『酒と太鼓の日々。』読了

酒と太鼓の日々。

酒と太鼓の日々。

家人が表紙を見て、「又吉なの?」と言いました。

似たようなもんだと思います。おみくじで「末吉」はあるけど「又吉」はない、
それくらいの違い。神保町の東方書店でこの人の新刊、というには少し経ってますが、
下記の本が平積みになっていて、でも私はあまりこの人を知らないので*1
まず先行エッセーから読もうと思い、借りました。

ファンキー末吉 中国ロックに捧げた半生

ファンキー末吉 中国ロックに捧げた半生

作者 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%BC%E6%9C%AB%E5%90%89
初出:「月刊タウン情報かがわ」1985/2月号〜1990/6月号(抜粋)
    (うどん県は作者出身地)+書き下ろし
http://www.tj-kagawa.com/
月刊タウン情報かがわ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E5%88%8A%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3%E6%83%85%E5%A0%B1%E3%81%8B%E3%81%8C%E3%82%8F
この本の初版は1995年5月ですが、原稿全部PCに保存されてるとあります。
打ちこみとかやるからでしょうか、最初期からPC使いこなしてた人なんですよね。
私の読書感想の常、何故か酒歴引用。

頁38 1985年5月エッセーについて、1994年時の回想書き下ろし部分
 もともとと言えば俺も酒が飲めなかった。正確に言うと、飲んでも酔っぱらうことが出来なかった。アルコールによって精神が解放されるより前に体の方が参ってしまい、頭痛がしたり酒を受け付けなくなってしまったり。
 ところがこの頃から酒を飲んで酔っ払って、酒の力を借りて自分を解放する術を知ってしまった。今思えば当時かなりストレスが溜まっていたのだと思う。

(中略)
 ところがいきなり外の世界に飛び出したとて、無芸大食の俺としては尻を出すぐらいしかできない。しかし関西メタルの連中はやはりこのノリが好きなのか、結局奴等と飲む時はいつもこのノリになってしまった。

爆スラと略してはいけないそうですが、コミックバンドだったのかそうでないのか、
詳しくないので、永遠に私には分からないと思います。この本に筋肉少女帯は出ません。
ただ、スカしたりカッコつけて殻を破れない人間にとっては、尻出し経験は、
恥をかくことを怖れなくなる社会人のひとつの訓練として、新人宴会芸などで、
かつてはいろんな会社で、どうこうあったと思います。そして、月日は流れ、
「絶対そんな会社入りたくねっす」今はそれで終了な気もします。
とりあえず女子社員への「ちょんまげ」は21世紀的にありえないのではないかと。
いや、あれを許容する女子社員て、いいように使われるだけになりそうなので…
土下座と尻花火は、昨日までの自分とは違う自分になってしまった気がする行為ですが、
いつまでもその時点から先に進めないで、同じことばっかやってても。

頁114 1986年9月本文
 老けてきたのか酒好きになってきたのか、最近酒の飲み方が変わってきた。つい去年まではまるで酒など飲めなかったのが、ご存知“ザ・グッバイ”の“えとうこういち”の出現によって宴会ばかりするようになってしまったのはご承知だろう。それでもそのころは酒が好きだから飲んでるというのではなく、どちらかというと宴会が好きだから飲んでるという感じだった。それが、ここ最近の酒の飲み方はどうだろう。
(中略)
注文するのはGINのオンザロックであったり、バーボンのストレートであったり、とにかく胃がキュッと痛くなるような強い酒が多くなってきた。
(中略)
 いやほんと、酒はいい。酒飲んでるとほんと幸せだなーとか思っちゃうからそろそろヤバイ。もう、まるで恋人である。
(中略)
気が付くと酒に向かって
「幸せだなー。僕は君といるととっても幸せなんだ」
とかつぶやきながら飲んでた。ホントにいとおしいのである。もうそろそろヤバイな。

⇒ここに加山雄三の動画を貼ってましたが、つべで削除されました。
いろんな酒飲みミュージシャンがこの本に出てきますが、下記が残りました。
具体的に書いてないですが、1987年6月エッセーで、洒落抜きに、
同席することに警報発してる、下記URLのバンドのドラマー。
https://ja.wikipedia.org/wiki/KODOMO_BAND
あと、下記の人。

