『ノルゲ Norge』読了

ノルゲ Norge

ノルゲ Norge

読んだのはハードカバー。
装画(カバー)/末房 志野
同(表紙、扉)/神田 美穂
装幀/大久保伸子
初出は「群像」2001年2月号〜2006年12月号
あとがきあり

作者 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E4%BC%AF%E4%B8%80%E9%BA%A6

これも、ボーツー先生と福田和也の文壇アウトロー時事放談で、
読んでみようと思った本です。

2018-03-09
『不謹慎 酒気帯び時評50選』THE HOTTEST TABLE TALK SERIES:2010-2012 読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20180309/1520601711

作者が妻の留学に伴い、一年間ノルウェーで過ごす話。
それまでにノルウェー旅行経験複数あり。作者は仙台人。

以下後報
【後報】
連載は今世紀に入ってからですが、滞在は前世紀末だったようで、
仏ワールドカップグループリーグ最終戦、皆がかじりつくテレビ前の歓声で、
老アパートが揺れて、物語は終わります。

https://no.wikipedia.org/wiki/VM_i_fotball_1998#Gruppe_A
エリクソンノキアにはさまれた国に、作者はノーパソを持ち込み、
コネクタが違うのでそこは電気工の経験を活かしなんとかし、
しかし誰もダイヤルアップ用に電話回線を貸してくれず、
イリーガルな国際通話で法外な料金が発生する事への恐れ、
を感じつつ、むにゃむにゃで、デジタルデバイドの人のいいオバサンを、
まるめこんでなんとかします。日本の公衆電話には必ず、
データ通信用のコネクタがあるが、ノルウェーにはない、と指摘しており、
あのデータ通信回線使う人いたんだ、と、そっちに驚きました。
外国人向けのノルウェー語電子教材の動作環境がMS-DOSだったり、
OS再インストールせんければならんとき、プロダクトキーのメモ、
ノルウェーにもってきてなかった!で、ディレクトリだか探して、
これだ、これがプロダクトキーだ!でメモする場面もあります。
当時はそれでなんとかなったんですね。Windows95でしょうか。

頁39、流竄。ルビがなかったので読み方検索し、
間違えて流鼠と打ち込み下記が出ました。

ふりがな文庫 流鼠 ☞ りゆうそ ダンテ『神曲』邦訳より
https://furigana.info/w/%E6%B5%81%E9%BC%A0

そして、どうも変だなとよくよく見て、「竄」と鼠の違いに気づきました。

流竄(リュウザン)とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E6%B5%81%E7%AB%84-658714
国立国会図書館デジタルコレクション - 警世雑著 内村鑑三『流竄録』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/824423/32

神々の流竄(ルザン) (集英社文庫)

神々の流竄(ルザン) (集英社文庫)

頁67
 カフェテリアには、オープンサイドイッチやデニッシュ、ヨーグルトなどがショーケースに並んでいた。バナナや林檎、オレンジといった果物もあった。
 さすがに人参まではないか、とおれは苦笑した。路面電車トリッケンの停留所で、人参を丸かじりしている若い女性をよく見かけるからだ。

私も中国では、生野菜に飢えてるのか、人参やセロリを、よく洗って、
ナマで食べてる白人をよく見ました。一度、マレーシアで春節の時、
やっぱりニンジン生でバリボリ齧ってる白人青年がいたので聞いてみると、
"This is my salvation." と、わけのわからないことを言って、
爆竹の闇に消えていきました。

頁100
面白いことに、イギリスやカナダといった英語圏で育った人間の方が、どうしても英語読みに引きずられるせいか始終発音を間違っては直された。それに比べて他のヨーロッパ人は(ポーランドのヴァンダを除いて)、一様に適応が早かった。ノルウェー語の読みは、昔少しだけかじったドイツ語にいくらか似ているところがあると気付き、それはそうだ、同じゲルマンの言葉なんだからな、と思い直した。

