやく汪精衛を信頼する気に、今朝からなったでしょう。昨日まで市民は危ぶんでいたのです」

頁67の説明では、黄色い三角標識をつけた青天白日旗で、
和平建国青天白日旗と記されています。

しかし、汪精衛の南京維新政府をちょっとでも調べると、
東北三省の領土恢復を彼らも主張し、満洲国の存在を断固認めず、
そこでもって日本側と深刻な対立と溝があったことなど、
(まー棚上げして手を結ぶ形でしたが、式典とかだと露わになる)
単なる傀儡政権でなく、したたかな面従腹背、というか面従もしていない、
一面もあることが分かって、面白いと思います。
横っ面を張り飛ばされるような面白さ、とでもいいましょうか。
この小説はむろんそこまで踏み込み得ず、そういう小説です。

<第十四回 昭和十六年下半期>
候補作『狗宝』野川隆が満洲もの。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E5%B7%9D%E9%9A%86

『青果の市』芝木好子 受賞
…東京の、青果仲買人一家の細腕繁盛記。
 遥かに時代は後ですが、秋葉原からの市場移転の記憶も、
 けっこうみんなあって重ね合わせて読めると思いますし、
 全然古びてなかったです。戦中の統制でゆきさきがあれなのか、
 バナナに代表される先物取引的要素が規制されてあれなのか、が、
 現代から読むと、分からないと思いました。どっちだろ。

<第十五回 昭和十七年上半期>
該当なし。
候補にならなかった作品に、石塚友二正治清英の戦争もの、
『断層』金逸善、『海峡植民地』櫻井造、田宮虎彦など。

<第十六回 昭和十七年下半期>
直木賞の候補作に『オルドスの鷹』渡邊啓助。
受賞作が、下記。

『連絡員』倉光俊夫 受賞
…盧溝橋事件をモチーフに、新聞社の連絡員を主人公にした小説。
 作者は朝日新聞記者経験者。久米正雄評「ザラ紙文学」

頁127 連絡員
「ちえッ」と舌打ちして「膠皮チョピーッ――」と、暗がりへ榎本が呼んだ。
「けったいなやっちゃな」と、彪助が吐き出すように云うのに、
「川島さん、山口のかみさん知ってるかい」
「へえー、山口、かみさんあるのんかい」
「違いまっせ。彪助君のような寡夫チョンガアとは――」
「何吐かす。小孩ショウハイッ」

http://cjjc.weblio.jp/content/%E8%86%A0%E7%9A%AE
盧溝橋事件が、かなり時系列とかも忠実に書かれていて、
まあ書いてないことは書けなかったんでしょうが、
あれっと思ったのは、通州事件完全スルー。出てこない。
ちょくちょく出てくる中国方は、宗哲元が名前だけ、ですが、
冀東防共自治政府とか、殷汝耕とかの名前はありません。

<第十七回 昭和十八年上半期>
直木賞の候補作に、『西北撮影隊』渡邊啓助。前回と同じ人。
候補作に檀一雄の名前と、『翁』劉寒吉(本名濱田陸一)
受賞作が、下記。

『纏足の頃』石塚喜久三
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%A1%9A%E5%96%9C%E4%B9%85%E4%B8%89
…「蒙疆文学」
 農民化するモンゴル人と漢人の夫婦の間に生まれた子供たち、
 纏足するしないで幸せになれるかなれないか、という話。
 作者は張家口在住経験ありとのこと。
 なぜそれを日本語で日本人が書いてるのかとは思いました。
 モンゴル文学や漢語小説の翻訳としてでなく。
 赤峰や通遼など、現代からこの辺りを振り返っても何か書けないか、
 と思います。
 当時のモンゴル人の衰退、人口減少に関しては、西川一三でしたか、
 ラマ僧初夜権があって、ラマ僧に梅毒患者が多かったという、
 そりゃ死産や先天性で人口減少するだろ、
 というルポを読んだことありますが、
 この小説はそういうこと書いてないです。
 あと、モンゴル系でも、青海省の土族なんかは、明代くらいからと、
 推定される農民化してて、纏足の習慣もあったそうなんですが、
 戦中の日本「蒙疆文学」はそこまでまだ知る由もなかった、
 と思います。
 混血児にホンシュンズーとルビを振ったり、廟祭をミョオジーと、
 ルビ振ったりしてるのは、作者が耳で聞いた発音と思いますが、
 今、大学の第二外国語などで習う発音とはちょっと違うと思います。
 私生児のスーションズーとか蒙古人のモンゴレンとかは、
 そう聞こえると思います。

<第十八回 昭和十八年下半期>
候補作『綿花記』黒木清次は大陸ものだとか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E6%9C%A8%E6%B8%85%E6%AC%A1

『和紙』東野邊薫 受賞
…福島の、安達の、和紙を副業にする農村で、
 次男の出征、街から来た嫁の出産、などの話。

<第十九回 昭和十九年上半期>
直木賞受賞作『ニューギニア山岳戦』岡田誠三
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E7%94%B0%E8%AA%A0%E4%B8%89

『劉廣福』八木義徳 受賞
満洲もの。佐藤春夫が評で、「新説話体」と評。
 中国の説話文学を日本語でやってるのかと思いましたが、
 その理解じゃないかもしれない。既読。

『登攀』小尾十三 受賞
…朝鮮での教え子を教師が新京から回想する話。
 この小説だけ、ちょくちょく「忖度」という言葉を、
 使ってるんですよね。不思議だ。

頁294 登攀
折から夜漁の出帆らしく、皆とは忙しげな人声の巷と化していた。ポンポン鳴る発動機の音。山と積まれた明太魚。その間を縫う人夫の群。隙を狙って一尾盗もうとし、事実盗んで行く女や子供達。蹲って魚の串刺しをしている人夫達。その人夫達が冷え切った手をかざしている焚火の煙。

頁295 登攀
明太魚を山積みにした牛車の列がやって来た。

<第二十回 昭和十九年下半期>

『雁立』清水基吉 受賞
…句会の同人のうら若き女性(自分より身分上)を、
 たぶん大陸打通作戦に従軍中の主人公が回想するんだか、
 結婚した由の手紙をもらったんだか、という小説。
 女性の描き方がエロいので、不肖カワバタとか欣喜やろう、
 と思いましたが、彼は特に触れてなくて、
 河上徹太郎とか佐藤春夫とかが厳しいな、という評をしてます。
 打通といえば、むかし2ちゃんの軍板とかに、打通は意義があった、
 とえんえん主張する名無しだかなんかの人がいて、
 皆から打通と呼ばれていました。
https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E9%99%B8%E6%89%93%E9%80%9A%E4%BD%9C%E6%88%A6-1558083
 それより、頁328で、徴兵検査第二乙だったのに、
 大陸ではバリバリ戦っているという描写が、
 まーそれ以外書けないのかなー知らんけど、と思いました。

頁324 雁立
渋谷から下北沢まで帝都電車に乗り小田急に乗り換えて三つ目の駅で降りた。僕はこの辺りに来たことはあまりなかったから外の景色も始めて見るようなものであった。然し此の沿線の風景はやがてはっきり心に刻み込まれてしまった。麦畠の開ける丘、学校の時計塔、回教教会の円い屋根。

代々木に行った時の描写。当時からモスクあったんですね。
山手線に乗らなかったのはなんでだろう。以上
(2017/6/10)