小川銀次 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%B7%9D%E9%8A%80%E6%AC%A1
頁100、1986年7月のエッセーに、大谷レイブン*2が、
「お前、いいかげんにしねーと最後には俺みたいになるぞ」と、諭すようにしんみりと言われ、
それでぴたっと暴れるのをやめる場面があります。
イカすバンド天国の審査員のしとは、こんな一面ももっていたのか、
と思ったりしましたが、それは伊藤銀次でした。私の知識はこんなもん。

作者は、頁118で、なぜか俺はそこまで破滅的に生きられないようにできているらしい。
と言っており、まあ別にだから悩むわけですけど、死ぬよりはいい。
そういう人格でないのにステージで突然昂って泣いたことを、驚きとともに書いたり、
書いてないけど行間を読むと、政経の中野より社学(廃部)のデーモンのほうが、
よく出てくるな、とか、あと自我(エゴ)とか、全体の構成が、徐々に徐々にの、
ストレスの爆発と、さいご北京に行くことでカタストロフィを得るつくりなので、
それは分かったんですが、でもこの人、別に中国に依存することで解決したわけでは、
ないと思います。アフリカとかジャマイカにいくつもりが成り行きで中国にも行って、
ハマった、という記述自体はほんとだと思いますが、私としては、
作者の生家が中華料理屋なので、そことの関連もないかと思い、それは書いてなく、
う〜ん、そういう人なんだなと思いました。こんなに我の強い奴はB型と思い、
A型とあるので、そこも肩すかし。私の前の職場は、B型の正社員2/3と、O型の派遣1/3、
AB型の上長、という構成だったのを、何故か思い出しました。
とういか、破滅型でないのは、バンドマンなんかみんな食えない食えないと書きつつ、

頁18 1985年3月本文
 ぼくの場合は恵まれていて、「大都会」でヒットしたクリスタルキングの助っ人ドラマーとして、荒稼ぎしていたのでした。ちなみにアニメの「北斗の拳」のテーマソングはぼくがやってますが、

連載開始時点でこれだけ自然に自己PRが出来る人は、ウソつきでなければ、
大丈夫なんじゃないでしょうか。あと、これがねー、

頁52
世話になったみんなに、
「今日は自慢の中華料理を作ってあげるからウチにおいでよ」
と言って、材料をきっちりワリカンで買ってその余った材料で1週間ほど食いつなぐというセコイ奴。

この、ダッチアカウントを悪用して自分の分を浮かすという技がね〜、
むかしの知り合いで、飲み会というと必ず幹事やってこれをやる人がいまして、
その人が香川県人なんですよ。ある林業会社の人も香川県人は吝嗇だと言ってて、
で、ファンキー末吉のこの文章。私の中のイメージはさらに上書きされ、
中国行き救済云々とかでなく、こういう人はバランスがあって破滅しない、
のではないかと思いました。A型より香川県人気質のほうがまさってるわけで。

中国に関してはまあこの後書いた本も読もうと思いますが、
矢野浩二の『中国に愛された男』*3と似てたらどうしよう、と思ってます。

ぜんぶちいさな?出版社ですよね。このエッセーも、まだ連載続いてるらしいのに、
1995年に、1990年までの連載でいったん切って出版するとか、戦略っぽい。知らないけど。
人のいいどさんこの、寿郎社とかの本だと、こんな始末は出来ないのでないか。
講談社『北京的夏』は昔読んで面白かったですが、今回その下敷き体験が面白く、
しかし私は黒豹を唐朝だと思い込んでいた。黒豹忘れてた。すみません以上

*1:酒吧街のJAZZ屋でいきなり「ファンキーさんいますか?」と聞いたら、いきなりVIP席に案内されそうになった想い出があります。確か不在だった。私はむかしからおかしい

*2:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%B0%B7%E4%BB%A4%E6%96%87

*3:読書感想 http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20130516/1368677319