外国人向け無料ノルウェー語学校のひとコマ。ヴァンダは中年で、
もうそんな無理してほかの言語覚えたくない感じなので、それで上達せず、
ポーランドだからほかの言語が㍉という話ではないです。
作者はその後、英語圏の連中と齟齬、軋轢が生じます。
ドイツ語云々は、ここより全然前の個所で、ノルウェー語べらべらの中に、
ビルコメンとか出てくるので、読者は先にさっしがつく構成になってます。

なんとなく、オダサガの公民館で、ボランティアのおばちゃんたちが、
フィリピーナや軍属に無料で日本語教室やってたな、とか、
無料か有料か知りませんが、松田の公民館で、日本語教室があって、
そこのラテンアメリカの妙齢の女性から、「ニホンゴムズカシー」
と話しかけられたことなど思い出します。

作者のあてがわれた老朽アパートは、洗濯機持ってる世帯(部屋)がひとつきりで、
それを有料予約制で各住人がシェアしていました。作者は、貸し主と、
話をするようになり、おすすめのノルウェー人作家の英訳本を教えてもらい、
それをヒマにあかせて訳し出します。その作家は、ノルウェーに弐種類ある書体のうち、
少数派の書体で記述したそうなので、ノルウェーでももうあまり、
読まれていない作家だということです。

頁116あたりに、ノルウェー全人口(五百万くらい)の15パーセントの言語、
というそのことばの説明があります。

ノルウェー語 ブークモールとニーノシュク Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%AB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E8%AA%9E#%E3%83%96%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%A8%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%AF
タリエイ・ヴェースオース Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9
https://nn.wikipedia.org/wiki/Tarjei_Vesaas
作者が訳している作品は、1957年の"Fuglane"です。
https://nn.wikipedia.org/wiki/Fuglane

The Birds

The Birds

頁132
 スーはいったいおれの何が気に入らなくてそんな態度をとるんだ? 英語が満足に話せないからか? カフェで開いたというあんたが主催のパーティに出席しなかったからか? そして、マリアンヌ、教師のあんたまでどうしてこういうときに英語でおれに訊ねるんだ? ヴァンダにニコライ、ファーラよ、どうして学校に来なくなってしまったんだ?

スーは英国人で恐らく駐在のワイフ。ニコライはロシア人、ファーラはイラン人です。
作者はノルウェー語でやっと言える範囲で反論し、「スモウマン」と、
からかう声とくすくす笑いが聞こえ、からだが熱くなります。その帰り道。

頁133
 だが、そうしたKEBABスタンドがオスロ市内に急増していることが社会問題化もしていた。妻の美術大学の同級生の中には、正規のノルウェー語文法を無視したノルウェー語を「ケバブノシュク」と呼んで眉をひそめる保守的な人もいるという。それを聞いて、それならおれたちのは「スシノシュク」ってことか、と憮然と思ったものだ。
(中略)
「……日本人、ですよね」
 自分もどうしようかと窓の外へ目を注いでいたおれは、その声に驚いて振り返った。

あとにも先にも邦人に出会う場面はここだけ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%82%AF
頁198、競走馬を飼育する農場に、ノルウェー伝統料理をおよばれして、
そこに手伝いに来ている少年が、アルコール中毒の父との関係で、
境界性人格障害と日本では呼ばれている状態で、それを見て、かつての妻との、
關係を作者は思い起こしてゆきます。酩酊してOD自殺未遂の契機が、
妻からの電話だったこと、そしてその妻との生活…
別の個所で、今の妻と付き合い始めたのは確かに別れる前で、
現在の生活は、収入から毎月25万円妻宛に引き落とされた残りで、
なんとかやりくりしていること、などが語られます。
個人としての回復だけ考えてゆくべきだが、
他者との関係性のなかで生きてゆく場合、
やはり一方だけの回復などありえないと考えるべきなのか、etc.思いました。

