『シュルツ全小説』 (平凡社ライブラリー)読了

シュルツ全小説 (平凡社ライブラリー)

シュルツ全小説 (平凡社ライブラリー)

葉山のクエイ兄弟*1に行ったのも、代表作の原作者ブルーノ・シュルツについて、
エピソードをツイッターで読んで、興味を覚えたから。なので、読みました。

シュルツは誰なら、というと、下記がまず思い出されます。

(1)産経新聞連載でおなじみのかわいい犬、スヌーピーの作者
(2)冥王星の反射衛星砲
 http://dic.pixiv.net/a/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AB%E3%83%84
(3)アメリカの国務長官の一人
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AB%E3%83%84

ここで言うブルーノ・シュルツは、ポーランドユダヤ系作家・画家で、
前々世紀末現ウクライナ*2に生まれ、その町に生き、ナチス占領時代、
ゲシュタポユダヤ人狩りに遭遇し、路上で射殺されたとか。虫けらみたい。
彼を寵愛したゲシュタポとウマが合わないゲシュタポが射ち殺したそうです。
スマトラの郁達夫を連想しましたが、ちょっと違うな。

Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AB%E3%83%84
ツイッター他によれば、集英社版時点では、彼は庇護のもと生命を保証される代わりに、
ただ無為徒食をむさぼる毎日を余儀なくされ、本来の創作活動を放棄していたとか。
それが、平凡社ライブラリー版では、21世紀、実は壁画を描いていたと、
上塗りを剥がした壁から壁画が発見されて分かり、名誉回復したとか。
(しかもその壁画が、ポーランドウクライナ両政府が保存に乗り出す前に、
 モサドチックなイスラエル工作員に強奪され、エルサレムの、
 ホロコースト美術館にかっさらわれるというオマケ付き)

正直画家としての力量のほうが分かりやすいです。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/5d/Bruno_Schulz,_Spotkanie,_1920.jpg
https://de.wikipedia.org/wiki/Bruno_Schulz
この本の家畜人ヤプーみたいな表紙(作者の絵)や訳者解説だと、
マゾがどうのということですが、画像検索から得た印象では、
ナボコフとか痴人の愛みたいと思いました。要はそういう人。

画像検索
https://www.google.co.jp/search?q=Schulz+Bruno&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwihzfK6pcPPAhVjHGMKHXEwDBoQ_AUICCgB&biw=1092&bih=484

解説には数人の情交のお相手というか、セフレというか、が出てて、
朝日新聞鷲田清一が連載してる折々の言葉の十月四日を連想しました。


訳者は作者の漫画化を提唱したそうで、ドイツでは既に出てるそうですが
https://images-eu.ssl-images-amazon.com/images/I/51OwMSyk2wL._SL500_.jpg
https://www.amazon.de/Heimsuchung-andere-Erz%C3%A4hlungen-Dieter-J%C3%BCdt/dp/3893431322
https://www.lambiek.net/artists/image/j/judt_dieter/judt_viriconium.jpg
https://www.lambiek.net/artists/j/judt_dieter.htm
かりぶま…土屋ガロン原作を漫画化した嶺岸信明くらいの絵がいいと思います。

で、小説ですが、作者23歳の時に死んだ父、十年間こころのびよきだった父が、
至る所の各編で主人公を努めており、それと幼児時代に返った作者が、
現実には絶対にありえない空想神話の世界に成り下がったファンタジーワールドで、
縦横無尽にわけのわからない行為を満喫する話がほとんどです。
なんというかなあ、AC版銀の匙百姓貴族じゃないほうの銀の匙のAC版みたいな。
なんでそんなパパンに執着するかなと思います。絵と違い、女性へのアレはないです。
現実の彼は、心臓病と結核で徴兵検査不合格、十一歳年上の兄も急死、
姉一家もこころのびよきで彼の稼ぎだけが頼り、で、一家はポグロム、否、
ゲットーに乱入したゲシュタポの「ワイルド作戦」で死んじゃうですが、
そうだと、幼少期の銀の匙しか書きたくないのかなと思いました。

頁14 八月
 ようやくストリイスカ街の角まできて、私たちは薬屋の日陰のなかへ入っていった。苺色の液を入れた大きなガラスの容器がひとつ薬局の広い窓に置かれ、どのような痛みも和らげる芳香バルサム液の冷やかな肌ざわりを象徴していた。そこから数軒を過ぎると、通りはもはや都会の品格を保ちつづけてはいられない。それは生まれ故郷の村へ帰ってくるお百姓が、都会で身につけた上品さを道々脱ぎ棄ててゆき、村の近づくにつれて、見すぼらしい村人へ戻っていくのに似ていた。

頁227、按排という単語が出て来て、あれっ中国語じゃん、
日本語は塩梅だろ、と思って検索したら、「按排」は日本語でも使い、
"安排"が日本では使わないのだなと確認出来ました。
頁292、支那の夏〉(小春日和のこと。英、仏などでは〈インドの夏〉という)
へー、インディアンサマーが「中国の夏」になるんだ、何語の話だろう?
と、ここで、そも作者は何語でこの小説を書いたのか、本に書いてなかったな、
と不安になり、解説には、作者はドイツ語は堪能だがイディッシュ語はアレだった、
とあり、まあ常識的に考えてポーランド人なんだからポーランド語だろうな、
と思いました。Wikipediaの"Indian Summer"のポーランド語を見ると、"Babie lato"で、
"Chiński lato"ではありません。原文ではなんて書いたぁるんだろう。以上