頁219
 最初の結婚の終わりの頃、前の妻は自分と三人の子供たちと子犬とで寝ている部屋に、決しておれを入れようとはしなかった。そんな結婚生活で、おれは常識が通じない人間がいることを肌で知ったが、向こうにしてみれば、子供が出来て結婚したいきさつや、長女が緘黙症で、学校で口が利けずに、環境を変えればよくなるかと引っ越したこと、その費用をサラ金から借金したこと、末の子が産まれたばかりのときに川崎病という原因不明の病気にかかったこと……、そんな家庭の事情を小説にするおれのほうが常識知らずだったのだろう。
 寝ているときに、別れた妻が扉の外で包丁を持って立っていることに気付いてからは、おれは電気工事の現場事務所や電機工場のコンクリートの床で寝泊まりするようになった。そして、外国人労働者相手の安いアパートを借りるようにもなった。
(略)

作者の一人称「おれ」、当初から違和感がありまして、
それはこの辺りまで続きました。「ぼく」または「わたし」と、
言うべきじゃないかなあ、と。規律として。自己規範として。
無頼を気取るほどの話でもなし、穏やかな生活の話ですので。

頁242
(前略) とおれは少し話題を変えるように言った。「こっちに来てはじめて、太陽がほとんど出ない、一日中が夜の続きのような極夜を体験すると、麻薬はともかく酒におぼれる気持ちは少しはわかる気がしたよ」
 実際、おれは、午前十時頃に薄明となるがそれも明け切らずに、午後二時頃にはすっかり夜となる極夜の時期には、アクアヴィットを昼間から飲むようになっていた。
 陰鬱の極みのような風景を窓の外に見ながらの昼酒は、凄惨な味がした。部屋は二階だったが、これがリーヴの言っていたように五階や六階以上の高さでなくてよかった、とたびたび思わされたものだった。上階の部屋で灰色の窓を見つめながら強酒を呷る自分の姿を想像しただけで、追い詰められそうだった。

下記はいきつけになった中華料理店の場面。

頁296
 住んでみてわかったことだが、ノルウェー人の多くは、大柄な身体付きの割りには、一回に食べる食事の量が意外と少ない。その代わりに、一日に五回も六回も食事を摂るのだった。カップルの男性は、ジョッキ一杯のビールを舐めるようにチビチビと飲みながら食事をしていた。外で飲むビールは税金が高く、中ジョッキが八百円近くもするので、お代わりをする人は滅多にいなかった。それに、アルコール度数に合わせて税額が決まっているので、日本のような発泡酒ソーダ割にする焼酎などの安酒も存在していなかった。酒飲みのおれだが、滞在が長くなるにつれて、酒の有難みが実感されるようになっていた。日本にいるときは、酔いばかりを求めて、酒の味も味わわずにただ喉に流し込んでいたようにも振り返られた。
 おれは、ティーカップに茶色い液体を三分の一ほど注ぎ入れると、まだ料理は残っていたが、いかにも食後のお茶を味わっているというふうに口に含んだ。それは実は紹興酒だった。ほどよく温められてあり、油っこい料理を食べた後の胃の腑に心地よく沁みた。大きな身体をかがめて額をくっつけ合うようにしながら静かに話を交わしているノルウェー人の客の誰も、こちらに気を向けている様子はなかった。

作者は胃の手術をしたんだかどうか、位置があれで、絶えず逆流を心配する、
必要があると、別の個所に記述があります。
作者は何故か改革開放初期の中国に行ったことがあり、店のマダムと、
そういう話をしたり、日中の箸の置き方の違いなどを話します。
上海人だとか。冷やし中華がイメージできないと。確かに凉面は違う。
あと、ノルウェーのインスタントラーメン、Mr.Lee を、
作者は中国人と認識していたが、マダムが、彼は韓国人で、
朝鮮戦争で負傷してノルウェーの病院で治療を受けたのち、
ノルウェーで市民権を得てラーメン王になったと話します。

신라면과 함께하는 세계여행(노르웨이편)
Lee Chul-ho Wikipedia
https://no.wikipedia.org/wiki/Lee_Chul-ho

頁313
(前略)主人とミセス陳とが、中国語で激しく言い争いをしていた。
 主人は何度もおれの食卓にある白地に花柄の陶器製のティーポットを指差して喚き散らした。
(中略)
 主人は、自分が飲むために置いてある紹興酒を店の客に出していることに怒っているのだろう。それは店のメニューにはなく、許可されていない酒を出していることがアルコールのことにはうるさい当局に知れたら、営業停止の処分を受けることになってしまうと心配している。日曜日に出してはいけないウィスキーの類を客に売ってはいないか、ときどき見回りに訪れる酒場のコントロールにも、おれは酒場で何度か出くわしたことがあった。

大使館の人間には当然のように供与して目こぼししてもらっていて、
で、作者を日本大使館関係者と誤認した、が真相でした。

頁314
 店の上客のように、得意げに、紅茶ポットにカムフラージュしてもらい、特別に店の主人用の紹興酒を飲んでいた自分が嫌だった。その間、店の主人をハラハラさせ通しだったことが申し訳なくてたまらなかった。自己嫌悪に苛まれたおれは、自分はこの地では何も約束事を知らない子供のような振る舞いばかりしている、と痛感した。おれはさしずめ、赤ん坊(pettebarn)リークソムのようなものだパテバーン

私もオランダで、チャイナタウンのスナックの店で、缶ビールを頼んだら、
店では飲めないし外でもラベルを見せて飲んではダメだ、と、
紙袋に包んで渡してもらったことがあります。結構そういう体験は、
欧州旅行なら誰でもありそうに思います。下記はパブの話。

頁459
店では赤ワインに薬草入りのシロップを混ぜて温め、粗刻みのレーズンとアーモンドを入れて飲むグロッグを出していたことを覚えているから、クリスマスが近付いた頃のことだ。おれは店の扉を開けてカウンターに座ると、おもむろに目の前の棚に並んでいる酒瓶を見渡して、スコッチウィスキーのダブルを注文した。店は、テーブル席まで一杯だった。初めての客であるおれのことを、常連らしい皆が窺っている気配がわかった。それでもおれは日本人がこの店に来るのは珍しいのだろう、ぐらいにしか思っていなかった。店中が静まり返っている中、バーテンがおれの前のカウンターテーブルにウィスキーのショットグラスを音を立てて置いたときだった。カウンターの奥の客が、ノルウェー語で何か叫んだ。いまから考えると、「日曜日ションターグだぞ!」と言ったのだろう。すると、バーテンは頭に手をやってから、おれの前のショットグラスを取り上げると、ボトルへと戻した。日曜日には、店で強い酒を客に出すことは禁止されていて、ときどき見回りにくる酒場のコントロールに摘発されたら営業停止の処分を受けることになってしまう、と知ったのは、その後のことだった。…
 それでも、たびたび通ううちに、
(以下略)

以下略ですが、別に仲良くなったら、日曜日でもショットを出してもらえる、
わけではないです。そこは厳格。

で、作者は、過去の古傷、鉄筋の結束線を括るための、尖った爪のついた、
ハッカーと呼ばれる鉄筋工の道具で、電気工サイドの責任者として、
鉄筋工から刺され、目尻に傷を負い、深酒の時など痛む古傷になったのが、
じりじりと火を当てられてるように痛みだし、何度もひどいことになり、
ノルウェーでは医療保険がないので高額医療費が払えないと判断し、
日本の知りあいの医者からツケで薬をおくってもらってしのぎます。
で、絶対禁酒になる。群発頭痛が、ライトビール一杯でも起きる。

…そして、白夜のころ、いつともなしに、また飲めるようになり、
そして帰国します。以上(2018/4/16)